2000年11月、7回目の追悼集会を行う

 2000年11月18日、私たちは李基允氏と?相度氏の7回目の追悼集会を三重県熊野市で行った。今年は追悼集会に合わせて、「木本事件写真パネル展」を熊野市民会館の1階ラウンジにて17日〜19日の3日間にわたり開催したが、18日午後から場所を追悼碑前に移して、追悼集会を行った。例年通り、建立する会の2000年の活動報告、献花、献杯に続いて参加者一人一人からこの1年の総括報告やこの運動に対する思いを語っていただいた。その中で韓国からの参加者の方から「日本の現在の状況は、昔と変わっていない」という言葉がとても重いものに感じられた。確かに私たちがこの運動を始め、日本の中の熊野という地域の中で追悼碑を建立するなど少しづつではあるが、変わり始めるという側面もあるが、まだ日本、日本人の意識は変わっていないということを再認識させる一言であった。

<李基允氏と?相度氏の新しい「墓石」>
追悼碑前で追悼集会を行ってから、極楽寺に場所を移し、小集会を行った。この日、極楽寺の足立知典住職が李基允氏と?相度氏の新しい「墓石」を建て、開眼法要を行った。新しい「墓石」の右には、足立住職の思いが刻まれた石碑が、左には、お二人が殺された後、雇い人が建てた「墓石」のレプリカが置かれている。そして私たちは、この事実とプロセスをここを訪れる人々に知らせるとともに、歴史の事実を未来に向けて正しく残すため案内板を設置した。
この新しい「墓石」には戒名ではなく、お二人の本名が刻まれている。この「墓石」の存在は、熊野市にとって、日本にとって非常に大きな意味を持つものである。熊野市民である足立住職が差別の刻まれた「墓石」を後の世代に残さないために、自らが新たな墓石を建てたのである。自分の前の世代の過ちを自らが改めようとする取り組みは、同じ日本人として学ぶべきものである。足立住職のこの考え方、思いが、熊野市、そして日本全国に広がる日が将来、来ることを願ってやまない。

<未来に向けて>
熊野市における朝鮮人差別、外国人差別の現実が、李基允氏と?相度氏が殺された当時と変わっていないということが、写真パネル展や新しい「墓石」の建立を通して明らかになった。しかし、この現実を未来の世代にまで引き継ぐことは許されないのである。私たちは、熊野という日本を凝縮したような地域の中で、日本人の排外意識、朝鮮人差別意識、外国人差別意識を変える活動を行っていく。