顕証寺庫裏について

 

    解説(八尾市文化財課提供)

 顕証寺の庫裏は、建物規模が桁行8間半、梁行7間で、建物構造は切妻造・本瓦葺・妻入である。

建立年代は江戸時代中期である。大棟(おおむね)の獅子口(ししぐち:屋根のもっとも高い位置にある棟飾)に「宝永三稔丙戌八月十一日」の箆書き(へらがき)があったことから、宝永三年(1706)に建てられたことが判明し、地震で倒壊したため正徳六年(1716)に再建された本堂よりも古いことがわかった。

庫裏は、寺務を行う場であるが、住居としての機能も含むことから改造を受けやすく、宝永年間まで遡る庫裏は少ない。顕証寺では、本堂の再建に先立って庫裏が完成しており、現在顕証寺に残る建築物では最も古いものとなる。

享和元年(1801)刊行の「河内名所図会」に描かれた顕証寺には、本堂とその背後には庫裏、外郭施設である表門、築地塀、長屋、長屋門、渡廊(それぞれ市指定文化財)があり、現在でも同じ位置に見ることができる。久宝寺寺内町の中心をなす顕証寺は、寺内町の貴重な歴史的な景観を残しており、庫裏はその中でも最も古い姿を残しており、貴重である。

 

 

    庫裏の文化財としての価値

顕証寺庫裏は平成20年度八尾市指定文化財になり、文化財に値する価値を有することが証明された。事前の綿密な調査の結果であるが、ここでは詳細を省かせていただく。

指定事由の概略を申し上げると、先ず古さである。獅子口銘から 宝永三年(1706)に建てられ、正徳6年(1716)に再建された本堂よりも10年古いことが判明した。日本全国を見ても庫裏の指定物件は殆どが禅宗系であり、また、庫裏はその性格上改造を受けやすく、現存している庫裏で 顕証寺のように建立が宝永年間まで遡るものは少ない。

次に 寺内町の貴重な歴史的景観の一部として、昔ながらの佇まいを今に残していることである。享和元年(1801)刊行の「河内名所図会」に描かれた顕証寺には、各建物が忠実に現在でも同じ位置に存在しているのを見ることができる。

 

    修復に係る費用

顕証寺庫裏は壮大な建造物であり、文化財的完全修復となると仮屋根も必要であり、半解体(壁を全て落とす)せねばならず、その総工費は凡そ一億六千万、それ以上とも言われる。しかしながら、顕証寺ご門徒をはじめご縁の深い皆様のおかげでやっと 家土塀(東西長屋)、渡り廊下、北門の復原を終えたばかりの現在である。さらに広く全国的に心ある皆様方のご懇篤なお気持ちにおすがりしたく存ずる次第である。

 

「顕証寺大修復基金」(ゆうちょ銀行)

口座番号 00900−9−180898

加入者名 顕証寺大修復基金


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