二,江戸時代からあった、コマーシャルの世界
式亭三馬は、式亭正舗という売薬店を開き、仙方延寿丹などの くすりを販売した、
化粧水「江戸の水」をつくって売り出したところ、これが女性たちにうけて、
大変繁盛しました。
三,士農工商のうち、第2位、農の身分の実体とは?
そして五人組とは?
江戸時代に制定された身分制度「士農工商」職人や商人より身分が
上に定められたのは最上位である武士階級の生活を守るためであった。
それをさらに効率よくするために考えだされたのが五人組制度でした。
四,江戸時代最大の文化運動が花開いた元禄時代!
人間のパワーがえらく濃い時代なんですよね・・
五,西洋からやって来た和食!?
今はすっかり和食系・・・でもその昔は・・!!
カステラ、テンプラ、エトセトラ
六、縄文土器、海を渡る?
日本の縄文土器が太平洋を越えて南米、エクアドルに渡ったという説。
歴史のロマンを感じますね
七、八百屋お七
八百屋お七(1668-1683) 天和3年(1683)3月29日、鈴ヶ森刑場にて火あぶりの刑に
処せられた少女。火事で焼け出され本郷、駒込の吉祥院に避難、その折りその寺の
寺小姓、吉三郎に出会い恋に落ちます。避難生活を終えた後、家に戻ったお七は
吉三郎が忘れられず又火事になれば会えると思い火を放ったと云われます。享年16歳
八、大井川の渡し賃はいくら?
箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川で知られる神奈川県の大井川、
東海道を江戸に下る際、最大の難関であった。江戸の防衛のため幕府は橋を
架けさせず船も置かせなかった、そのため川を渡るには、縁台に乗るか川越人足
の肩に乗るかしかなかった。渡し賃は川の水量で決まった、腰までなら48文、
脇の下なら94文という具合であった
(ちなみにそれ以上水が増えたら川止めといって渡れなかった)
九、敵に塩を送る?
かの有名な上杉謙信が、超有名な敵方の武田信玄に塩が無くて困って
いたので親切にも塩を送ったというとてもポピュラーなお話です。
十、苗(名)字はどうして出来た?
庶民に苗字が許された明治の頃、村一番の博識の和尚さんに苗字を付けてもらう人が
多かった。で、大きな木の下に住んでいるから木下さん、山の麓に住んでいる山本さん
という具合に・・和尚さんはさぞ大変だったことでしょう・・・
十一、源平の興亡
貴族世界の衰亡の陰で歴史は着実に武士の手に渡ってゆきました・・・
十二、徳川家康の大名統制
ためになりましたか?お勉強は楽しいですね!ホント学習漫画は最高です!
■次回につづく■