青蓮院門跡
番外
寺名 青蓮院門跡
山号 なし
宗派 天台宗
所在地 京都市東山区
門跡寺院  旧粟田御所(あわたごしょ)
SPOT

もともとは天台宗総本山である比叡山延暦寺の三門跡(他には大原にある三千院と東山区にある妙法院)のひとつで、かつて比叡山にあった青蓮坊がその起源となっている。
比叡山東塔に青蓮坊を建立したのは伝教大師(最澄)ですが、その後著名な僧の住居として使われていたものが、平安時代末期の1150年、鳥羽法皇が京都の現在の地に門跡寺院を建立。
その子の第七皇子・覚快法親王が後を継いで青蓮院の門主(住職)となったのが青蓮院門跡の始まりとされている。以後代々に渡って皇族か五摂家の子弟がその門主を務め、格式の高い門跡寺院となっている。
江戸時代後期の1788年1月30日に天明の大火で京都御所が炎上した際に、当時の後桜町上皇が仮の御所として使ったことから、旧粟田御所(あわたごしょ)と言われる。

平安神宮、岡崎公園の方から神宮通りを歩いて、二つの美術館の前を通って青蓮院へ着く。ここからは、さらに知恩院や、円山公園、八坂神社と続く……歩いているだけで、「京都へ来た!」という感じがする地域です。何回もお寺の前は素通りしてますが、今回本格的に参拝しました。

写真は、青蓮院門跡の雰囲気を感じる最高の場所と個人的に思ってる。清水寺や知恩院のような派手さはないが、優しく落ち着くお寺です。


Snap shot
神宮通りに面した入り口 大クス
薬医門 大玄関 車寄せ
寺務所 入り口 ここで拝観料 華頂殿  客殿(白書院)
ここからお庭を見ます
お庭
相阿弥(そうあみ)の作と伝えられる龍心池を中心とする室町時代以来の庭園。
お庭
小御所 青不動
本堂の裏側になる。現在は複製が架けられています。青蓮院での青不動(国宝)の初ご開帳が、21.9.18〜12.20まで行われます。
「青くないんやね」というツッコミにも丁寧に応えてくれました。
本堂
本尊の熾盛光如来曼荼羅(しじょうこうにょらいまんだら)は秘仏。現在は「御前立ち」として写真の宝珠が置かれています。直径24センチの翡翠原石で作られている。 
宸殿
宸殿 内部 宸殿 内部
宸殿の先、大玄関です。
孝明天皇の駕籠 奥の島津の紋所も気になります
内部を拝観した後、お庭に出ます。
小御所 池と見事に合いますね。
好文亭 今は茶室 日吉社
美しい竹です。 西方浄土の庭
西方浄土は、それぞれの人の心の中にありますよ。
本堂 宸殿 正面
大玄関 鐘楼
植髪堂 親鸞の剃髪が奉られているといわれる 四脚門
明正天皇の中和門院の旧殿の門を移築したもの





朱印

kazu_sanの一言
これは、華頂殿にありました。

伝教大師最澄の『山家学生式(六条式)』の最初です。
天台宗の基本理念ですね。
比叡山にある「一隅を照らす」は、これが出典です。

「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて国宝となす。故に古人言く、径寸十枚、これ国宝に非ず。一隅を照らす、これすなわち国宝なりと」

昔の中国の話し。「私の国には、直径一寸の珠(玉)が十枚あって、これは前後十二両もの馬車を照らすことができる。これは国宝だ」と自慢した。
自慢された国の王様は、こう言い返しした。「私の国にはそのような珠はないが、その代わり有能な臣下がいて各人が一隅を守っているので、外国の侵略もなく国内も治まっている。これは千里を照らすようなものだ。十二両の馬車しか照らせないものとは比較にならない(国宝とはそういうものではない)」と。

この主旨から言えば、「一隅を照らす」は隅っこを照らすことではないですね。


戻る