たとえば夜空をいろどるギリシャ神話が西欧の子供たちにどれほど愛され詩的空想を豊かにしてステキな作品の数々の源泉となったことか、などということを思えば、ぼくらがぼくらの神話世界を持ちながら誰にも教えてもらえずに、また語り継ぐこともできずにいるということは、どうもこの国がお金持ちになって欲しいものは何でも手に入れながらもどこか貧しくてさもしいのもそのあたりに原因があるのではないかとさえ思われてしまいます。 上宮聖徳太子の伝説は仏教伝来のカルチャーショックのなかに浮かび上がった最後の神話的世界でもありますが、その向こう側にはイギリスで言えばキリスト教侵攻以前のケルト妖精世界のようなステキな日本の神話世界があるのでした。ある意味プラスティックでファンタスティックで、そしてとってもエロティックなそんな世界が、この日の出る国の子供たちにもっと親しまれたならステキなことだと思います。というわけで今回はそんなお話をひとつだけご紹介いたします。

倭迹迹日百襲姫命 初国知らしし御間城天皇(みまきのすめらみこと)の御代、やまとの国の美しい山、みわ山の麓にももそ姫という高貴なお姫さまがおられました。ももそ姫のもとへは夜な夜な通う若者がありましたが、それはみわ山の神さまでした。その恋人は昼はあらわれず、夜のみやって来るので、ももそ姫は「あなたはいつも昼にお見えにならないので、お顔ををよく見ることができません。お願いですからしばらくとどまってください。夜が明けたときあなたのうるわしいお姿を見せていただきたいのです」と言いました。みわ山の神さまは、「それでは明日の朝あなたの櫛を入れる箱のなかに入っていましょう。けれどその姿を見て決して驚かないように」と答えました。ももそ姫は不思議に思い、夜が明けるのを待って櫛の箱を開けてみると、そこにはとてもうるわしい小さな蛇が入っていたので、約束を忘れて思わず叫んでしまいました。それで神さまは「あなたはわたしに恥をかかせた」と怒って、大空を踏んでみわ山へ帰っていってしまいました。ももそ姫はそんなふうになってしまったのを悔やんで思わずその場に座り込んでしまいましたが、そこにあったおはしで姫のからだのいちばん大切なところを傷つけて亡くなってしまったのでした。 ももそ姫が葬られたお墓は「はしのお墓」と呼ばれ、現在奈良県桜井市にある秀麗な前方後円墳がそれだと言われています。近年の考古学の成果によると、箸墓古墳は日本の古墳時代のはじまりを告げる画期的なもので、またその周辺を含む三輪山麓に3世紀代の大集落があったことなども分かってきているようです。思うに中国の史書に描かれた有名な邪馬台国の卑弥呼という女王も、このももそ姫のことだったのではないでしょうか。

ぼくらの国がそこからはじまったところに伝えられるこの神話は「三輪山式神話」といって、この国の口承文芸の基本中の基本のひとつなのですが、いまや誰もこんなお話を教えてくれずに埋もれているのはとてもさみしいことです。なぜならぼくはこの短いお話のなかに、神の嫁としての巫女の禁断の処女性の美しさとか、男性器の隠喩としての蛇性の淫とか、山に棲む先住民の霊的世界とか、夜の闇のなかにだけある招請婚時代の恋の姿とか、たったひとつの約束が守られなかったための古典的悲劇とか、器物による女性器破損という取り返しのつかない物語の破局とか、あらゆる詩的空想へと誘ういろんな要素が凝縮され結晶した姿を見てしまうのですから。

さて、あなたにとってはいかがなものでしたでしょうか?

「日本の神話礼讃」

絵と文・稲村 光男



【profile * 稲村光男】 | 【本とレコード評●雨の日の女】 | 【稲村光男抒情画工房】 |【blog ● 薬箱手帖】 | 【サイトマップ】

◆◇ search

古本ギャラリー喫茶 点滴堂

万年少年少女思想談話室●薬箱戦争薬箱戦争
フリーペーパー 献血劇場 web-site / top献血劇場  web-site / top
稲村光男抒情画工房 | 薬箱手帖