「契冲」のホ-ムペ-ジにもどる

文化と歴史的假名遣                   

  市川 浩          

「文化を擔ふといふこと」 「明海」十一號(平成十一年)より拔萃

集團に屬するすべての人による習得と傳承といふ營みそのものから、文化を自分なりに定義できるのではないかと、私は大それた考へを起しました。先づ文化の屬性を考察してみると、習得のための修練には少なくとも美的洗煉を伴ふ一つの形式としての完成が要求されてゐます。(中略) また傳承には次世代の參入とそれへの教育とが大きな要素として含まれてゐます。そこで私は次のやうに定義してみました。

文化とは或集團獨自の美的形式であつて、その集團全員の習得と傳承の營みによつて世代間に受け繼がれるものであると。

では日本民族を存續せしめてきた、獨自の文化とは、皇國(すめらみくに)といふ國體、言靈(ことだま)の幸はふ國語、豐葦原の瑞穗國の水稻農業、「花は櫻木」といひ、また工(たくみ)といふ木や森との共生、以上の四つが、恰も正四面體を形成して、密接に結附き(産靈)、これを核として生成發展してゐる、といふことであります。

「古事記」によれば、言靈の響きは天地開闢と同時に始まり、應神天皇の御代に漢字が渡來して文字の使用が始つたとされます。

以來、漢文の訓み下し、萬葉假名から、假名の發明など獨特の發展を遂げ、更にこの假名をどう遣ふか、鎌倉時代の藤原定家から江戸時代の契冲や本居宣長を經て、多くの人々の貢獻が積み重なり、極く近年になつて歴史的假名遣が完成しました。(明治三十六年の國定教科書制定をもつて實質的通行が開始されたと見るのが一般的です)。

國語はたとひ音韻や文體が變化しようとも、その根源は平安中期以前の言葉に他ならず、契冲が、この時期の文獻を根據に、假名遣の原理を確立したのは、劃期的な業績であると同時に、將來を含めて、我が國の歴史上すべての文書を「統一的に表記」する鍵でもあるのです。

これは生物がどのやうに進化しても、すべて地球上最初の生命體にその起源がり、その遺傳子の構造によつて凡ゆる生物を統一的に記述できるのと同じです。故にこれこそが「歴史的」の名を冠する所以であり、(中略) このお蔭で、我々は今日古典に親しむことができるのです。

パソコンやワープロに於ける假名漢字變換といふ發明は、歐文用と同じキーボードから漢字假名交りの日本語の文章が入力できる素晴らしいもので、漢文の訓讀や假名の發明にも匹敵する國語史上の快擧です。

ところが悲しいかな、これは「現代假名遣い」にだけ對應してゐるので、「けふここのへににほひぬるかな」と假名で打込んで變換してみても絶對に「けふ九重に匂ひぬるかな」とはなつてくれません。

日本語ワープロといふ以上は「古事記」でも「源氏物語」でも何でも現代文竝に扱へなければならないのに、鴎外や露伴はおろか、日本國憲法すら入力に不自由する。

これでは困るではないかと、コンピューターの專門家でもなく、また國語の專門家でもない私が獨力で、歴史的假名遣に對應できる假名漢字變換ソフトの開發に挑戰したのです。すると如何でせう、歴史的假名遣は文法との整合性が優れてゐるお蔭で、非常に短時間で開發に成功してしまつたのです。

これが「契冲」で當初はMS-DOSで作動する管理工學研究所の「松茸」で作動してをりましたが、現在ではウィンドウズ95に對應する「松茸」でも使用できるやうになりました。「現代假名遣い」で打込んでも歴史的假名遣に變換できる學習版もあります。ぜひ御利用下さい。