南宋寺 |
番外 寺名 南宋寺(なんしゅうじ) 山号 龍興山 宗派 臨済宗大徳寺派 所在地 大阪府堺市南旅籠町 徳川家康の墓がある
SPOT 山門(甘露門)重要文化財
1647年の建立
Snap shot
門 鐘楼
明治初年の再建仏殿(大雄宝殿)重要文化財
1652年の建立仏殿の天井
八方睨みの龍 狩野信政 筆
狩野信政と言えば知恩院の大方丈の菊の間の襖絵で有名。座雲亭
中に、徳川秀忠、家光両将軍の御成を記した板額が掛かっているらしいが、非公開でした。千家一門の墓
中央に利休の碑、表千家、裏千家、武者小路千家の碑がある。枯山水の庭 国指定名勝庭園
古田織部好みと言われる水琴窟
那智黒石の辺り
周りが静かだったので耳を澄ますだけで「キーン」という音が聞こえます。置いてある竹筒を使えば、もっと大きな音が聞こえる。灯篭
武野 紹鴎(たけの じょうおう)利休の茶の師ゆかりの灯篭。実相庵
利休好みの茶室
kazu_sanの一言 このお寺に徳川家康の墓がある 墓
東照宮跡に昭和42年に建立された唐門(重要文化財)の庭側からの写真
墓は、このすぐ後方にある。
瓦には、徳川の紋、三ツ葉葵「歴史のミステリー」第2巻より
家康の遺体は静岡市の久能山に葬られ、1周忌を経て、日光に改葬されたということになっているが、ここ南宋寺にも墓がある。正史には載っていないが。
根拠は、
東照宮跡という史跡がある。
秀忠、家光が参詣した記録がある。
明治初期に山岡鉄舟が寺を訪れ「無名の塔 家康諾す」という石碑を建てた-寺の案内にはないが。
大阪夏の陣で戦死した家康は、その死を隠され、以後は影武者だったという伝説がある。
遺体は、日光に改葬される時に、ここから持ち出されたという。
まさに歴史のミステリー