二人の新しい墓碑

差別戒名の刻まれた二人の「墓石」に疑問を感じられた

極楽寺の足立知典住職は2000年11月に二人の

墓碑を極楽寺に建立されました。  

  墓碑には、二人の朝鮮人名が刻まれています。

李基允氏と?相度氏の「墓石」について

  1926年1月3日、木本トンネル工事で働きに来ていた李基允(イギユン)氏と?相度(ペサンド)氏が、笛吹橋の近くで木本町の在郷軍人らによって殺され、お二人の遺体はしばらくのあいだ、この極楽寺の墓地におきざりにされていました。
 お二人の雇い主は「墓石」を建てましたが、その右側に「鮮人 春山清吉」、「鮮人 秋山正吉」と朝鮮人を差別することばと、お二人の日本人式の名前が刻まれています。そして正面には「春山」、「秋山」から字をとった四文字の差別戒名が刻まれています(戒名はふつうの6文字です)。
 当時、朝鮮は日本の植民地にされ、土地や食糧を奪われて、多くの朝鮮人が生活のために日本に働きに来ざるをえませんでした。日本では、日本式の名前を使わせられることもしばしばだったのです。
 やがて月日が流れ、お二人の「墓石」はこのうしろの無縁墓地の中に離ればなれにされ、ひっそりと置かれていました。事件当時四歳だった?敬洪氏(?相度の二男)が、1990年4月に熊野市を訪れたとき、下におろされ、ここにならんで置かれたのです。
 その隣に置かれているのは、これらの事実を知り、差別戒名に疑問を感じた極楽寺の足立知典住職が、改めてお二人の供養をするために建てたものです。
 また木本トンネルの熊野市側高台には、お二人の追悼碑が建てられています。