6回目の李基允氏と?相度氏の追悼集会を行う
1999年11月21日、熊野市木本トンネル前の追悼碑前にて李基允氏と?相度氏の6回目の追悼集会を開きました。追悼式では例年通り建立する会から活動報告、献花・献杯を行い参加者一人一人から1年間の活動に対する総括などをひとことづつ話していただいた。特に1999年は7月に大阪人権博物館にて企画展を開催し、多くの人たちに「木本事件」を知ってもらえたことが最大の成果であるとの意見がもっとも多かった。しかしながら熊野の地元から集会に参加した方はおらず、地元で「木本事件」や熊野市の問題点を広める運動を行うことの必要性を他方で感じた。「木本事件」が地元でタブー視される一方で、追悼集会の前に碑の周りの草刈りをわざわざしてくださる市民の方もおり、私たちの活動を理解し「木本事件」の問題点に気づいてくれる一人でも多くの市民に出会えることを望んでやまない。
追悼式の後、会場を極楽寺に移して「記念集会」を行いました。ここでは集会の参加者とともに1999年の活動の総括を行い、そして会として2000年に活動していることについて意見交換を行うことを目的としました。
はじめに極楽寺の足立住職から2人の「墓石」に彫られた差別戒名をこれから改めていく取り組みを進めることとなぜ自分がこのまま差別戒名を放置することができないと感じたかについてを語っていただいた。足立住職の考えをお聞きし、会として『1.差別戒名があった事実を残す意味でも極楽寺に差別戒名の彫られた「墓石」(レプリカ)を残し、新たに差別戒名を改めた「墓石」を建てる。2.今までの経緯を未来に伝え、残すためにも案内板を設置する』ことなどを足立住職に依頼し、同意していただきました。今後この差別戒名を改める取り組みを足立住職と会とで行うことになりますが、2000年11月の追悼式までに一つの形にしたいと考えています。この取組みは単に新たに「墓石」をつくるというものではなく、地元の日本人が地元住民の歴史認識を変えていく取組みの「象徴」=「墓石」として、これから熊野の地に遺っていくことになるはずである。そういう意味でこの「墓石」は追悼碑とともにとても意味のあるものになると思う。
次に大阪人権博物館の村上さんより夏に開催された「木本事件」についての企画展についての報告がなされた。大阪人権博物館での企画展の成功と成果を次に生かすためにも、この企画展で製作した写真パネル等を使って、熊野市で企画展を開催することを会から提案しましたが、残念ながら熊野市民の方の参加が当日なかったために具体的に実施についての話し合いを行うことはできませんでした。しかしながら色々なつながりをもとにまず三重県内で企画展を開催していくことが確認されました。また熊野市民の方でこの企画展に協力していただける方たちに出会えるようこの問題を多くの人たちに広く知ってもらい、なんとか近い将来熊野での企画展開催の実現を目指すことにしました。
2000年も一つ一つのテーマを成し遂げつつ、熊野市に謝罪させ、「熊野市史」の書き換え等を実現させていきたいと考えます。