玉津島神社 |
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玉津島神社(たまつしまじんじゃ、玉津嶋神社とも書く)は、和歌山県和歌山市和歌浦に鎮座する神社
稚日女尊、息長足姫尊、衣通姫尊の3柱に明光浦霊(あかのうらのみたま)を配祀する。
古来玉津島明神と称され、和歌の神として住吉明神、北野天満宮と並ぶ和歌3神の1柱として尊崇を受けることになる
社伝によれば、仲哀天皇の皇后息長足姫(神功皇后)が紀伊半島に進軍した際、玉津島神の加護を受けたことから、その分霊を祀ったのに始まるという。玉津島は古くは「玉出島」とも称された
神亀元年(724年)2月に即位した23歳の聖武天皇は、同年10月に和歌の浦に行幸してその景観に感動、この地の風致を守るため守戸を置き、玉津嶋と明光浦の霊を祀ることを命じた詔を発する。これが玉津嶋の初見である。この時同行した奈良時代の歌人山部赤人の詠んだ歌
若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る
— 『万葉集』巻第六(国歌大観番号919)
は有名である。 |
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拝殿 |
天然記念物
根上り松 大正10年に和歌山市高松から移された |
塩釜神社 |
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和歌山市和歌浦に鎮座する神社。
大正6年(1917年)、塩釜神社は玉津島神社の祓所から神社になった。
海産物、安産の神として信仰されてきた神社で、神体の塩槌翁尊は輿の窟という岩穴に鎮座する。
江戸時代の和歌山では「一に権現(紀州東照宮)、二に玉津島、三に下り松、四に塩竃よ」
と歌われ、塩田の塩を焼く釜からこの名が付けられたという。また、古くから安産の守神として祀られてきたことが考えられる。現在も安産の守護として、人々に親しまれている。 |
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拝所 |
不老橋
不老橋(ふろうばし)は、丁度、この神社の前に位置するアーチ型の石橋である。
片男波松原にあった紀州東照宮御旅所の移築に際して、第10代紀州藩主徳川治寶の命によって架けられた。第13代藩主徳川慶福の治世の嘉永3年(1850年)に着工し、翌4年(1851年)に完成した。
江戸時代のアーチ型石橋は、九州地方以外では大変珍しい |
御朱印 |