* 雨の日の女 ◆ その31*

絵と文・稲村 光男

RAINYDAY WOMEN #12&35

books & records review with lyrical illustrations
by mitsuo inamura
初出誌◆ フリーペーパー「献血劇場」VOL.31 ◆ 19990118 / 初版発行
「雨の日の女」ロゴ
雨の日の女
… but I would not feel so all alone, everybody must get stoned.
◆◆◆

『雨の日の女』は、「この堂々めぐりの世の中からのがれることはできないものか」ということを、本やレコードといった物件をとおして探究するページです。

今回の物件 ◆ ジャン・コクトー
「恐るべき子供たち」
Jean Cocteau / Les Enfants Terribles

さて、この堂々めぐりの世の中で、ぼくらにできることといえばやるべきことをやるだけ、やるべきことはできることをやるだけ、というおはなしが前回のしめくくりにありましたが、実を言うとこれもやはりその出どころはボブ・ディランの詩にあったものでした。

「生きることは、かなしいよ。
生きることは、さわぎだよ。
できることは、しなきゃならないことなのさ。
しなきゃならないことをするんだよ。
だからうまくできるのさ。
きみのためにするよ。ほら、わかるかい?」

"Backets Of Rain" / Bob Dylan

この歌が入った1975年の傑作アルバム「血の轍」を聴くたび想わずにいられないのは、ぼくらは誰も運命からのがれることができないという、どうしようもなく切ない真実です。
だからこのレコードには、たましいが切り刻まれてしまいそうな歌でいっぱいで、「しなきゃならないことをするんだよ」というのはそんな歌の最後に出てくるフレーズなのでした。

雨の日の女#31 挿絵1 ぼく自身あるいは困難な存在

ボブ・ディランのおはなしをもうひとつ。
先ごろようやく公式に発売(1998年10月US盤、同11月日本盤リリース)された「ロイヤル・アルバート・ホール」と呼ばれる1966年のライヴ録音は、長いあいだ熱心なファンのあいだでは海賊盤でひそかに聴かれてきた伝説の音源でした。
かく言うぼくもそれを愛聴していたひとりなのですが、この一夜のステージがたとえばあの舞踏の神さまニジンスキーが振り付けて不協和音の天才ストラヴィンスキーが作曲したバレエ「春の祭典」初演時のセンセーションにさえなぞらえて語られる今世紀芸術史のエポックとなってしまったそのわけは、終盤まぢかで聴かれる
「Judas(裏切り者のユダ)!」
というひとことの観客の叫び声によって起こる、ふるえてしまいそうな名場面のおかげさまだったにちがいありません。
ざわめく観衆に「アイ・ドント・ビリーブ・ユー…」と切り返すディランが鋭くカッティングするギターに続いてなだれこむ演奏、歌われるのはあの「ライク・ア・ローリング・ストーン」、これがもう信じられないくらいすばらしいのです。
ステキな言葉ステキな詩ステキな歌が、堂々めぐりの運命に流されるがままのぼくらをお見事なまでに裏切ってくれる、完璧な瞬間がそこにあったのですから。

血の轍
ボブ・ディラン / 血の轍
(Bob Dylan / Blood On The Tracks)
ロイヤル・アルバート・ホール
ボブ・ディラン / ロイヤル・アルバート・ホール
(The Bootleg Series, Vol. 4: Bob Dylan Live, 1966
The Royal Albert Hall Concert)

●「雨のバケツ(Backets Of Rain)」が聴ける「血の轍」は翌年発表の「欲望」と並ぶ1970年代のディランの代表作のひとつで、「ブルーにこんがらがって」「運命のひとひねり」「嵐からの隠れ場所」など、詩も音も冴え渡った楽曲を収録。なかでも冒頭のストーリーがちょっとだけ「恐るべき子供たち」のエリザベートとミカエルの結婚のエピソードを思わせる「愚かな風」は圧巻。
●実際にはマンチェスター公演の録音だったという「ロイヤル・アルバート・ホール」はCD二枚組で、一枚目はアコースティック・セット。二枚目のエレクトリック・セットでのバックはジェイミー・ロビー・ロバートソン率いるザ・ホークス、つまり後のザ・バンドで、ロック・ミュージック史上屈指の、最高のライヴ・パフォーマンスです。

ここでぼくはやっと思い出すことができました。
「おまえはいってすべきことをすればいい。」
それはイエス・キリストがイスカリオテのユダに言った言葉だったのです。
ただしぼくはキリスト者ではありませんから、新約聖書ではなく、萩尾望都の感動の名作少女漫画「トーマの心臓」のクライマックスなど思い浮かべてしまったのですけれども。

その萩尾モト様も漫画化した今回の物件、ジャン・コクトーの小説の詩(poesie de roman)「恐るべき子供たち」は、ぼくが知っている最高にステキな物語のひとつです。
コクトーはラファイエット夫人の名作「クレーヴの奥方」について、まだ一度も読んだことがない幸運な処女であるひとたちに、ラジオと雑誌の数知れぬガラクタのゴミ箱を空にして、たとえばある三月の夕べにでも田舎にこもってぜひ読んでみるべくおすすめしていたそうですが、ぼくは同じことをこの彼自身の作品、「恐るべき子供たち」についておすすめしたくなってしまいます。

まるで色彩なんかいらない想像力の線だけで描かれたコクトーの絵画の詩(poesie de graphique)みたいに、この端正な物語に描かれているのもまた純粋に運命線そのもののすがた、ただそれだけでよけいなものは何ひとつありません。
登場人物の誰もが夜空をいろどる古代の神々のように、運命の糸にあやつられるがままやるべき役割を果たし、それは奇跡のように美しい図形をかたちづくり、そうしてできあがった結晶体のなかに浮かび上がる、白昼夢のように甘美で夢遊病のように無軌道な恐るべき子供たちの小宇宙。

雨の日の女#32 挿絵2 ジャン・コクトー全集 第3巻 小説 (3)

「人生が一つの闘争であるということも、彼らの存在が禁制品としての存在であるということも、運命が彼らを大目に見て、眼をつぶっていてくれるのであるということも、この哀れな孤児たちの考えには浮かんでこなかった。

ジャン・コクトー「恐るべき子供たち」より

この作品は20世紀に生み出されたほとんど唯一の古典悲劇と言ってもいいかもしれません。つまりひとことで言ってこれは僕らの時代の神話なのです。
それにしてもこのガラクタだらけの世紀に、どうしてこんな物語が可能だったのでしょうか?

「それらは恋愛にいたるまでのなんという準備、下書き、修正であろう。…(中略)…ポールは、運命が彼の武器を見、彼の心を照準し、ほんとうの心を発見することのどんなに遅いかを知ったのだった。」

ジャン・コクトー「恐るべき子供たち」より

けれどどんなにステキな夢もいつかは醒めてしまうもので、恐るべき子供たちもいつまでも少年少女でいるわけにはいきません。
それが運命の堂々めぐりというもので、だからこの物語も、聖処女エリザベートの仕掛ける運命へのひとひねりの裏切りによって、ひとつの完璧な悲劇へとすべりおちていってしまわなければなりませんでした。

雨の日の女#32 挿絵3 JEAN COCTEAU / Erotica: Drawings

ぼくらがこの世の堂々めぐりからのがれるということは、ぼくらが万年少年少女、つまり永遠のアンファン・テリブルになってしまうということ。
そこでこの物語の圧巻、エリザベートが仕掛ける息詰まるような裏切りの一夜がはっきりとぼくらに教えてくれるのです。
「しなくちゃならないことをする」というのは、たとえばこんなふう、ということを。

ぼくらのやるべきことはキリストを裏切ったユダのように、エレクトリック・ギターを手に歌を歌うユダヤ系の吟遊詩人のように、そしてすべての運命の糸を悲劇へと結びつけてしまったエリザベートのように、この堂々めぐりの運命を裏切ってしまうことだったのです。
それは一夜にもできうるほんのひとひねりの裏切りで十分なはずですが、そこで必要なものはきっとやはりステキな詩であるにちがいありません。
このぼくらの神話を読み返すたびに、そんな思いが強くします。

そうしてそこでどこまでもすべりおちていってしまうこと。
はたしてぼくらにはうまくできるでしょうか?

■つづく■

今回の物件 ◆ ジャン・コクトー
「恐るべき子供たち」

JEAN COCTEAU / " LES ENFANTS TERRIBLES" 1929年

あこがれの少年ダルジュロスの投げる白い雪玉を大理石へと変えてしまいエリザベートの弟ポールの胸を打ち砕く詩人の想像力から描きだされるこのおはなしが、阿片中毒治療のさなかにわずか17日間で書き上げられたという伝説的な事実。ぼくらに残された時間の中でも、もしもステキな言葉ステキな歌ステキな詩さえあったならこんな神話を紡ぎ出すことも可能なのでしょうか?

●ブック・ガイド → ジャン・コクトーの本をさがす
名作「恐るべき子供たち」は鈴木力衛訳高橋洋一訳(デッサンつき)、それに画家・東郷青児の訳など各種出版されているので読み比べてみるのも一興。本文中で触れた萩尾望都の少女漫画版「恐るべき子どもたち」も「トーマの心臓」などの彼女のオリジナル作品に劣らない出来映えで、小説に難解さを感じてしまう方にもおすすめです。また、フランス語に自信のある方はぜひ原書"Les Enfants Terribles"にチャレンジを。
文学作品としてはほかに澁澤龍彦が弱冠25歳で訳出した「ポトマック」や「大胯びらき」、スタンダールの「パルムの僧院」を強く意識して書かれた「山師トマ」などといった「小説の詩」の傑作がありますが、特に愛弟子レーモン・ラディゲを亡くしてしまった後に陥った中毒体験からの生還の中で綴られた「阿片―或る解毒治療の日記」は、芸術とインスピレーションについての考察においてきわめて鋭い「批評の詩(poesie critique)」となっていて、「恐るべき子供たち」とあわせて読んでみてほしい一冊。
「阿片」のなかで「僕の次の作品はフィルムだ。」と宣言しているように、小説家で詩人画家劇作家でもあると同時に、映画作家でもあったコクトーみずから脚本化した映画版「恐るべき子供たち」も、「美女と野獣」「オルフェ」「双頭の鷲」などといった名作と並んで必見の「映画の詩(poesie cinematographique)」です。

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