陰 陽 説 と 五 行 説
陰陽を象徴的に表した太極図


五行の各色と相生:相剋の図


 陰陽説とは、中国最古の王と言われる伝説上の人物 伏羲(ふくぎ)がつ
くったとされている。
 その基本は、万物からあらゆる現象にいたるまで、全てが陰と陽の二極
で成り立っているとの考え方です。昼夜:男女:天地:明暗:表裏:上下:吉凶
…となる訳ですが、大切な事は“あくまでも陰陽の二極が一対として相対的
に盛衰消長を繰り返す事によっての調和”で完全な姿が成り立つ との考え
方であるという事です。言うならば 神vs悪魔 (絶対善vs絶対悪) というよう
な対立的二元論では無いという事になります。
 左上の《太極図》と呼ばれる図は、黒い部分を陰として白い部分を陽と見
ますが、夫々の中にも小さな丸で色の反転 (目の様に見える部分) が見て
取れます。“陰の中に陽有り、陽の中に陰あり”と言われる事の象徴も此処
に表されています。また、先述の伏羲が即位した時に黄河から神馬が現れ
その背中の旋毛より図を導き“河図(かと)”呼び、そこから八卦の原理も作
り出したと言われています。
 八卦(はっけ・はっか)はその根源である太極から《陰》と《陽》の二つに分か
れ【両義】と呼ばれ、更に陰からは《老陰》と《少陽》に、陽からは《老陽》と《少
陰》に分かれ【四象】と呼ばれ、更に各々が陰陽に分かれて八卦となり、後に
後述の五行も配置されて人心政治を占う【易学】となっていきます
 このように陰陽は更に次々と陰陽に分かれ続けていく性質も持っています。
例えば、昼と夜ならば昼が陽となりますがその昼にしても、晴れた日と雨の日
を比べればまた陰陽に分ける事が出来るという事が言えます。

左記は洛書図。縦横斜め、何れを足しても十五となる魔方陣でもあり、
五行の持つ象意と結びつき、ここから九星の占術も出来上がってくる。
 よく 《陰陽五行説》 と言われていますが。元々は夫々別個に作られた理論
で、後に個別に論ずる事が出来ない位に混り合ってしまい一つに考えられる
ようになったものです。
 木.火.土.金.水 (もく.か.ど.ごん.すい)の五つの元素による五行説が作られ
たのは、やはり中国の伝説の聖王・夏王朝の創始者禹(紀元前2070年頃)
がその治世の時に黄河の中流にある洛水から這い上がって来た亀の甲羅
にあった文様(洛書と呼ぶ)から国を統治する為の五行の原理を考え出した
との伝承が残ります。その後時代が下り、中国戦国時代 (紀元前403年〜
前221年) の陰陽家 鄒衍(すうえん)により、その頃に観測され見つけ出さ
れた五つの惑星とも結び付けられ五行説の完成を見ます。
 因みに、我国や韓国等の七曜はこの五惑星(五行)及び太陽と月の二天
体(陰陽) により月曜〜日曜までの一週間の呼び名に当てられています。
 鄒衍は天地万物に五行を配当し組み合わせを考え出していきました。左
上の五行図にあるように、色彩ならば夫々に青赤黄白黒との配色をし。方角
であれば東西南北に中央を加え五方とし( 木・火・土・金・水の順序でいけば
東・南・中央・西・北 となります)、季節であれば四季に土用を加えて 木=春・
火=夏・土=土用・金=秋・水=冬 の五時とし。 五味・五感・五臓・五穀・五節句
・五神・五徳・五悪 等々あらゆる事象に当て嵌められています。

 五行による相生(そうしょう)と相剋(そうこく)と言われる関係があります。
俗に相性(あいしょう)と呼ばれているものです。
 木 生 火 (もくしょうか) と言えば 《木は火を生ず》 となり、所謂 相生の良い
関係であり。同じ様に 《 火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木
を生ず 》と、木火土金水が順序良く隣同士に並ぶサークルは万事順調である
と見ていく訳です。それとは逆に、木 剋 土 (もくこくど) となると 《 木は土に勝
ち》 という相剋の関係となり、相性が良くないとし。相剋関係としては 《 火は金
に勝ち、土は水に勝ち、金は木に勝ち、水は火に勝つ 》 が成り立ちます。



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