海南島「朝鮮村」遺骨「発掘」に資金協力をお願いします!

 


         

海南島の「朝鮮村」には日本軍に殺されたと思われる多数の朝鮮人の遺

骨が埋められたままになっています。日本軍による犯罪行為をはっきり

とさせるため、「発掘」、遺骨鑑定、死因調査、身元調査にご協力をおね

がいします!

遺族も高齢化し、海南島の暑い気候は遺骨の崩壊を早めるため、早急に

調査しなければなりません。私たちは2004年2月に「発掘」を予定しています。

しかし、「発掘」、遺骨鑑定だけでさしあたり、150万円くらい必要です。

とても私たちの市民団体ではまかなえる費用ではありません。

ぜひ、資金・技術協力をおねがいします。



海南島

海南島は中華人民共和国とベトナムの境、トンキン湾の東にあります。

1939年2月、日本軍は海南島を攻撃し、次々と島の要所を占領して

いきました。海南島はアジア・太平洋地域に侵略をすすめる日本軍の前

線基地とされ、また資源獲得をめざすという国策のもと、多数の日本企業が

海南島に進出しました。軍事施設の建設、鉱山労働、道路などの建設

工事には海南島住民をはじめ、広州・潮州・上海の人たち、朝鮮、台湾の

人たちなどが苛酷な労働を強いられました。

日本軍は植民地朝鮮・台湾の刑務所に服役していた人を「朝鮮報国隊」・

「台湾報国隊」として海南島に連行し、労働を強制しました。「朝鮮報国隊」

とされた人たちは海南島各地の飛行場建設、石碌鉱山(日本窒素)、

鉄道・土木工事(西松組)、田独鉱山(石原産業)、港湾工事などで

働かされていました。日本の敗戦前後、日本軍はこの1000人にのぼ

る「朝鮮報国隊」の人々を、三亜市郊外の「朝鮮村」(南丁村)で虐殺し

ました。



「朝鮮村」

「朝鮮村」の名前は近くに暮らす黎族の住民が日本軍に殺された朝鮮人

を弔う意味でつけたそうです。朝鮮人と一緒に道路建設作業を日本軍に

強制された、「朝鮮村」近くに住む符亜輪さん(87)は、こう証言しています。

「朝鮮人は竹で作ったかごを背負って土を運んだ。…道路ができたあ

と、何の理由もなく、朝鮮人を二人ずつ木に吊るして殴った。

…死ぬまで殴って、死んだあと2、3人ずつ穴に埋めた。…(朝鮮人は)

みんな同じ服を着ていた。上着もズボンも青色で、ボタンは白かった…」。

これまでの調査で「朝鮮村」では、100体を越える遺骨と軍隊手帳、

薬きょう、白いボタン、青い布切れ、針金、銃剣などが見つかっています。

遺骨のなかには、頭蓋骨に撃ち抜かれたような穴のあいたもの、腕の骨が

異常に変形したものなど、明らかに外的な力を加えられたものもあります。

わたしたちは各地で聞かれた、「『朝鮮報国隊』は青い服を着、その

ボタンは白い色だった」という証言などから、「朝鮮村」に埋められている

遺骨は「朝鮮報国隊」の人たちであると考えています。



今、事実を明らかに―

 

「朝鮮村」の遺骨は、わたしたちに残された虐殺の一つの「証拠」でも

あります。これまで遺骨の身元は一人も明らかになっていません。今回、

「発掘」作業と埋められた年代の測定、年齢・性別などを調べる遺骨鑑

定、死因などの法医学的な調査などをしたいのです。 

みなさん、日本政府と侵略企業の責任を明らかにするため、発掘作業

をともに進めませんか!

振込先

郵便口座番号 00920−3−247174

名義 紀州鉱山の真実を明らかにする会

一口 3000円