番外 寺名 勧修寺(かじゅうじ、かんしゅうじ) 山号 亀甲山 宗派 真言宗山階派大本山 所在地 京都市山科区 門跡寺院
SPOT 氷室の池 建物は観音堂
開基(創立者)は醍醐天皇、開山(初代住職)は承俊。代々法親王が入寺する宮門跡寺院。
30世の尊孝法親王は伏見宮出身であった。法親王の叔母にあたる真宮理子(さなのみやまさこ)が紀州藩出身の将軍・徳川吉宗の正室であった縁で、紀伊国の約100か寺が勧修寺の末寺となった。紀三井寺護国院は、現在は真言宗から独立しているが、元は勧修寺の末寺であった。
蓮と睡蓮でも有名なお寺です。
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宸殿-元禄10年(1697年)に明正天皇の旧殿を下賜されたものという。入母屋造、桟瓦葺き。内部は書院造である。
清清しいという表現がぴったりの建物。
参道の白壁の築地塀
風格があります山門 中門 宸殿 <明正殿>の扁額 宸殿の裏から 書院
貞享3年(1686年)に後西天皇の旧殿を下賜されたものという(明正天皇の旧殿とも)。入母屋造、杮(こけら)葺き。さざれ石
君が代に出てくる石です。
触れることが出来ます。偃柏槇(はいびゃくしん)
樹齢750年のヒノキ科の植物で、この一面が一本の木です。臥竜の老梅
御所から移植した梅
親子孫と三代が連なっています勧修寺灯篭
水戸光国(水戸黄門)の寄進による灯篭と伝えられています。埋もれつつありますが・・・・・観音堂
屋根には鳳凰が。観音堂 内部 本堂
寛文12年(1672年)に霊元天皇の仮内侍所を下賜されたもので、元は近衛家の建物であったという庭
丸石がいい感じです。
睡蓮 水が美しいので水面に良く映える
アオサギ シラサギ 垂れ下がっているのは藤の実 池の裏手。一応立ち入り禁止
「この先行かれるのはご自由ですが、大いに危険」
という表示板があります。
朱印
kazu_sanの一言 仏光院 勧修寺の塔頭
朱印は、ここで頂くことになっている。
1953年(昭和28)大石順教尼の再建。
順教尼はもと大阪堀江の名妓だったが、養父の狂刃による6人斬り事件の巻き添えをうけ、17才で両腕を切断された。
この人生のどん底を生き抜き、やがて出家。
6人斬り犠牲者の追善と身体障害者の救済に生涯を捧げた。口で文字・絵も描いたと言われる。
1968年(昭和43)当寺で没。
「何事も成せばなるてふ言の葉を胸にきざみて 生きて来し我れ(順教尼)」