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■十月出題分の解説  校正者:市川浩


*(問題文)


英語は私たち日本人にとつて、母語ではありません。母語ではない言葉を使ふと私たちは、言葉に切實な實感がありませんから、どうしてもいい加減な、ムード的な言葉の使ひ方をします。正確な言葉の使ひ方の訓練ができてゐない内に、英語を學び、切實な實感のないままにムード的な言葉の使ひ方に慣れてしまひますと、一生日本語を正確に話せなくなります。英語を學んでも、言葉を正確に話すくせがありませんから、英語も正確には使へません。
                 (加藤淳平)


*(應募文)


一、
英語が我等日本人の母語でなきこと、改めて言ふまでもなく、斯く
母語でなき言葉を使へば、我等が 切実なる、言葉に於ける実感なきこと明白なり。 従ひて斯かる場合には、言葉の使ひ方が曖昧模糊たる、或は曖昧なる雰囲気に任せたるものにならざるべからず、是また自然の成行きにやあらむ。 正確なる言葉を使ふ訓練なきまま英語を学び、切実なる実感なきまま曖昧なる雰囲気に任せたる言葉の使ひ方に慣れし時、正確なる日本語を話すこと終生望むべくもあらず。英語を学びたりと言へど、正確なる話し方の習慣なき故、英語其れ自身も正確に使用すること能はず。
                 (K.Fさん)


二、
英語は吾人日本人より觀るに、母語にはあらず。吾人、母語にあらざる言葉を用ゐるに
於てや、言葉に切實なる實感あらざれば、徒らに杜撰且つ情緒的なる言葉の使ひ方をするに至れり(=る)。未だ正確なる言葉の使ひ方の訓練をせざる内に、英語を學びて、切實なる實感のなき儘に情緒的なる言葉の使ひ方に慣れぬれば、終生邦語を正確に談ること能はざるに至る。假令ひ英語を學ぶとも、言葉を正確に談る習慣あらざれば、英語も亦正確に用ゐること能はず。
               (則天去私さん)


三、
英語は我等日本人にとりて母語に非ず。我等、母語に非ざる言葉を使はば言葉に切實なる實感あらざるが故に無責任にして情緒的なる言葉遣ひにならざるべからず。正確なる言葉遣ひに慣熟せざる内に英語を
学(=學)びて切實なる實感なきままに情緒的なる言葉遣ひに慣れてしまはば生涯国(=國)語を正確に話すこと能はず。英語を学(=學)びても言葉を正確に話す習慣無きが故に英語も正確には使ふ能はず。
                 (石井さん)


*(解説)



赤字は誤、青字は解説箇所原文、括弧内は應募文番號。紫字は添削試案


談る(二)は「カタル」と訓むならむも、むしろ「談ず」「タムズ」(この場合は連體形なれば談ずる)とすべく。学、国(三)など「常用漢字」の使用は差し支へなきも、「切」「感」などと混淆するは避くべし


母語でなき(一) 「〜でなし」は口語、母語ならざるなど、 使へば(一)「已然形+ば」は「使ツテヰルノデ」の意、假定を表さむには使はばと未然形を用ゐる


慣れし時(一)「し」は囘想の意を含み「慣レテヰタアノ時」の意。また慣れぬれば(二)は「慣レテシマツタノデ」の意、慣れてしまはば(三)はやや口語的。慣るれば、慣れなば、慣れたらむにはなど。「慣れなば」の「な」は完了助動詞「ぬ」の未然形。


言葉を用ゐるに於てや(二)「於てや」ははやや反語のひびきあり。於けるやが妥當か


徒らに杜撰且つ情緒的なる言葉の使ひ方をするに至れる(二) 「ムード的ナ言葉ノ使ヒ方」の直接文語表現に適切なるもの見當らずばものの言ひやうとかく杜撰且つは當座の氣分に任すに至れるなど語順を換ふるも一法。なほ「至れる」は「至る」の已然形(最近の文法では命令形とも)+完了助動詞「り」の連體形(「於てや」の「や」と係結)で「至ツテシマツタ」。ただし文意からは「至る」で可。


◆ この問題文論理の鎖つながり整然たり、「レバ則」文も一案(下記試案)


*(擔當者試案)



英語吾ら日本人の母語に非ず。母語に非ざれば則ち吾らこれを使ふに切實なる實感なし。實感なければ則ち加減弛緩して當座の氣分に墮すのみ。母語を正確に使ふ能はざるに、英語を學び、切實なる實感なくして當座の氣分に墮すれば則ち竟に母語を正確には使ふ能はず。母語を正確に使ふ能はざれば即ち更に學ぶと雖も英語の熟達豈望み得べけむや。
                  (市川 浩)



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