* 雨の日の女 ◆ その34*

絵と文・稲村 光男

RAINYDAY WOMEN #12&35

books & records review with lyrical illustrations
by mitsuo inamura
初出誌◆ フリーペーパー「献血劇場」VOL.34 ◆ 19991008 / 初版発行
「雨の日の女」ロゴ
雨の日の女
… but I would not feel so all alone, everybody must get stoned.
◆◆◆

『雨の日の女』は、「この堂々めぐりの世の中からのがれることはできないものか」ということを、本やレコードといった物件をとおして探究するページです。

今回の物件 ◆ ザ・ビーチ・ボーイズ
「ペット・サウンズ」
The Beach Boys / Pet Sounds

いついつまでも万年少年少女でいることができたなら。
ずっとそんなことを夢見てきたぼくは、恥ずかしながら前回で「もうこれからはずっと少年のままでいることに決めました」なんて書いてしまって、どうもこのへんでそれがほんとうはどんなことなのかを見つめなければならなくなってしまったみたいです。

雨の日の女#34 挿絵1・ペット・サウンズ オリジナル・モノ・ミックス

大人になってしまうことを拒むこころ、いわゆるピーターパン・コンプレックスを思うとき、山岸凉子の少女漫画「パニュキス」という忘れがたい作品があります。
片時も離れることなく同じ書物の空想の世界に遊ぶ少年と少女が、成長とともに別れ別れに現実へ放り出され、運命に翻弄される物語。アンドレ・シェニエの詩「パニュキス」をみずからになぞらえてハリー少年を理想化する少女ネリーの甘美で痛ましい思い。それに子供の頃は純粋に黄金でできていた人間に、神様は成長させるために泥をまぜていくという神話。
いつかぼくはこれを読んで、ぜったいに泥だらけの大人なんかになるもんか、と思ってしまったものでした。

もう三年前(*1996年)のこと、フリーペーパー文化誌「献血劇場」の制作をてがけることになったぼくがはじめに思い描いた案は、巻頭連載となってご好評いただいた「万年少女館」の第一回目、「髪を伸ばしてみませんか?」という企画でした。
世の女性誌がみんな髪を切ってしまうことばかり持ち上げていて、それに導かれて少女たちがいつのまにかみんなおばさんになってしまう堂々めぐりに反抗してみたい。いついつまでもきれいな長い髪の万年少女でいられたらステキじゃないか。そんな気持ちでいっぱいで、それにぴったりのイメージを浮かび上がらせてくれたモデルの葉子は、ちょっと恥ずかしいけれど、ぼくにとってのパニュキスだったのです。

けれど実際のところ、大人になることを拒んで少年少女の記号に身を固めて生きていくことだって、伝統的な価値観が溶解し、通過儀礼もなしくずしに解体してしまったいまどきのこの国ではいとも簡単なことで、よく見るといい歳してずうずうしくも似非万年少年少女を気取っている醜悪な人間はそこいらじゅうにあふれかえってしまっていて、ぼくらがやっていることもただそんな風潮を助長しているだけみたいな気がすると、ひどく憂鬱でたまりません。
だってそれはちっともステキじゃなかったのですから。

中学生の頃ビーチ・ボーイズを知って、1985年「ライブ・エイド」のステージの映像などを見たときの、「どうしてあのおじさんたちが『ボーイズ』なんだろう?」という素朴な第一印象を憶えています。
それは年齢の問題ばかりではなくて、ベトナム戦争やビートルズやLSDといった60年代の現実を迎える直前の、いわばアメリカの幸福な少年期へ退行したまま成長を拒んでしまったような、どこか奇形な少年たちの姿への違和感だったのかもしれません。
ただしその頃のぼくは、部屋に数トンもの砂を搬入しピアノの下に砂場を作って遊んでいたという伝説を持つほんものの万年少年、ブライアン・ウィルソンのことを知りませんでした。そのステキな音楽のひみつと、無惨な人生を。

今回の物件、ビーチ・ボーイズのアルバム、というよりはブライアン・ウィルソンが1966年に制作した名盤「ペット・サウンズ」は、繰り返し聴くほどにその真価があふれだしてくる魔法のようなLPです。
はじめはなんだか不思議な色彩を持ったポップスと思っていただけなのに、やがてたちあらわれてくるきわめて高度な音楽世界。
そしてその核心にあったものは、やはりブライアンの比類なき抒情性、つまりステキな歌ステキな詩ステキな言葉だったのです。

雨の日の女#34 挿絵3・wouldn't it be nice

「ぼくらが大人になって、いっしょに暮らせたならステキじゃないか」と、胸いっぱいにときめいてしまう「素敵じゃないか」"Wouldn't It Be Nice?" にはじまって、せつなく胸をしめつける「ドント・トーク」"Don't Talk" 、摩訶不思議な音世界に吸い込まれてしまう「少しの間」"Let's Go Away For Awhile" 、ポール・マッカートニーも絶賛したという完璧な名曲「神のみぞ知る」"God Only Knows" などなど、どれもが圧巻というべき13曲。
なかでも、とりわけ最後におさめられた「キャロライン・ノー」には、どうしても特別の思いをこめて聴き入ってしまわずにはいられません。

「きみのあの長い髪は何処へ行ったの?
ぼくの知ってる女の子は何処へ行ってしまったの?
どうしてあのしあわせなかがやきを失くしてしまったの?
oh Caroline, No
誰があの容貌をうばってしまったの?
きみがどんなふうに言ってたか憶えてるよ、 ぜったいに変わらないって。
でもそれはほんとうじゃなかったんだね
oh Caroline, No」

"Caroline No" / Brian Wilson - Tony Asher

成長し別の世界へ行ってしまった少年を求めて「私のハリーはどこ?」と子供のようにとまどう「パニュキス」のネリー。
まるでその性をそのまま入れ換えたみたいなこの歌を聴きながら、ぼくは長いあいだ伸ばし続けいつくしんできた葉子の髪にハサミを入れてしまいました。
腰をこえて伸びていた長さは背中の中ほどまでになってしまい、それを見てぼくが強く感じていたのは、ぼくらが歌うべきだったのはこんな身を切られるような喪失感だったんだ、ということでした。
逸脱を繰り返していたベース・ラインが主和音のルート音を捉えると同時にブライアンの歌声がたまらなく悲痛な "NO" のひとことにたどりつくその瞬間、すっかりむきだしになった無垢なたましいの、とてつもない美しさに、背筋がふるえるほどの感動を覚えながら。

「最後の曲『キャロライン・ノー』が、遠くに消えていく汽車の音とバナナの吠える声でエンディングを迎えた時、マリリンと僕は顔を見合わせた。僕たちは二人とも泣いていた。僕が望んだとおりの、美しい感動的なスピリチュアルなアルバムに仕上がっていた。
『あの汽車の背後に僕が感じられる?』
僕が尋ねると、マリリンは言った。
『ええ、でも消えていくわ。』」
(*「バナナ」は愛犬、「マリリン」は当時の夫人の名前。)

ブライアン・ウィルソン-トッド・ゴールド・著 / 監修:中山康樹 / 訳:中山啓子
ブライアン・ウイルソン自叙伝―ビーチボーイズ光と影

ぼくらがほんとうに万年少年少女であり続けようとすることは、あらゆる記号や免罪符によっても解放されることのない、無垢なたましいそのものの問題でしかありえず、だとすれば、ぼくらが求めるべきはこんなにも美しく純粋な喪失感をたたえたステキな歌以外のものではありません。
だってこの堂々めぐりの世の中で、何の代償もなく何かを手に入れることなどできないことは、山岸凉子の作品でも繰り返し繰り返し描かれているとおりなのですから。

雨の日の女#34 挿絵2・駄目な僕

「ぼくの心を引き裂いて
ほんとうは何処かへ行ってしまいたいよ
ステキなものが死んでしまうのを
見つめているのは悲しすぎるよ
oh Caroline, No」

"Caroline No" / Brian Wilson - Tony Asher

そうして無垢なたましいが黄金のままで大人になろうとする、そんな不遜なこころみへの代償は、おそろしく残酷なものなのかもしれません。かの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」と対峙するはずだった神に捧げるティーンエイジ・シンフォニー、まぼろしの次作「スマイル」の、きちがいじみたセッションの果てに音源をスクラップにして葬り去ってしまった駄目なブライアンのあまりにも無惨なそれからの人生のように。周囲からの疎外と依存、精神障害と薬物中毒、肥満、ひと思いに死んでしまうことはもとより、ビーチ・ボーイズを辞めることさえできない半廃人状態…。

それでもぼくは、無垢なたましいの不滅を確信できるひとつの証拠を知っています。
そんな凄惨な二十余年の時を経て、1988年に発表された最初のソロ・アルバムのなかで「ねえ、髪を長く伸ばしてみようよ」"Baby Let Glow Your Hair Long" と歌い出したブライアンの力強い歌声です。
それはまるで「パニュキス」の、ほんとうに同じ心をついに見つける奇跡のようなラスト・シーンみたいに感動的なのでした。
そう、年がいもなく、ぼくらはまだはじまったばかりなんだと胸がときめいてしまうのです。

ぼくはもういちど
きみのなかに見つけることができるかな
きみのこともっと好きになれる何かを
ぼくたちは一度失ってしまったものを
もう一度取り戻すことができるのかな
oh Caroline, No」

"Caroline No" / Brian Wilson - Tony Asher

この堂々めぐりの世の中、はたしてぼくらは、そんなステキな歌ステキな詩ステキな言葉を手に入れて、そんな無垢なたましいの抒情を歌い続ける万年少年少女であり続けることができるのでしょうか?

■つづく■

今回の物件 ◆ ザ・ビーチ・ボーイズ
「ペット・サウンズ」

THE BEACH BOYS "PET SOUNDS" 1966 Capitol
ぼくらのポケット・シンフォニー、とはいうもののその奥行きはまるでドラえもんの四次元ポケットみたいに底無しで、「ペット・サウンズ・セッションズ」のCDボックス・セットに収録されたヴォーカル・オンリー・トラックなどを聴くとそのひみつがよく見えてきます。
特筆すべきは気品とポップさが絶妙に同居している全体の感覚。それゆえにかこの音世界はちょっと信じられないくらい時代不明で、そこにまじりけのない永遠の少年の詩情が封じ込められてしまっている、神様に感謝したい一枚です。
●ディスク・ガイド → ビーチ・ボーイズのCDを探す
世紀の名盤「ペット・サウンズ」の魅力をほんとうに堪能したいなら上記の「ペット・サウンズ・セッションズCDボックス」はぜひ手に入れておきたいもの。「ビーチ・ボーイズ ペット・サウンズ・ストーリー [ブライアン・ウィルソン奇跡の名作秘話]」という本も訳出されているので興味のある方はご一読を。
もちろんビーチ・ボーイズにはこのアルバムの他にもステキなポップ・チューン満載のCDがいっぱい(くわしくは労作「ザ・ビーチ・ボーイズコンプリート〈2001〉」を参照)なのですが、それにもましてその後のブライアン・ウィルソンのソロ活動は、彼自身が奇跡の再現を実現した「ペット・サウンズ・ライヴ」とそのDVDを発表するなど、信じられないくらい素晴らしいものになってしまいました。
とりわけ本文中でも触れたように、永久にまぼろしの作品と思われていたあの「SMiLE」が、37年の時を越えて2004年にリリースされるなんて、誰が予想できたでしょう。まさに神のみぞ知るというべきこの世の奇跡に涙。

スマイルスマイル

そのほかに、ブライアンのプロデュース作品の中で、当時の夫人マリリンとダイアンの姉妹によるユニット「スプリング (AMERICAN SPRING)」をおすすめしたかったのですが、こちらは現在入手困難のもよう。しっとりとした抒情味のあるガール・ポップで、ひところぼくの愛聴盤のひとつでした。

▼追記 / ブライアン・ウィルソンのクリスマス・アルバム

2005年の本命盤、ブライアンからのとっておきの贈り物として届けられたクリスマス・アルバム。
>> 雨の日の女#34番外編 / フィル・スペクターのクリスマス・アルバムのページもあわせてご覧になった上でお楽しみください。

What I Really Want for Christmas
What I Really Want for Christmas

雨の日の女・リストマニア

◆◇ search

古本ギャラリー喫茶 点滴堂