<書名> Words, Novels, and Drama

<原題> 批評家の手帖(副題<言葉の機能に關する文學的考察>

<著者> 福田恆存(ふくだ つねあり)

<特徴> 1959年に書かれたものだが、言葉は普通、人が考へてゐるほど萬能な傳達

    道具ではなく、その機能または作用は、實のところひどく限られてゐる、と著者

    は説く.人は自分に使へる言葉しか使へず、その言葉は自分の内部にしかないの

    だが、その自分の考へを規定するものも言葉であり、そのはうの言葉は自分の外

    部にあって、自分をつつみこんでゐたものなのである。

     本書は5ないし10行ほどの短い斷章を283篇つらねたもので、<手帖>といふ

    題名はそこから來てゐる。その第1篇は次のとほり。

    

    “確かなものは一つもない.おそらくそのためであらう、人は確信をもって語り、

    確信をもって行ふ。少なくともさうすることを好む.つまり、言葉をもって、あ

    るいは行動によって、他人を支配しようと欲する。その支配の過程を通じて、未

    確定のものが始めて確定的になる。“

 

     一體、いかなる體験が著者をして“確かなものは一つもない"と斷言させたのか。

    その答へを著者は他の本で"自己は隱さねばならぬといふ表現で間接的に出して

    ゐるのみなので、讀者としては自分で想像するか、體験するしかない。

     本書は次の一節で終はる。

 

    "言葉そのものがアイロニカルな存在なのだ.それは事物を指し示すものである

    と同時に、事物そのものだからである。藝術がまたさうではないか.それは藝術

    であると同時に自然である.藝術に完成はありえない。藝術にだけ完成がありう

    るわけがない.この平凡な事實を、現代の藝術はもっと反省しなければならぬ 

    のではないか。“

 

     以上のやうな二つの章のあいだの空白を埋めるのは讀者の仕事だが、ひとつだ

    け例をあげれば、現代の小説がつまらないのは、作者が小説の背後に隱れてしま

    ひ、その肉声が聞かれなくなった爲だと、著者の福田氏は言って、その實例を英  

    國と日本の小説から取り出して、巧みに示してくれる.

     この本が、書かれて40年後の今、英譯されてゐて、その譯者自家版を既に青山

ブックセンター(青山本店及び廣尾店)や申申閣直賣で入手できる.鋭く深い評論

の精讀が、そのままあなたの英作文能力の飛躍的進歩につながるのだから、見逃す

手はない。

 

 對譯ではないので、原書で入手可能なものを下に記しておく。

 

 文藝春秋『福田恆存全集』(全八卷)中の第五卷