東洲斎写楽


東洲斎写楽

これほどワクワクさせる画家はいない。
デォルメされた絵はもちろんながら、その謎にもワクワクドキドキである。

東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく、生没年不詳)は江戸時代の浮世絵師である。寛政6年(1794年)に突然のようにデビューした後、確認されている作品は、約150枚、およそ10か月の期間内に集中しており、その後の消息は不明である。特に第1期と言われる寛政6年5月作の28枚が秀逸である。

当時は売れない画家だったと推測される。
それは「あまりに真に描かんとてあらぬさまにかきなせしかば」と言われるように、本来の目的であるプロマイド代りから大きく逸脱して、肖像画の世界に入ってしまったからです。

後年、ドイツの美術研究家ユリウス・クルト(de:Julius Kurth)がレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と"Sharaku"1910年発刊で激賞したことがきっかけで、大正以降、日本でも評価が高まった。

いつか「写楽」のコーナーをというのが念願であったが、ようやく出来た。

三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛
Updated:::
2008.12.27

写楽は誰か?
浮世絵類考は、浮世絵師の伝記、経歴をあつめたもので美術史の基礎史料である。
そこには、写楽斎 東洲斎写楽 俗称 斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也。これは歌舞妓役者の似顔をうつせしが、あまり真を画かんとてあらぬさまにかきなさせし故、長く世に行はれず一両年に而止ム。しかしながら筆力雅趣ありて賞すべし。と書かれている。
そして、それを裏付けるように「墓」があったり、いろんな資料があった。
しかしながら、肝心の阿州侯(阿波藩)の資料のどこを探しても斎藤十郎兵衛の名前が出て来ない。
いろんな資料にも捏造説が出て、昭和10年頃から、それこそ言うた者がかちという世界になっている。
主なところで30人を越すと言われている。
デォフォルメの謎は?
北森鴻は「写楽.考」で大胆な発想を見せる。
武家に伝わる「カラクリ箱」それを再現すると、何と、フェルメールも使ったのではないかと言う「カメラ.オブスキュラ」であった。ガラス板が湾曲していて一部が極端に大きく見える。フェルメールの「青いタ−バンの少女」の絵に出会い、これを入手出来た絵師が居たとすれば、「写楽」に成れたはずだ.........。
あの絵も背景は一色。確かに近い(笑)


代表的作品(第一期の作品)
タイトルの作品「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」も第一期の作品です。
四代松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛

前田朋子さんの「再会そして復讐」の表紙に使われました。"キセル"がポイントでした。
二世瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木と中村万世の腰元若草

やせた富三郎と肥った万世の対照が面白い
二代瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木

その芸風は師の真似に終始し、「いや富」と言われた。雰囲気出ています。
松本米三郎のけはい坂の少将実はしのぶ

写楽にしては、デフォルメ部分は手だけ、という綺麗な作品。
市川鰕蔵の竹村定之進

当時の大御所。貫禄十分です。
二代目小佐川常世の竹村定之進妻桜木


浮世絵の展覧会 リンク先はブログ
ギメ東洋美術館所蔵浮世絵名品展 写楽は「四代松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛」等11点 大阪市立美術館。2007.4
江戸の誘惑 ボストン美術館所蔵の肉筆浮世絵が中心。写楽はなし 神戸市立博物館。2006.4
うきよ絵名品展 松方コレクション。写楽だけでも18点という豪華な展覧会だった。 京都国立博物館。1991.4
紀州博物館 二代瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木他1点。  


写楽関係で私が読んだ本
昔から好きだったので、いろいろ読みました。今本棚に残っている分のリスト
  題名 著者名 備考 奥付
写楽の世界 高橋克彦 講談社カルチャーブックス

写楽を知るには格好の本です。
1992.4
  写楽殺人事件 高橋克彦 秋田蘭画 説 1983.10
  これが写楽だ 池田満寿夫 NHK特集の出版化
中村此蔵 説
1985.1
写楽は十八歳だった 中右 瑛 鳥居清政説
鳥居清長の息子。いくつかの作品を残しながら、忽然と消えた清政。彼が18歳の時の作品だと推理する。
1985.2
東洲斎写楽はもういない 明石散人.佐々木幹雄 斎藤十郎兵衛 説 1990.10
  写楽が現れた 定村忠志 TBS取材班。 1989.6
  写楽百面相 泡坂妻夫   1993.7
  東洲しゃらくさし 松井今朝子 写楽が主役ではない 1997.1
  東洲斎写楽 渡辺保 篠田金治 説 1987.5
  写楽失踪事件 内田千鶴子 斎藤十郎兵衛 説 1995.1
写楽まぼろし 杉本章子 蔦屋重三郎 説

蔦屋重三郎が7歳の時に離別した父親が写楽という説。
実は死ぬ間際まで、蔦屋重三郎は知らなかったのだが..。
商才にたけた蔦屋重三郎が無名の絵師に、これ程入れ込むことに「骨肉の匂い」がするという作者のイメージからの推理。
1989.1
写楽 仮名の悲劇 梅原 猛 歌川豊国 説

専門は哲学の著者が、推理を働かせる、その推理の過程が楽しい。
1987.6
写楽.考 北森 鴻 "式家"文書に記された“絡繰箱”と“べるみー”が、カメラ・オブスキュラとフェルメールにつながる。それが、どう写楽につながるのか?
そういう楽しみがあります。
背景を無地にするフェメール作品の技法を知り、カメラ・オブスキュラで歪んだ映像を知った絵師がおれば、写楽になれた....?
2008.2
浮世絵 大久保純一 国立歴史民俗博物館研究部教授の著者の、浮世絵の基本から、

錦絵はいかにつくられ、売られたか
錦絵の技法さまざま

さまざまな知識を得ることが出来ます。
2008.12


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