李基允さんと「相度さんを追悼する1 8回目のつどい

 

金順子さんの追悼の舞

 2012年11月26日午後2時から、司会者の力強い挨拶で、李基允さんと「相度さんを追悼する18回目のつどいが
 三重県熊野市の追悼碑の前で始まりました。
 三重、兵庫、大阪、岐阜、和歌山、奈良、山口、東京、アイヌモシリなど、各地から参加がありました。6人の「絆」準
 備会の皆さんは、前夜東京を出発して参加しました。最初に、金順子さんが、木本事件で虐殺された李基允さんと「  
 相度さんへの追悼の舞を舞ってくれました。白い衣装の金順子さんの舞は、靜かな動きでしたが厳粛で、ギュッと地面
 を踏みこみ、手の指先に力を込めて舞っている様子は、全身が、虐殺された李基允さんと「相度さんの無念の想いと
 対面しているかのようでした。
 次に、参加者全員が献花と献杯したあと、参加者から次のような発言がありました。
   「1994年秋にこの土地を整地したり追悼碑の基礎をつくたりしたときのことが思い出される」、
   「日本の近現代史において、朝鮮を植民地支配した事実は避けられない」、
   「差別と排外に対して、自分の地域であがなっていかなければならない」、
   「94年に碑が出来た。そのとき、根拠地ができたと感じた。それからこの場でいろいろなの出会いと別れがあった。
   これからもおおくの人たちとともに運動をすすめていきたい」、
   「ホームページでこの会のことを知ることができた。この集会に参加して良かったと思う」、
   「表面的なことしか知らなかったが、歴史の真実を学んで、これからの生き方として、やっていかないとなんにも始まらないと思う」、
   「祖父母の時代の問題であるが、自分の問題として考えてていきたい」、
   「殺された人の心に通じあって、差別と排外とに闘っていきたい」、
   「日本人は多くの残虐行為を重ねてきた。日本人としてあがなっていきたい」。

 そのあと、祖父が日本の植民地支配で日本人に土地を奪われたという李陽雨さんが
   「日本列島にこういう碑が建てられて線を結んだら真っ黒になる。戦争はダメだ」と訴え、ギターをひきながら
   「父母の海を思う、……すべてすべて父母の故郷につながる」
 という渡日を余儀なくされた父母への想いの歌、「私の故郷 この海の向こう」という望郷の歌、
   「父を奪い 母を奪い 青春を奪った 私たちの後につながる 日本の歴史をあなたは知っているか 歴史はなにも教え
 てくれない 支配者の歴史は何も教えない 支配された人々の歴史をあなたはどこまで知っているか」
 と日本人の歴史認識を問う歌を歌いました。
 追悼のつどいの後、当時の木本事件の現場を辿りながら、お二人の墓石が置かれている極楽寺に向かいました。
 極楽寺には、当時、お二人の遺体が無惨に放置されていました。                    竹本昇