熊野市への2007年3月10日付抗議文  

  


2007年3月10日

熊野市長    河上敢二 殿

熊野市教育長 杉松道之 殿

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允・?相度)の追悼碑を建立する会

紀州鉱山の真実を明らかにする会



 抗 議 文


  2月20日付けの回答を受け取りましたが、あなたたちは「協議の余地なし」という今までの回答をくりかえすだけ

で、地元で起きた歴史的事件に対する真摯な向き合い方をまったくみせておりません。

 なによりもまず、あなたたちは、みずからがわたしたちの会とのあいだで約束したことを反故にして平然としてい

ます。『熊野市誌』の「木本事件」の記述にある住民の行動を「誠に素朴な愛町心の発露」とする部分を削除すると

いうことは、熊野市がみずから明言し、関係者や関係機関に通知のはがきまで発送したことです。ところが実際に

は、関西各地の公立図書館はおろか、地元の公的機関(たとえば熊野市の鉱山資料館)に所蔵されている

『熊野市誌』においてさえ、この部分の削除はなされていません。熊野市はこの削除が実際におこなわれたのか

どうかについての確認作業すら怠っています。このようなことをしていて、どうして「協議の余地なし」などということが

言えるのでしょうか。

 熊野市には、「木本事件」と紀州鉱山の強制労働というみずからの行政管区内で起きた歴史的事件について、

その事実を明らかにする責任があります。ところが熊野市は責任をとるどころかその正反対のことをしているの

です。熊野市の図書館にはわたしたちの会が提供した会報や資料が所蔵されていますが、会報については

閲覧コーナーから撤去され、公共の閲覧ができない状態になっています。この件については、図書館協会の

全国大会で以前に問題になったことがあります。熊野市は情報の公開ではなく、情報の意図

的な隠匿によって地元で起きた事件の真相を究明する作業を妨害しているのです。

 熊野市のこのような対応については、マスコミも注目しています。昨年は石原産業が産業廃棄物フェロシルトの

不法投棄問題で告訴された際に、マスメディアは石原産業が戦前に経営していた紀州鉱山について調べている

わたしたちの会の活動に注目して、取材をし、戦前の朝鮮人の強制労働や鉱山公害の問題と今日の産業廃棄物

問題との関連を記事にしています。そのさいに、わたしたちの会が熊野市にたいして行った要請が具体的に

紹介され、新聞に掲載されました(伊勢新聞2005年12月17日、、中日新聞2006年2月15日夕刊2面)。

熊野市がこの要請に答えるどころか話し合いも拒否しているということはメディアを通して周知されています。

 わたしたちはこのような不誠実な回答に強く抗議するとともに、熊野市がこの課題について責任をもって対応で

きる部署を組織し、わたしたちとの話し合いに応ずるよう要望します。 

                                                        以上