* 雨の日の女 ◆ その32*

絵と文・稲村 光男

RAINYDAY WOMEN #12&35

books & records review with lyrical illustrations
by mitsuo inamura
初出誌◆ フリーペーパー「献血劇場」VOL.32 ◆ 19990429 / 初版発行
「雨の日の女」ロゴ
雨の日の女
… but I would not feel so all alone, everybody must get stoned.
◆◆◆

『雨の日の女』は、「この堂々めぐりの世の中からのがれることはできないものか」ということを、本やレコードといった物件をとおして探究するページです。

今回の物件 ◆ カーティス・メイフィールド
「ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ」
Curtis Mayfield / There's No Place Like America Today

ぼくが故郷の家を出てこの武蔵の国に棲みついて、早いものでこの春(1999年)でもう十年になってしまいました。
けれどぼくにはいまでも慣れずにいることがふたつあって、ひとつは言葉のイントネーション、もうひとつは風景の背後に山が見えない、ということです。
とは言っても、ぼくがことさらに山国の育ちだったとかいうわけではありません。ひとびとが二千年来海やまのあいだに棲み暮らしてきた旧日本の島々で、むしろこの関東の平野が例外的にだだっぴろくのっぺらぼうな場所だということは、国土地形図を見るとよくわかります。
だからこの帝都の風景に、無意識にでも違和感を感じている他所ものは、きっとぼくだけでなく、もっとたくさんの方がそうなのではないでしょうか?

雨の日の女#32 挿絵1 people get ready!:a new history of black gospel music

ひとが死ねばそのたましいは山へ行く、という日本民俗の死後観のことは以前にも、大島弓子の漫画のおはなしを書いた時にも触れたことがありました(雨の日の女#21)。するとぼくらの違和感は、死んでしまったあとに行くべき他界を見失ってしまい、この現世の地べたを這いずり堂々めぐりをくりかえすだけになってしまったことへの不安から来るものだったのかもしれません。

そのむかし奴隷だったころのアメリカ黒人たちは、死後の世界をヨルダン川の彼方の約束の地に見ていました。それは天国というよりはいつの日か帰るべきアフリカ大陸のイメージだったのかもしれませんが、そうして生まれたのがゴスペルという教会音楽だったと言います。
けれど南北戦争を経て解放後の彼らを待っていたものは、結局のところやはり救いのないこの世の、アメリカでの堂々めぐりでしかなくて、そこで決定的に他界を見失ってしまったところに生まれたのがブルースという詩だったのです。
乱暴な言い方をしているのは承知の上ですが、それならば山という他界を見失ってしまったぼくらが歌うべきブルースは、つまりステキな歌ステキな言葉ステキな詩は、いったいどこにあるのでしょう?

「みんな、用意はいいかい、
ヨルダン行きの列車がくるよ。
荷物なんかいらないよ、
ただ乗り込めばいいんだ。
切符を持ってなくてもいい、
ただ、神様に感謝するんだよ」

"People Get Ready" / The Impressions
words and music by Curtis Mayfield

さて、この世でいちばんステキなメロディを持った歌は何でしょう?
そんなとりとめのないことを思いながら、ふと浮かんできたのがこのノーザン・ソウルの名曲、インプレッションズのナンバー「ピープル・ゲット・レディ」のイントロでした。
バッハにもバカラック=デヴィッドにもレノン=マッカートニーにもスティービー・ワンダーにも古賀政男にも、こんなにきれいな旋律はちょっと見あたらないようなような気がする。けれどもしかすると、「この世でいちばん」とかいうのとはちょっと違うかもしれません。このメロディからは、「この世のものでない」ような響きが聴こえてくるような気さえしてしまうのですから。

そしてこのメロディをうっとりと聴くたびに、ぼくにはなぜかここでやってくる列車が、あの宮澤賢治の名作童話の銀河鉄道のように思われてくるのでした。
それはブルース詩のキーワードでもある列車のイメージだけの連想ではありません。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行かう。僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためなら僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」

「うん。僕だってさうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙が浮かんでゐました。

「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう。」ジョバンニが云ひました。

宮澤賢治「銀河鉄道の夜」
雨の日の女#32 挿絵2 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読

死後の世界に救いを求めるのではなく、この世に天国を現出させることがきっとできそうな、そんな夢のような予感をたたえた「ピープル・ゲット・レディ」がヒットしたのは1965年、おりしもアフロ・アメリカンがほんとうに解放されるべく立ち上がった公民権運動がたかまりをみせていた頃のことでした。
そんななかでこの曲をつくった若き日のカーティス・メイフィールドにはかりしれない夢と勇気と影響を与えたにちがいないその指導者、マーティン・ルーサー・キングJr.の「夢」とはどんなものだったかを思うとき、ぼくにはそれは人種も国家も、法華宗やプロテスタントといった宗教宗派もはるかに越えて、「ほんたうのさいはひ」を思い描くジョバンニ少年のつぶやきそのものだったように思われてならないのです。

インプレッションズから独立し、ニュー・ソウル・ムーヴメントの旗手として活躍していたカーティス・メイフィールドが今回の物件「ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ」というアルバムを発表したのは、それからちょうど十年後のことでした。

「今日、アメリカのような場所はどこにもない」というそのタイトル。
自由と理想の国アメリカは、ついに夢に見たこの世の天国になったのでしょうか?
そう思ってこのレコード・ジャケットを見ただけで、やはりこの世は堂々めぐりだったのかと、徹底的に思い知らされてしまいます。車に乗った豊かで幸せそうな白人一家が描かれた大きな看板、その下には力なくうつろな眼をして列をなす黒人失業者たち。あの途方もなくステキな夢を語ったキング牧師も撃ち殺されてしまい、なにもかもがふりだしにもどってしまっていた1975年のアメリカの姿。

There's No Place Like America Today/Give Get Take Have

とてもステキな夢を見ていたはずなのに、十年の時が過ぎて気がついてみれば何も変わってはいなくて、こんな堂々めぐりの世の中で生きていくということは、いったいどんなことなのでしょうか?
そんなありったけの切実さがこの一枚のレコードの中にはいっぱいで、不気味なまでにはりつめた底知れぬ緊張感と、限りなくやさしくあたたかな包容力とがまじりあった不思議な音世界でぼくらのたましいを深く魅きつけてくれる、こんな異常なレコードはきっと他のどこにもありません。

「朝に目覚めて、まだ大丈夫だ。
まだあきらめてなんかいないんだ。
このすこしだけのプライド。
時には、ぼくは思うんだ。
ぼくらの人生が尽きてしまう前に、
御国の訪れを見られるかもしれない。

"Love To The People" / Curtis Mayfield

十年前のあのステキな希望にみちたメロディとはうらはらに、「ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ」の終わり近くで、ほとんど息も絶え絶えに歌われるこんな歌を聴くのはとてもとてもつらいことでたまりません。
けれど思うのは、それでもぼくらは何とかして、「ほんたうのさいはひ」を夢みながら生きていかなければならない、ということです。
この世がどんなにひどい堂々めぐりだとしても。

ぼくがここへやってきて、季節は変わり十年が過ぎた今日、この東京のような場所はどこにもない、そんな気持ちでいっぱいです。
失業率が上がっても子供たちが飢えているわけじゃなし、友達が街で撃ち殺されることもなく、とりあえずは戦争もせずにすんできて、差別ということも見えずにいる。
けれどそれはみんな、たまたまそんなことに目覚めずにいられたというだけのおはなしで、ぼくらは眠ったようにうつろな眼で、かといって夢をみることさえ忘れてしまっていて、まるで死んでるみたいなのですから。

奴隷解放を宣言しネイションの統一を果たした合衆国はその体制に人種差別のシステムを繰り込んで成立し、有色人種を労働力として搾取する資本主義を同時に完成しました。そこで決して救われることがなかった黒人たちがブルースを産み出したあのときよりももっと巧妙なやりかたで、二千年来ご先祖様が伝えてきた他界へのイメージという共同幻想の伝統さえも失おうとしている今日のぼくらの国の大衆化現象は、ぼくらを「家畜」にしてしまうものなのかもしれない。
たとえばあるブルーな月曜日などに、そう思ってたましいの底から慄然とする、そんな覚えはありませんか?

雨の日の女#32 挿絵3 people get ready:great gospel!

けれどしあわせなんてどう終わるかじゃなくて、どう始めるかだとするならば、ぼくはまたとびきりステキな夢をみることから始めたいと思っています。
あの「ピープル・ゲット・レディ」のこの世ならぬステキなメロディのように、もしもその十年先にあるのがひどい堂々めぐりでしかなかったとしてもなんとかだいじょうぶなくらいの、ステキなインプレッションにみちあふれた夢を描きたいのです。

だってぼくらは、まだ始まったばかりなのですから。

「天上へなんか行かなくたっていいぢゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさへなけぁいけないって僕の先生が云ったよ。」

宮澤賢治「銀河鉄道の夜」

はたしてそれはもう無理なことなのでしょうか?

■つづく■

今回の物件 ◆ カーティス・メイフィールド
「ゼアズ・ノー・プレイス・ライク・アメリカ・トゥデイ」

CURTIS MAYFIELD "THERE'S NO PLACE LIKE AMERICA TODAY" 1975 CURTOM
ジャケット画のもとになったのは「鉄の写真家」マーガレット・バークホワイトの作品で1937年「LIFE」誌に発表された "At the Time of the Louisville Flood"(Margaret Bourke-White photograph of flood victims lined up for disaster relief.)という写真 。そこには " World's Highest Standard Of Living / There's no way like to American Way " と記されていました。ごく抑制されたサウンドながら一分のスキもないサウンドと、たましいのふるえをそのままなぞったようなファルセットの歌声。山下達郎というひとは「音楽なんてものは力が弱いから、ダウンしているとき、盲腸とか足を切ったとかいうときにはとても聴けない。でもそれに近い状態でもこのレコードだけは不思議と通用する」というようなことを言っていましたが、そんな大それたことも言ってしまいたくなるような、めったにお目にかかれないスピリチュアルな世界がたしかにここにはあります。
●ディスク・ガイド → カーティス・メイフィールドのCDを探す
ポール・ウェラーがザ・ジャム〜スタイル・カウンシルでカヴァーしていたとびきりかっこいい「ムーヴ・オン・アップ」を収録したファースト・ソロ・アルバムをはじめ、カーティス・メイフィールドの作品はどれも傑作ぞろいですが、ぼくがまずそのスリリングなサウンドに吃驚してしまたのは同名映画のサントラとして制作された「スーパーフライ」(1972年作品)を聴いたときのことでした。「ゼアズ・ノー・プレイス・…」が裏ベスト作とすれば、こちらが表というべき表裏をなす最高傑作。「クスリなんかなくたってナチュラル・ハイになれるんだ」と歌う「ノー・シング・オン・ミー」を聴いてたましいが浮遊してしまうような感覚、などと書いてしまうとしらじらしいようですが、そこに圧倒的な説得力を与える音楽の力は言葉では言い尽くすことができません。
1958年にカーティスがジェリー・バトラーらと結成したインプレッションズには「フォー・ユア・プレシャス・ラブ」「ジプシー・ウーマン」「イッツ・オールライト」「アイム・ソー・プラウド」などなど、ほんとうにステキな曲がたくさんあって、初期のソウル・ミュージック・シーンで果たした役割はきわめて重要なものだったと思われますが、とりわけ「ピープル・ゲット・レディ」は別格。有名なロッド・スチュワート&ジェフ・ベックのカヴァーで聴いたときからいい曲だな、と親しんできたし、オリジナルのプリミティヴな魅力ももちろん素晴らしいものですが、特にこの稿で「この世ならぬステキなメロディ」と絶賛したとき、ぼくはカーティスがソロになってからの「ライヴ!」(1971年発表)に収録されたヴァージョンを念頭においていました。カーペンターズでおなじみポール・ウィリアムスの名曲「愛のプレリュード(We've Only Just Begun)」から連なる「ピープル・ゲット・レディ」のイントロの美しさは恍惚としてしまうほどのもので、「雨の日の女#38番外編」で触れたダニー・ハザウェイの「ライブ」にも匹敵する感動の名演です。

Curtis/Live! Curtis/Live!

最後に、1990年に下半身不随になってしまってからも長いリハビリを経て、1996年にカムバック・アルバムを届けてくれた彼が、この本文を書いた1999年のクリスマスの翌日ついに永眠してしまったことをこころから悼みます。カーティス・メイフィールドのたましいが天上よりもっとステキなところで安らかに眠ることができますように。

雨の日の女・リストマニア

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