太融寺(たいゆうじ)
番外
寺名 太融寺(たいゆうじ)
山号 佳木山
宗派 真言宗
(高野山真言宗・準別格本山)
所在地 大阪府大阪市北区
SPOT
本堂
大阪繁華街のど真ん中にあるお寺である。
弘仁12年(821年)に弘法大師が嵯峨天皇の勅願により、創建。
ご本尊の千手観世音菩薩は、嵯峨天皇の念持仏を下賜され、天皇の皇子 源融(みなもとのとおる)公が、この地に八町四面を画して、七堂伽藍を建立。(寺名に 融 が残る)
境内地は、今の太融寺町、堂山町、神山町、扇町公園、野崎町、兎我野町等。
元和元年(1615年)5月、大阪城落城のとき兵火で全焼。元禄年間に太堂、南大門など諸堂25棟が復興して、“北野の太融寺”と親しまれた。
昭和20年(1945年)6月戦災で堂塔伽藍一切が灰燼に帰した。
戦後再建に着手、本堂、大師堂、不動堂、宝塔、客殿、本坊、庫裡、鐘楼、東・西・南・北門等が復興した。


Snap shot
西門 南門 本堂にまっすぐなのは、この門
外観 北門 扇町通りに面しているのがこの門
北門から入ると路地が続く 一願堂 不動明王(石仏)
護摩堂 大師堂
宝塔 本堂
本堂 内陣 芭蕉 句碑
しら菊の  目に立て見る  塵もなし
芭蕉が弟子の斯波 園女(しば そのめ)(自宅が大阪北浜にあった。)宅を訪れた時に作った句。
淀の方墓
大阪城落城によって秀頼と共に自刃した淀殿の遺骨は淀姫神社にあったが、城東練兵場(現大阪城公園)造成に当り移祀された。
鐘楼





朱印

kazu_sanの一言
お寺にありました。

生きるとはなあ
いのちを わけあって いくことなんだよ
だから いたわりあって いくんだよ


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