姫路城 |
姫路城 天守閣群 天守閣が総て見える場所がある。 天守閣は、大天守、乾天守、西小天守、東小天守の4つ 「イ」、「ロ」、「ハ」(上記写真)、「ニ」の4つの渡櫓。 以上の8つが国宝である。 上記写真のように「ハ」の渡櫓は、西小天守と乾小天守を接続している。他の「イ」、「ロ」、、「ニ」の渡櫓も、各々天守と接続しているので、天守と一体であり、この天守群が国宝群と言える。 |
姫路城 概略 築城は南北朝時代、赤松則村が姫路山上に築いた称名寺をもとに、正平元年(1346年)の赤松貞範による築城説が有力である。 豊臣秀吉が、姫山を中心とした近世城郭に改築。 慶長5年(1601年)、当時の城主、木下家定は備中に2万5千石で転封、代わって池田輝政が関ヶ原の戦いの戦功で52万石(播磨一国支配)で入城した。輝政が8年掛かりの大改修を行ない、広大な城郭を築いた。 その後、伊勢桑名から本多忠政が15万石で入城。元和4年(1618年)には千姫が本多忠刻に嫁いだのを機に西の丸が整備され、全容がほぼ完成した。 |
1.江戸時代以前に建造された天守を有する城郭(現存天守)の一つである。現在12城。 2.国宝四城(姫路城・松本城・彦根城・犬山城)の一つである。 3.日本の番地では皇居の「千代田区千代田1番地」に次いで広い面積を有する。「姫路市本町68番地」 4.世界遺産・国の特別史跡。白漆喰で塗られた城壁の美しさから白鷺城(はくろじょう)とも呼ばれる 5.テレホンカードは、ここ |
SPOT | |
写真は、2008.3.30撮影。あいにくの雨と桜は咲きはじめ。 | |
石碑と桜門橋と天守閣 | 三の丸跡からの天守 |
一部は桜も咲いてました | 小さな命 |
管理棟前からの天守 | 菱の門番所 三の丸から西の丸への大手口を固める城門。防御の工夫がされている。 |
白い城壁と桜 | 二の丸からの天守 ここからが、多分一番美しく見える。団体の記念写真用のベンチもあります。連立式天守という意味が分かる場所です。 |
化粧櫓の中 千姫ゆかりの化粧櫓。内部は他と違い、少し華やか |
外から見た、化粧櫓。 |
ここにも、桜が | 狭間(鉄砲を撃つ穴)と桜 |
天守閣は、近くに見えますが、これから、クネクネと曲がった道が続く。 | 天守閣までは、いくつかの門があるが、これは 「ほノ門」 極端に狭い鉄扉が特徴 |
水ニ門 天守に近づくと、門の名前に「水」が付く、「水五門」まで続く。 |
天守の内部 |
鉄砲が架けてある | 天守から二の丸方向 |
なかなか駆け上るのは難しい | 攻めるには難しい道幅 |
それぞれの城主の家紋。 右端しは「揚羽蝶」-池田家の家紋 |
天守の庭 昭和の大修理の時、礎石の一部を補強。それまでに使われていた礎石を元のままのレイアウトに並べてある。平成の大修理は、2009年度着工〜2011年。暫くは大天守が見えません。 |
城見公園に復元された雌雄の鯱瓦から天守閣 記念写真には持って来いの場所です。 |
姫路市立美術館前からの天守閣 |
好古園 姫路城の隣にある。 西御屋敷跡等、9つの区画に別れ、それぞれ趣の異なる、日本庭園が続く。 総面積、約10、000坪と言う広大さ。 |
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園内にあるレストラン「活水軒」の庭園 | 「活水軒」の穴子弁当 穴子は姫路の名物ということらしいが、焼き過ぎて、「ふんわり焼き上げた逸品」という謳い文句とは全然違う。 隣の外人さんはカレーだったが、賢明な選択か? |
姫路市立美術館 | |
建物は、明治時代の建物(明治末〜大正2年建築・旧陸軍第10師団の兵器庫、被服庫)とのこと。 それにしても、オシャレなレンガ作りです。 |
彫刻もなかなかいい。 常設展で、ヴラマンクがあるというので、ヴラマンク展を見に行く予習に行って来ました。「川沿いの村」という作品があります。 |