2007年イギユン氏・ペサンド氏の14回目の追悼集会を行う

 

今回で14回目となるイギユン氏とペサンド氏の追悼集会を2007年11月23日、熊野市のお二人の

追悼碑前で行ないました。参加者数は多くはないが、昨年に引き続いて参加してくれた方や今回

はじめて参加していただいた方もいて、また新しい出会いもあり、歩みは遅いですが、少しずつ少し

ずつ新たな運動の広がりができているのではないかと感じました。

 お二人の追悼碑を建立したことでこの追悼碑を基盤にして、学校の教師が教材として見学にきた

ことがあるというような話を聞くと、私たちの会の活動とは別に追悼碑が地域に根ざしてきたとともに、

追悼碑自体が独自で歩みはじめたように感じられます。

 私たちにとってこの追悼集会は、この1年間の活動、取り組みなどを皆で総括する場でもある。

残念ながらお二人の虐殺を「素朴な愛町心の発露」とした「熊野市史」の書き換えなどの問題など

まだまだ前に進んでいない問題があり、総括といっても熊野市の壁を破ることができていないこと

への反省ばかりが出されるが、この追悼集会はこれからの新たな活動の取り組みを開始する

スタートの日でもある。この日の追悼集会での新たな出会いを力にして、新しいアイデアや方法を

考えながら、少しでも問題を解決できるよう前進させたり、多くの人たちに「木本事件」の問題を

知ってもらうなどし、来年の追悼集会では、前向きな総括ができることを期待したい。

 追悼集会の後、「木本事件」に関連した場所(木本トンネル、増吹橋、有本湯跡など)を

フィールドワークし、極楽寺に向かったが、熊野市内のあちこちに「熊野古道」についての看板や

旗が目に付くようになっていた。「熊野古道」が世界遺産に登録されたことで、「熊野古道」を

目玉にして熊野を観光地としようとしており、実際に「熊野古道」を目当てにした観光客の姿を

よく目にした。

「熊野古道」のひとつとなっている松本峠のすぐ先の高台にお二人の追悼碑があります。

観光客が追悼碑を目にすることもありえるが、「木本事件」について遺族への謝罪もなく、

「熊野市史」の問題も放置するなどこの問題にいまだに真摯に取り組もうとしない熊野市は、

どう考えているのであろうか?