紀三井寺 |
番外 寺名 紀三井寺 山号 紀三井山 宗派 救世観音宗 総本山 所在地 和歌山県和歌山市紀三井寺 西国三十三箇所第2番札所。日本さくら名所100選、名水百選
SPOT 楼門(重要文化財) 室町時代中期の建立で二階建て。
宝亀元年(770年)、唐僧の為光が、名草山山頂から一筋の光が発されていたのを見つけて、名草山に登ると金色の千手観音がいたため、御影を彫刻して、本尊の胎内仏としてその観音像を奉納し、御堂を造って安置したことに始まるという。
名草山に三つの霊泉(清浄水、楊柳水、吉祥水)があることから「紀三井山」という山号になったといわれる。
故郷のお寺でもあり、実家からも近い。幼少の頃から親に連れられ何回も行ってる。故郷を離れてからも何回か行っているが、寺の案内を読みながら往訪したのは初めて。
三つの霊泉を見たのも初めてである(笑)
ご詠歌
ふるさとをはるばるここに紀三井寺花の都も近くなるらん
Snap shot
欄間の牡丹と菊の彫刻 金剛力士像 七鈴観音 結縁坂 231段ある。
結縁坂の言われは、紀の国屋文左衛門が若い頃、母を背負いてこの坂を登り、観音様へお詣りした途中、草履の鼻緒が切れて困っているところに玉津島神社の宮司の娘「おかよ」が通りかかり、鼻緒をすげ替えたことが縁となって二人は結ばれたことによる。波切不動尊 石段から楼門を 応同樹
紀三井寺だけに伝わる、不思議な樹。
病に応じて薬となると言われる樹。その昔紀三井寺の開山為光上人が竜宮へ説法に行かれ、龍神からお礼に戴いた七種の宝物の内の一つ。身代り不動尊 全231段の最後は、還暦坂と名付けられた60段。
途中 女厄除け坂33段、男厄除け坂42段がありました。六角堂
西国三十三カ所ご本尊を祀る鐘楼(重要文化財) - 安土桃山時代の建築 幸福観音
満蒙開拓青少年義勇軍有志による建立本堂
江戸時代、宝暦9年(1759年)の建立。本堂
秘仏本尊の十一面観音像(開扉は50年に一度)、千手観音像などが安置されているが、通常は公開されていない本堂 本堂 万葉集の石碑ですね
「名草山 言にしありけり 我が恋ふる 千重の一重も 慰めなくに」
名草山もわが心を慰めてはくれなかったという意味ですが。手水舎 弘法大師像もあります 樹齢約400年の樟。幹周6m 高さ21m。
和歌山市指定天然記念物大師堂 多宝塔(重要文化財)- 室町時代の建築 新仏殿
2002年に竣工。高さ25メートル。内部には高さ12メートルの木造大千手十一面観世音菩薩像を安置する。新仏殿 総漆金箔という華麗さ。日本最大の木造という。
2008.5.21入仏落慶供養が行われた3階からは頭部が、はっきり見える。
仏像の後部はカメラマンの姿です(笑)見事な桜です 後ろが大樟 白壁に映える 裏門近くの桜 松尾芭蕉像
「見あぐれば 桜しもうて 紀三井寺」
参道に句碑もあるが文字の判読は難しい。
桜がしもうてなくて良かったです。紀三井寺 裏門 お土産店で買ったふくろう アイリス
桜以外も咲いてます
三つの霊泉
初めて三つとも行きました。係りの人に聞いた方がいいですね。清浄水 楊柳水 清浄水から少し参道にそれて進むとある。
大体の人は行かない。吉祥水 これは参道脇にあります。
参拝者のほとんどの方がみます。裏門を出て、少し住宅街を歩きます。
奇特な人だけが行く。
朱印
kazu_sanの一言
本堂境内から新和歌浦方面を望む
中央少し高いところが、高津子山です。今も展望台があるのかな?
説明板には「章魚頭姿山」と表記されています。。
「タコズシヤマ」−>「タカツシヤマ」と変化して別名になったのでしょう。
小さい頃大人が話してたのを聞くと、「タコズシヤマ」と聞こえましたね。大人になって高津子山と漢字で見て、面白い読み方をするのだと思っていました(笑)
いい景色です。ふるさと和歌山て、いいなと思いますよね。