* 雨の日の女 ◆ その29*

絵と文・稲村 光男

RAINYDAY WOMEN #12&35

books & records review with lyrical illustrations
by mitsuo inamura
初出誌◆ フリーペーパー「献血劇場」VOL.29 ◆ 19980715 / 初版発行
「雨の日の女」ロゴ
雨の日の女
… but I would not feel so all alone, everybody must get stoned.
◆◆◆

『雨の日の女』は、「この堂々めぐりの世の中からのがれることはできないものか」ということを、本やレコードといった物件をとおして探究するページです。

今回の物件 ◆ 柳田國男
「遠野物語」

雨の日の女#29 挿絵3 柳田国男 新文芸読本

ここのところ、ぼくがおやすみ前に聴いているお気に入りの音楽はドノヴァンの1971年作品「HMSドノヴァン」です。
最近になってようやくCDでも手に入るようになった(1998年1月us盤リリース)まぼろしのこのアルバムは、まちがいなくブリティッシュ・フォーク・トラッドというか、あるいはケルティック・ロックとでもいうべきステキな音楽の隠れた名作で、そこで歌われるトラッドや童謡、ルイス・キャロルらの児童詩をのせたメロディのうしろ側にはひっそりと、けれどたしかに妖精が息づいている、聴けば聴くほどそんな気がしてなりません。

メルヘンチックでサイケデリック。
ドノヴァンの音楽のステキさを語るなら決まってそんな形容詞が浮かんできますが、そんな音楽なら他にいくらでもあってよさそうなものです。
それでもやっぱりドノヴァンでなければならないのは、その唯一無比の、どうしようもなく時代不明な「なつかしさ」のせいなのでした。

1960年代から18世紀へ、中世そして古代へと、自在に時代をかけめぐるイマジネイティヴなこの現代の吟遊詩人の歌のなかに息づく妖精の世界。
それはキリスト教と近代ヨーロッパに駆逐されてしまった限りなくなつかしいケルトの先住民族のなれの果ての姿にちがいありません。
そしてそれはただ遠い異国のおとぎばなしにすぎないわけではなくて、かつてはわが国にもたしかに息づいていたなつかしいある世界を思い起こさせてくれるのです。

HMS Donovan HMS Donovan

●ジャケット装画のイラストレーションのなかでもすっかり妖精世界の住人になっているドノヴァン。ブリティッシュ・フォーク〜英国音楽を愛する方のみならず、童謡・絵本・妖精譚など、ステキなものを愛するすべてのひとにおすすめです。

十代の終わりごろから不眠症気味で、ひどい寝つきの悪さに身も心も痩せ細る思いをしてきたぼくにとって、おやすみ前に聴く音楽や頁を繰る枕元の本は何がよいか、という問題はとても切実なものでした。
ぼくは妖精はもとより、お化けや幽霊といった怪異、この世ならぬ超自然現象をこの眼で見たことがありません。だからぼくが安らかに眠ることができなかったというのは、きっと死ぬことが怖かったからなのかもしれません。
音楽でも本でも絵でも、この世ならぬステキなものを必要としましたが、ほんとうにぼくにそんなものを感じさせてくれるものはごく一握りだけで、たいていは何か大切なものが欠けてしまった絵空事だったものでした。

その大切な何かとはあえて言えば共同幻想という一種のまぼろしだったのかもしれませんが、それをみたしたごく一握りのステキなもののひとつがドノヴァンの音楽であり、ひとつはわが国のとある郷にも明治の末年まで息づいていたトラッドやフェアリー・テイルをこのうえなくステキなフォークロア文学として結晶させた今回の物件「遠野物語」をはじめとする柳田國男先生の著作だったのです。

雨の日の女#29 挿絵1 赤坂憲雄「柳田国男の読み方 もうひとつの民俗学は可能か」

学校で習ったことなぞはほとんどきれいさっぱり忘れてしまいましたが、国語の教科書で「遠野物語」と出会ったときの印象だけはいまでもあざやかに思い出すことができます。
それは「願はくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」と宣言したすばらしすぎる序文と、六十三話に語られるマヨイガへ行き当たった女のおはなしなどだったと記憶していますが、この世のものとは思われないけれどどこかなつかしくてたまらない世界を語るその簡潔にして呪術的なまでに美しい文語体にぼくはすっかり圧倒されてしまいました。
文学、というよりも言葉というものがこんなにもステキなものでありうるということを子供心にも思い知らされてしまったのです。

雨の日の女#29 挿絵2  吉本隆明「定本 柳田国男論」

山々の奥には山人住めり。栃内村和野の佐々木嘉兵衛といふ人は今も七十余にて生存せり。この翁若かりしころ猟をして山奥に入りしに、遥かなる岩の上に美しき女一人ありて、長き黒髪を梳りてゐたり。顔の色きはめて白し。不敵の男なれば直に銃を差し向けて打ち放せしに弾に応じて倒れたり。そこに馳けつけて見れば、身のたけ高き女にて、解きたる黒髪はまたそのたけよりも長かりき。のちの験にせばやと思ひその髪をいささか切り取り、これを綰ねて懐に入れ、やがて家路に向いしに、道の程にて耐へがたく睡眠を催しければ、しばらく物蔭に立ち寄りてまどろみたり。その間夢と現との境のやうなる時に、これも丈の高き男一人近寄りて懐中に手を差し入れ、かの綰ねたる黒髪を取り返し立ち去ると見ればたちまち睡は覚めたり。山男なるべしといへり。

柳田國男「遠野物語」より

若き日の柳田國男先生が抒情の歌を歌う詩人・松岡國男として出発したことは、その後の膨大な業績の影に隠されてあまり語られることもありませんが、ぼくにはとても大切なことに思われます。
なぜならぼくにとって近代人文科学史上最大の成果とも言われるこの柳田民俗学というものの正体はといえば、「亡き親の親の親の親たちのことを、袖を捉えてふるえたい程懐かしく」想う夢見がちな少年の歌う一篇の壮大な抒情詩が、国家を形成する共同幻想と民族の信仰と歴史に迫っていく軌跡だったのですから。

雨の日の女#29 挿絵4 橋川文三「柳田国男論集成」

かのたそがれの國にこそ
こひしき皆はいますなれ
うしと此世を見るならば
我をいざなへゆふづつよ

松岡國男「夕づつ」

ぼくらはもうとっくの昔にこの世の堂々めぐりなんかにはうんざりしてしまっているのですが、そこからのがれようとしてみたところで、ただの空想が描いてみせるだけの世界にはたいてい何かが欠けてしまっていて、その何かというのはうまく言えませんがあるぬきさしならない深みをもった「なつかしさ」なのでした。
ぼくらがほんとうに必要としているこの世ならぬステキなものは、そんなに手の届かないほど遠くにあるのではなくて、少なくともぼくらのおじいさんの若いころくらいまでは「目前の出来事」としてその辺りの山影に見え隠れしていたかもしれない、そんな紙一重のはだざわりを感じさせてくれて思わず知らず血が騒いでしまう「なつかしさ」なのです。

二十一世紀も眼の前だというのに何を寝惚けているのだと近代的自然主義的なひとにはお叱りをうけてしまうかもしれません。
また単なる空想と想像力の区別がつかない方にはきっと誤解されてしまうかもしれません。
けれどこの歴史を貫く軸の上で他界願望と現在の事実が交差するところにだけ感じられる「あるぬきさしならない深みを持ったなつかしさ」を感じることもできずにこんな堂々めぐりの世の中に生きながらえていたってしょうがない、と思います。
ぼくはほんとうにそう思ってしまうのです。

ぼくらにはもうそんななつかしさをたたえたこの世ならぬものをかんじることなぞ無理なことなのでしょうか?
もしもそれをかなえてくれるものがあるとするなら、それはやはりステキな言葉ステキな歌ステキな詩でしかありえないと思うのです。
たとえばドノヴァンの歌う妖精世界のように。あるいは柳田國男先生の語る、ふるえたいほどなつかしいぼくらのご先祖様のうしろ姿のように。
そしてほんとうにそんなものを感じることができたなら、きっとぼくもやすらかにこの世の堂々めぐりに「おやすみなさい」を言えるのかもしれません。

雨の日の女#29 挿絵5 池田弥三郎 谷川健一「柳田国男と折口信夫」

うたて此世はをぐらきを  
何しにわれはさめつらむ、
いざ今いち度かへらばや、
うつくしかりし夢の世に、

松岡國男「夕ぐれに眼のさめし時」

はたしてそれは無理なことなのでしょうか?

■つづく■

今回の物件 ◆ 柳田國男
「遠野物語」

1910年 聚精堂・刊

泉鏡花が「遠野の奇聞」で「再読三読、尚ほ飽くことを知らず」と絶賛した極上の怪異譚。けれどそれはけっして単なるメルヘン寓話的絵そら言などではなく、三島由紀夫が遺作となった評論「小説とは何か」で「『あ、ここに小説があった』と三嘆これ久しうした」という根源的な力を備えた一行が随所に見られる戦慄すべき作品。
地球がハレー彗星の尾の中を通り抜けた1910年、すなわち朝鮮半島が併合され大逆事件で幸徳秋水が検挙された明治43年「要するにこれは現在の事実なり。単にこれのみをもってするも立派なる存在理由ありと信ず」と宣言して350部が自費出版されたというこの書物が、文学作品からルーラル・エコノミーへ、そして日本民俗学もしくは新国学へと発展し、マルクス=エンゲルスにも対峙すべき一大思想体系を築く種子となり、ぼくらが「実存」を想うよりどころである柳田学の記念碑的作品となったことを思うとき、柳田國男というひとが「神隠しに逢いやすい気質」の子供時代を経た他界願望を強く持つ抒情詩人であると同時に、「何ゆえに農民は貧なりや」の問いを胸に農政学を修め経世済民をこころざし、のちに貴族院書記官長の職も務めることとなった明治国家の高級官僚出身者であったこともあわせて重要であることを付け加えておきます。
これから柳田國男の世界に踏み入ってみようという方には、「山人考」「山の人生」が併収されていてその思考の軌跡がたどれる岩波文庫版がおすすめ。これに「第二芸術論」で知られる近代主義仏文学者・桑原武夫が解説を寄せているのも興味深いところ。

●ブック・ガイド → 柳田國男の本をさがす

柳田國男先生の膨大な業績は晩年に編まれた「定本柳田國男集」全36冊にまとめられましたが、田山花袋や島崎藤村を友とした時代の初期作品、桂園派の歌人として発表した題詠和歌の一部およびハイネ等西欧ロマン派に影響を受けた新体詩と詩的散文の多くは定本への収録を本人によってきっぱりと峻拒され、長らくまぼろしの作品となってしまっていました。現在ではちくま文庫版「柳田國男全集32」でそのあらましに接することができます(ただし高価なハードカバー全集の刊行以来、文庫版全集はすでに版を重ねていないもようで、次第に入手しづらくなりつつあります。お求めはぜひお早めに)。

「遠野物語」(全集4)に関しては、その話述者であった佐々木喜善(鏡石)の著作「聴耳草紙」と読み比べてみるのも一興。また、この作品をテキスト解読することによって国家・共同体のひみつにせまろうとした吉本隆明の代表作「共同幻想論」もやはり重要な一冊。批判本の最左翼として村井紀「南島イデオロギーの発生―柳田国男と植民地主義」という刺激的な告発がありますが、着目点はともかくその方向性ないし結論については支持しかねます。

柳田先生の著作はあまりに膨大なうえに各年代にわたって見逃すことのできない作品が数多あるのですが、ここではいま思いつくまま特におすすめしたいいくつかをごく簡潔にあげておきます。

雪国の春」(全集2)は昭和3年、践祚大嘗祭の年に刊行。かつて「遠野物語」で描いた東北日本を、大正期に模索されようやくたどりついた「民俗学」確立の時点で再びモチーフとしたもので、「清光館哀史」などの文学的完成度も特筆すべき作品。ここで語られる日本民族の「中世の懐かしい移民史」はさらに南島へとさかのぼり、同時期の「海南小記」(全集1)から最晩年の総決算「海上の道」(全集1)へと連なる壮大な仮説として提示されましたが、これもまた抒情詩人としての本質を持つ柳田先生にしてはじめて可能だった大胆きわまる構想だったようにも思われます。

「遠野物語」の存在意義を「現在の事実」の書としたことにもうかがえる同時代へのかかわりあいへの強いこだわりは「明治大正史 世相篇」(全集26)という傑作を産みました。そしてそれと通じるまなざしが常民の生活史へと注がれた名著として、「木綿以前の事」(全集17)など。

文学的・詩的な側面を強調するあまり学問としてのクオリティを貶めるつもりではありません。「方言周圏論」を提唱した昭和5年の「蝸牛考」(全集19)などは、たとえば網野善彦の説く列島の多様性などと読み比べてみてもすでにそれを前提として再構築しているのでは?と思えるほどにスリリングなものです。

昔話・伝説・口承文芸については「桃太郎の誕生」(全集10)「一目小僧その他」(全集6)など、必読の基本文献多数。

女性の霊力のひみつに触れた「妹の力」(全集11)、その歴史に迫った「巫女考」(同)およびそれと対をなす「毛坊主考」(同)といった論考はもっと注目されてしかるべき作品。ここで天皇制や被差別部落があからさまに描き出されていないなどと野暮なことを言うべきではなく、エロティシズムの領域はむしろぼくらの想像力のために残された仕事だと思っています。

いちばん最初に出会った「遠野物語」以上に、ぼくが柳田國男というひとの魅力にどうしようもなくとりつかれてしまったきっかけが、敗戦後まもなく上梓された「先祖の話」(全集13)を読んでしまったことでした。ひとは死ねば山へ還るという日本民族の死生観を中心にわが民俗の信仰の来し方が語られるこの書が、はるか異国の戦場に命を落とす若き兵士たちのたましいのゆくえを思いながら綴られたということを思うとき、そのコンセプトは「遠野物語」の巻頭言「この書を外国に在る人々に呈す」と呼応するものだったような気がしてなりません。この一冊を読んで靖国神社へお参りし、ぼくらはいったい何ものであるか思いをめぐらせてみることをおすすめします。

最後にもうひとつ、読んでいて発言のどれもこれもが興味深くて面白いのが「柳田国男対談集」。大月隆寛氏が言うところの「20世紀最大のクソジジイ」としての面目躍如といったところで、これについては「薬箱戦争」でも言及している箇所がありますのでご参照ください。また南方熊楠とのかかわりについては「喫茶 点滴堂」でもちょっと触れています。

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