なぜ、今「木本事件」なのか

事件は終わっていない
 

いま、イギユン、ペサンドの死はかたちを変えて日本で繰り返されてい

ます。二人が日本に働きに来ざるをえなかったのは、日本の植民地支配

によって祖国の生活と土地を奪われたからです。現在の日本でも、同じ

ようにしてアジア各地から数多くの外国人労働者が出稼ぎのために来日

し、低賃金や劣悪な労働条件の下で差別・虐待を受け、なかには餓死や

自殺に追い込まれた人もいます。敗戦前も今も、日本はアジアの富を奪

い、アジア民衆の犠牲の上に豊かさを享受しているにもかかわらず、日

本人の多くはそのことに無自覚なままでいます。

 しかも、日本政府は、朝鮮や中国への侵略行為に対して反省の色さえ

見せていません。それどころか、かつての侵略行為を何とか正当化しよ

うとさえしています。西ドイツ政府は、ユダヤ人の差別・虐殺やナチス

の犯罪に対して自己批判し、謝罪していますが、現在の日本政府はそれ

とはまったく逆のことをしているのです。


 「木本事件」は、1923年の際の日本人による朝鮮人・中国人の大

虐殺や、アジア各地で行われた、天皇ヒロヒトを最高指揮者とする軍隊

(「皇軍」)による民衆虐殺に比べたら小さな事件ですが、それらの事

件とはではありません。そして『奥熊野百年誌』(1968年)、

『木本諸小学校百年誌』(1973年)、『熊野市史』(1983年)、

などにおける記述が現在もなお、この事件を包み隠し、歪めて伝えてい

ることからも明らかなように、この事件に対する熊野市当局や市民の対

応のしかたの中にも、日本人がおのれの歴史に対する責任を回避しよう

とする態度が表れています。

歴史から学びつつ


木本事件はけっして過去のできごとではありません。イギユン、ペサン

ドの死の陰には、無数の朝鮮人労働者の死が隠されています。北海道、

紀伊半島(三重県、和歌山県、奈良県)、信濃川流域(新潟県)、九州

の炭坑など日本全国のいたるところで、数多くの朝鮮人労働者が鉄道工

事、道路工事、発電所工事、炭坑の採掘に際して「事故死」させられ、

葬りさられてきました。イギユン、ペサンドの無念の声を聞き取り、さ

らに名を知られることさえなく暗闇の中で殺されていった朝鮮人やその

他のアジア人の遺志をたずね、ふたたび同じ悲劇が起こらないように努

力していかねばなりません。