薬箱戦争 ● 第二夜
20020707
日本の神話
画 ● 稲村 光男
update ● 20020718

●●● 「薬箱戦争」第二夜です。いろいろの事情から第一夜の談話から半年もたってしまいましたけど、ついにみなさまの前に公開されて、前回のが「宣戦布告」とすると、いよいよ今回からこの思想談話室の戦闘のはじまりですね。その後いかがですか。

光男● はい。この「薬箱戦争」では、これまで十年間にわたってフリーペーパー文化誌「献血劇場」にあれこれ書いたりしてきたことを思想的に検証してみたい、と思って構想したんですけど、なかなかみなさまにお届けすることができなくて、でもそのぶんだけ、いまはもうおはなししたいことでいっぱいです。

●●● 前回おはなししたのが2001年の秋で、その後記にもありますように、9月にアメリカで起こった同時多発テロから、世界中が混沌としていた時期で、そのままの状況でいまに至っているみたいな感じがしますが。

光男● じつは「薬箱戦争」という談話室をつくって思想についてのおはなしをしてみたいと思ったのはそのテロが起こるちょっと前くらい、2001年の夏あたりからだったんです。そのころ一番のぼくの関心事は、「歴史教科書問題」でした。

●●● これもその前回の後記で触れてありますけど、「歴史教科書問題」と「靖国神社参拝問題」が大きな話題になった夏でしたね。

光男● そこでぼくはずっと前に「献血劇場」に書いた、こんな絵と文を思い出していました。まず今回はこちらをクリックしてご覧になってみてください。↓

「日本の神話礼讃」 *「献血劇場」VOL.25(19970615初版)掲載「雨の日の女」番外編より 日本の神話礼讃

●●● なつかしいですねー。初出誌は「献血劇場」VOL.25、1997年夏の号ですから、もう五年前になります。このビアズレー風のイラスト、けっこう評判がよかった絵ですよ。

光男● ビアズレーの「サロメ」とかっていいなあって思ったとき、どこがよかったかって思い返してみると、ゴテゴテしたヨーロッパのデカダンスなんかじゃなくて、日本の神道みたいなところに通じそうな簡素で清冽なイメージだったんです、ぼくにとっては。

●●● いわゆる19世紀末のジャポニズムの代表でもありますから。

光男● 戦前の教科書の神話の挿し絵とかってちょっとそんな感じあるでしょう。

●●● あ、それでまた歴史教科書問題と結びつけようってパターンですか?

光男● そう先回りして見抜かれてしまっては話しづらいなあ。

●●● まあ、そう言わずに続けて下さい。でも、教科書問題って、侵略戦争を肯定してるとか、日本軍による従軍慰安婦の強制連行を否定してるとかなんとか、近現代史について取り沙汰されていたような気がしますが。

光男● たしかに歴史教科書がことさら問題にされるようになったのは近隣諸国というか、ようするに中韓との国際関係からで、そこではまず近現代史に焦点があてられていたみたいなんですが、ぼくにとってこの問題への興味は別の方向から湧いてきたんです。何からおはなししていいのかな・・・。たとえばぼくの母は昭和10年の生まれで、敗戦時といえば小学生の少女時代だったはずなんですが、そのころ学校で教科書に墨を塗らされた思い出について語ってくれたものでした。

●●● いわゆる皇国史観とか、忠君愛国といった思想の芽を摘んでおこうっていう、進駐軍の言論統制の一環ですね。そこまでさかのぼるわけですか。

光男● それで日本の神話が墨で塗りつぶされてしまって、ぼくらが生きている時代ってなにかとても大切な、ほんとうにステキなものをなくしてしまったままなんじゃないかっていうことを書いてみたくなったんです。素朴な動機として。

●●● そういえば「献血劇場」VOL.28掲載の「雨の日の女」では、こんなふうに書いてましたね。

もしもタイム・マシンがあったなら、みなさんはどんなことをしてみたいと思いますか?ぼくは40年の時をさかのぼりぼくが生まれるずっと前の東北のかたすみの山あいの農村へいってみたいと思います。そして少女時代のぼくのおかあさんと出会ってみたいのです。
(「献血劇場」VOL.28 / 19980427発行 「雨の日の女」その28より)

この「少女時代のおかあさん」というモチーフも関係あるみたいですね。

光男● その時も触れておきましたけど、ぼくがそう書いたとき思い浮かべていたのは谷崎潤一郎の「吉野葛」という小説でした。これ、ほんとうにステキな作品です。おぼえておいて下さい。

●●● 谷崎文学が「急角度を以て古典的方向に傾いた記念的作品」と、佐藤春夫が評しています。

光男● 谷崎潤一郎の作品はどれもすごくおもしろく読んだけど、「陰翳礼讃」なんか読んでみたら論旨そのものはちょっとうすっぺらな感じがしてしまって好きにはなれなかったものでした。なんか日本人のくせに外国かぶれした視点から日本文化をもてあそんでるみたいな感じで。もちろん文章力がすごすぎるから、それでもやっぱりおもしろいんですけどね。

●●● でもその視点って、ビアズレーの絵を見てから日本の神話を再発見するようなものじゃないですか?

光男● まあはっきりいってそうだと思います。その点ぼく自身も自己批判します。たしかにそんな視点だけだったらちょっとうすっぺらですよね。だけど「吉野葛」はぜんぜんそんなものじゃなかったんでびっくりしてしまったんです。ぼくはこの作品、何か軽い紀行文みたいな体裁にだまされて寝転がりながら読みはじめて、気がついたら正座して読んでいて、おしまいには思わず立ち上がってしまうくらいに感じ入ってしまったんです。

●●● 「吉野葛」は昭和6年に発表されて、「陰翳礼讃」のほうはその後、昭和8年が初出のようですけど。

光男● ぼくは逆の順序で読んじゃったんだけど、「吉野葛」みたいにステキな、神話にも通じるようなほんものの日本の古典世界へせまった作品のあとにどうして「陰翳礼讃」みたいな意見が出せるのかちょっとわからないなあ。三島由紀夫が「谷崎潤一郎氏は、他への批評では三流の批評家だったが、自己批評については一流中の一流だった。」って言ってるのって、そういうところなのかも。

●●● ではちょっと「陰翳礼讃」ならぬ「日本の神話礼讃」のほうへおはなしを戻してみましょう。つまりは日本の神話の復権というか、もっとメジャーなものになってほしいというわけですか?

光男● 実際に日本の神話が、この国の若者文化なんかにとって何ほどのものでもないっていうのはさみしいことだとは思います。でもね、かならずしもメジャーなものになればそれでいいってわけでもなくて。たとえば近ごろで言うと、「陰陽師」とか「安倍晴明」とかって、ほんの十年くらい前までは圧倒的にマイナーだった歴史上のアイテムがいまや大人気でしょう。

●●● あ、そうですね。大ヒットした漫画に映画に、それに最近ではテレビの心霊番組でもあやしげな陰陽師が大活躍ですよ(笑)。それを思うと日本の神話が大ブレイクするってこともありそうなおはなしですが。

光男● ぼくは日本史と天文学が大好きなヘンな子供だったから、陰陽道とかって小学生のころから興味あったけど、それとはべつに安倍晴明って謡曲「葛の葉」の主人公で、この国の民俗が伝えてきた口承文芸のなかで重要な位置にある人名なんですよね。おかあさんが狐だったっておはなしで、「恋ひしくば訪ね来てみよ和泉なる信太の森の恨み葛の葉」って歌が中心になって展開される。例の「吉野葛」でもそれを重要な下敷きにしてるんですが、それはもう見事なものです。

●●● 「献血劇場」VOL.38で書いてるのもそのことに関係ありますね。

これまでここで取り上げてきたステキな言葉の担い手たちの作品は、思えばみんな母恋いの歌でした。泉鏡花、谷崎潤一郎、それに寺山修司。その系譜を謡曲に代表される中世からの口承文芸にたどるのは簡単なことですが、もしかするとその根はもっと深くて、悠久の古代までもさかのぼれるものなのかもしれません。なにしろぼくらのこの国で、神代のむかしはじめて歌をうたった最初の詩人は、「お母さんの国へ行きたい」と泣き叫んで青山を枯らしたスサノヲノミコトという荒ぶる神さまだったのですから。
(「献血劇場」VOL.38 / 20010119発行 「雨の日の女」その38より)

なんかまたちょっとお得意のこじつけめいてますけれど、つまりはそういう系譜のうえにあるんだということですね。

光男● そう思うんです。それで考えてみると、最近のブームのうえで「安倍晴明」とかって、どうなんでしょう?ぼくはブームの中身まで検証してないから一応留保しておきますけどね。果たしてそういうコンテクストを持ってるのか、それとも単なる記号でしかないのか?

●●● うーん、どうなんでしょうね?

光男● だから、記紀神話のストーリーがサブカルチャー経由でメジャーなものになるって筋書きにしても、大手の広告代理店が仕掛ければ簡単なことでしょう。だけどそれで大いに消費されてめでたしめでたしっていうふうにはならないですよ。

●●● なりませんか?

光男● なりません。そんな様々な意匠のひとつとして相対的にメジャーかマイナーかで云々してもしようがない。それは「思想」の問題だからです。

●●● はあ、なんだかむつかしいことになってきましたね。

光男● むつかしいといえば、こんなふうにして「思想」を検証してみよう、なんて言ってるけど、ぼく自身むつかしいことはとても苦手です。興味のない哲学の本なんて1ページ読むのも苦痛ですから。でもあえて「思想」を問いたいと言い出したのは、「ほんとうにステキなことって何だろう?」とか「ステキな言葉ステキな詩ステキな歌」とか探っているうちに、やっぱり「歴史認識」というのが鍵なんじゃないか?って思ったからなんです。

●●● ちょっとお聞きしておきますけど、「神話」って「歴史」なんですか?

光男● いいところに気付きました。ぼくが書いた「日本の神話礼讃」では三輪山の麓にある箸墓古墳にまつわる物語をご紹介というかたちをとっていますが、あえてこれをとりあげたのはその文学的価値もさることながら、むしろ歴史と神話というところからみてものすごく興味深いものだったからなんです。

●●● つまりその伝説が史実だったということですか?

光男● そんなに単純なおはなしじゃないですけど、まず、かなり歴史的な真実に迫るものだということは言えると思います。

●●● 「近年の考古学の成果によると、箸墓古墳は日本の古墳時代のはじまりを告げる画期的なもので、またその周辺を含む三輪山麓に3世紀代の大集落があったことなども分かってきているようです。」とのことですが、なんだかシュリーマンの発掘でギリシャ神話にでてくるトロイヤ戦争がおおよそ史実のとおりだったのがわかった、みたいなことを思い出しますね。

光男● そういうところが確かにあります。ぼくはもちろん考古学についてもしろうとだけど、三輪山麓にある古墳時代前期の広大な集落跡、纏向(まきむく)遺跡の発掘で分かったことと、記紀に記されている伝承の整合性って、素直に考えてどうしたって無視できないと思う。

●●● 「思うに中国の史書に描かれた有名な邪馬台国の卑弥呼という女王も、このももそ姫のことだったのではないでしょうか。 」ともありますけど、肝心のその古墳を発掘するっていうのはダメなんですか?ヒミコの金印かなんかでてくるかも。

光男● 箸墓は宮内庁が「天皇陵」に治定されている古墳に準ずる「陵墓参考地」として管理してるんで、発掘できないそうです。

●●● 残念ですねー。

光男● そもそも古墳の被葬者というのはほとんどが特定できないという現状で、科学的な調査をしなければ陵墓かどうかもよくわからない、という意味ではたしかに本末転倒で残念なことなんだけど、ただ、こんな1700年も前の遺跡をご先祖様のお墓として守っているってすごいことです。つまりこの古墳はまだ生きている。そこに絡んでくるからこそあの神話もぼくらの思想にとってたいせつな、象徴的な意味を持ってくるところがあります。

●●● 「ぼくらの国がそこからはじまったところに伝えられるこの神話」という言い方をしていますね。つまりそれって、天皇制、のことを言っているんですか?

光男● つきつめて言ってしまえばそのとおりです。この国でほんとうにステキな言葉、ステキな詩、ステキな歌、ということを思う時、どうしてもそこに収斂していかざるをえない。逆にいうとどんなに日本的なノスタルジーを装った意匠であっても、それとまったく無縁のものはみんなニセモノで、ぼくにはまったく興味がありません。

●●● コンテクストをなくした単なる記号ってことですね。でも、そんな、コンテクストってものが結局は「天皇制」だなんて、誤解されるようなこと言うと、あの、なんて言うか、つまりその、「右翼」だって言われますよ。

光男● 何と言われてもいいけれど、ぼくは時勢にのって右寄りのポーズをしてみせたり、いわゆる保守派を気取ってみせたりするつもりではないので念のため。ただぼくは、例の「教科書問題」で賛否両論の的になった「新しい歴史教科書」については、はっきりと支持します。

●●● あ、そうきましたか。そのこころは?とお聞きしたいところですが、長くなってしまいそうなので今回はひとまずこのへんで。次回はその問題の扶桑社版の中学校教科書もひもときながらおはなしをすすめてみましょう。みなさまどうぞ次回「薬箱戦争●第三夜」をお楽しみに。

● 第二夜後記 * 20020718 ●

あとがき ・・・「日本の神話礼讃」でとりあげた「ももそ姫」の神話は「日本書紀」祟神天皇十年九月条にあります。ほとんど直訳ですが、ぜひ原文のほうもお読みになってみて下さい。谷崎潤一郎「吉野葛」もとくにおすすめの一冊。岩波文庫では写真付きでご覧いただけます。扶桑社から出ている「新しい歴史教科書」は2001年夏に市販されベストセラーとなりました。一般の書店で容易に入手できますのでぜひ次回「薬箱戦争●第三夜」の予習もお忘れなく。

吉野葛,蘆刈 改版
谷崎 潤一郎

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