総持寺
番外
寺名 総持寺
山号 補陀洛山
宗派 高野山真言宗
所在地 大阪府茨木市総持寺
西国三十三箇所22番
SPOT
山門
創建年 元慶3年(879年)頃 。楼門形式の立派な門である。
手前の道路から見上げた写真。
山蔭中納言高房は勅命を受けて筑紫へ赴任する途中、淀川のほとりで殺されようとしている大亀を助けた。その翌日、高房の子政朝は、継母と乳母の策略によって、川に突き落とされてしまった。
これを知った高房が、観音にわが子の救助を祈願すると、政朝を背中に乗せた大亀が浮かび上ってきた。 観音像を刻むための霊木を遣唐使に依頼したが、中国からの持ち出しが禁止されていたため、遣唐使は霊木を海に流した。
高房の死後、太宰府に勤務していた政朝は、海岸で霊木を発見。都に持ち帰る途中で、茨木の地で動かなくなった。門前にいる童子に刻ませよとの霊告があり、そのとおりにすると、千日かかって亀に乗った千手観音が完成し、童子は消え去ってしまったという。
 政朝は料理の名手として知られており、「包丁式」という行事が伝わる。

総持寺と言えば、神奈川県横浜市鶴見区にあるのが有名である。石原裕次郎の菩提寺である。


Snap shot
仁王 仁王
本堂 本堂
本堂 ガラス戸で仕切られている 鐘楼
びんづる様 池には亀が多数。お寺の起源に因むものだろう。
閻魔堂 金堂
薬師如来像を安置
鎮守社 造りは神社風ながら屋根は寺院風
包丁塚 包丁塚
大阪ミュージアムの「総持寺包丁式」の登録証
総持寺開基の山蔭中納言政朝は、包丁道の祖。
包丁式は毎年4月18日に行われる。古来宴席に於いて、当主が来賓を前にして座敷に俎板を設え、料理して見せたことに由来します。現在行われている包丁式の形体は室町時代からと伝えられる。
開山堂 
左の登録証は、この前に掲示されている
普悲観音堂
ぼけ封じの観音さま
普悲観音像
小さな石仏は、西国三十三所と四国八十八所の本尊を刻んでいる





朱印

kazu_sanの一言
参拝した日は、本尊:千手観世音菩薩 のご開帳日だったのだが、タッチの差で時間に間に合わず。


残念。



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