2002.11.21 testtext by kitaros みみそうじ  *  久し振りに従姉が部屋に来たので、耳掃除をすることになった。 「って、なんで耳掃除なのよ」 「いいからいいから。姉さん昔、俺によくやってくれただろ?」 「それはまあ、そうだったけど」  姉さん――俺は彼女をそう呼んでいた。  狭いワンルームの玄関をあがると、姉さんはぐるりと俺の部屋を見回した。 「案外、片付いてるのね」  思わせぶりな笑みを浮かべて言う。 「まあね」 「女の子呼んだりすることもあるの?」 「勿論、あるよ」 「ふうぅん……」  姉さんはなんだか中途半端な返事をよこす。 「えいっ」  と、いきなり姉さんが屈んだ。  俺のベッドの下を覗き込んでいる。 「さて、このへんにえっちな本が」 「探すなっ!」  ぽかっ! 「あいたっ!」  すかさず俺は、姉さんの後頭部を優しくひっぱたいてやった。 「暴力反対」  振り向いた彼女は、涙目のフリをしていた。 「こっちこそ、家捜し反対だ。まあいいから姉さん、服を脱ぎなさい」 「は?」 「コートを着たままでは出来んだろう」  まだ姉さんは、後頭部を擦っていた。思ったより痛そうに見えた。  加減したつもりだったんだけど。 「じゃあ、私、脱ぎます」 「いちいち宣言しなくてよろしい。……脱ぐの、手伝おうか?」 「あほ。ひとりでできるわっ」 「あほとはなんだ、あほとは。失敬な」  一旦、姉さんは立ち上がった。  ボタンをゆっくりと外し、白いダッフルが床に落ちる。  彼女は、赤いセーターを着ていた。  暖かそうなセーター。  その胸元には、シルバーのアクセが光っている。 「さて、と。それじゃあ綿棒どこ? 耳掻きのほうがよかったっけ? 貸してよ」 「やなこった」  俺は意地悪を言った。 「なんでよ。出来ないじゃないの」 「だってさ」 「きゃっ」  不意に姉さんの両腕を取って、俺は彼女を床に組み伏せた。 「な、なに……するのよ」 「膝枕」  そしておもむろに、姉さんの頭を、俺の足の付け根にぐいっっと押し付けた。 「いきなりなにを……や、やめなさいよっ」 「なにうろたえているんだ?」  姉さんは赤面していた。 「…………」 「おとなしくしろよ」  俺の正座した膝の上に、姉さんの頭がちょこんと乗った。  いや、無理矢理乗せたんだが……。 「耳掃除をすると言ったろ」 「わ、私がされるほうなの? もしかして」 「もしかしなくても、そうだよ」 「変なの」 「たまには、いいじゃないか」  確かに変かもしれないが。  そういう気分だった。 「はぁ……」  姉さんは観念したように、俺の膝の上でおとなしくなる。  顔を横に向け、横髪を避けてくれた。 「ほら、さっさとなさい」 「へーい」  向けられた耳たぶに、俺は手を伸ばした。 「んっ……くすぐったい」  姉さんがぴくりと反応する。 「えーと、暴れたりしないように。危険なので」 「ちゃんとできるの?」 「できるさ。上手いんだぞ俺は」  耳掻きをそっと扱う。 「お客さん、かゆいところあります?」 「ないけど。美容院かあんたは」 「うえっへっへ」 「やらしい笑い。オッサンみたい……あ、そこちょい右」 「OK。俺の腕はどうよ?」 「ん〜……確かに言うだけのことはありそうね」  姉さんは気のないように答える。  しかし悪い気はしていないようだった。 「彼女にも、してやったりするんでしょ」 「ん?」 「耳掃除よ」 「ああ、たまにね」 「ふうぅん……」  またしても『ふうぅん』。けだるいような『ふうぅん』。  妙な相槌と思う。 「で、気持ちいい?」  俺はそっと、彼女の耳をこそぎながら訊く。 「うん、ちょっとだけ、気持ちいい……かも」 「そうか、ではもっとよくなるように、ゆるゆると出し入れしてやろうっ」 「黙れこのセクハラ野郎、セクハラ野郎」 「すいません」 「せっかくいい感じなんだから、くだらないこと言って興を削がないでよ」 「うーん、それにしても姉さん、うなじが色っぽいなあ」 「ほらまた。余計なことに気を取られてないで、作業に集中しなさい」 「へいへい」  渋々、手を動かす。  そういえば、一緒に風呂に入らなくなってから結構経つのだ。  こんなにも姉さんの肌は白かっただろうか。  こんなところにほくろがあっただろうか。  あんなに親しかったはずなのに、意外と知らないものだ。 「それにしてもさ」 「なぁに?」  姉さんは横顔を向けたまま、ゆっくり肩で息をしている。 「結構な『あめ耳』なんだなあ」  ねっとりとした水気の多い耳だった。  正直、耳掻き棒ではやりづらい。 「あれ? 知らなかったっけ? お父さん似でね、体質」 「ああ、叔父さんもそうだったっけ……遺伝か」 「そ」  時折ティッシュで掻き棒の先を拭いながら、俺は耳穴探検を続ける。 「あいたっ――」  姉さんが軽く身を竦めた。慌てて手を引っ込める。 「あ、ごめん。ちょっと棒が引っかかった」 「痛くしないでよ。気をつけて」 「わかってる」 「……続けて」 「おう」  再び耳に手をやる。  そっと掻き棒を差し入れようとした。  けれど、姉さんは何かを怖がるようにちらちらと、こちらに目を向けている。 「どうしたの?」  俺が訊くと、目を逸らした。 「耳掻きがさあ、やっぱりおっかなくて。硬いし」  少し不安げに、身を硬くしている姉さん。 「綿棒派だっけ?」 「綿棒派だよ。あめ耳なんだから」 「だよなあ」 「まあ、綿棒ないなら仕方が」 「あるよ」 「えっ!?」 「あるよ、綿棒」  俺が言うといきなり姉さんは身を翻して顔をこちらに向けた。 「むう」  膨れっ面だった。 「なによ! 綿棒あるなら最初から使ってよ」 「ははは、なに怒ってるんだよ」  姉さんの赤みの差した頬が、なんか可笑しい。 「なに笑ってるのよ、むうむううぅぅぅ」  さらに口を尖らす。可笑しい。 「もう、終了」  と、姉さんは俺の膝から降りてしまった。 「まだ途中だぞ」 「終了でいいよ。あんたの膝枕は硬いしでこぼこで肩が凝るわ」 「我侭だなあ。せっかく人が親切で――」 「やってくれとは頼んでない。さ、交代」 「え」 「交代だっつーの」  がばり。  半身を起こした姉さんは、俺の頭を鷲掴み、 「そしてそのままマウントポジションに」 「するかっ!」  ぽかっ! 「あいたたっ!」  殴られる俺。  即座に、さっきと立場逆転する。  押し倒された俺は、姉さんの膝枕の犠牲に……。  いや、犠牲じゃないな……。  ささやかなる幸せだ。  姉さんは、チェックのミニスカートをはいていた。 「うえっへっへ、おとなしくしろ」  彼女はわざとらしく、にやにや笑ってみせた。 「まるで変態さんのようだ」 「悪かったわね。あんたの下卑た笑いを真似ただけよ」 「どういたしまして」  しかし、うっかり俺もにやけてきてしまった。 「あのう、ふともも触ってもいいですか」 「却下」  作り笑いが素に戻る。 「そんな、即答しなくても」 「却下」  俺の襟足のあたりに、姉さんのスカートの裾が触れている。  膝枕はとても柔らかく、暖かだった。 「はい坊や、顔横向けて」 「坊や呼ばわりかよ」  姉さんはいつしかまた、微妙な膨れっ面を浮かべていた。  世話の妬ける子どもを扱うような顔。 「はい、おとなちくちまちょうね、ぼうや」 「……ちぇ……」  俺も膨れてそっぽを向いた。  姉さんの手が、俺の耳をそっと繕う。 「お客さん、かゆいところは」 「ないよ」  ぐりぐり、ぐりぐり。  丁寧なんだか、乱暴なんだか、緩急ありながらの耳掃除。  懐かしい感じ。  姉さんの手つきは、昔と変わりなかった。 「ふーっ……」 「おわっ! なにいきなり耳に息吹いてんだよ姉さん!」 「はははっ、びっくりしてる、びっくりしてる」 「ふざけないでくれ」 「へいへい」  本当は飛び上がるほど驚いた。  心臓が、飛び上がるほど。  顔色は変えずに。  いや、変わってたかも……。 「照れてんの?」 「違うよ、姉さんは子どもみたいな悪戯するなあと思っただけだ」 「だって顔赤いし」 「赤くないよ」 「赤いよ。このセーターくらい赤いよ」 「嘘つけ」  俺はくるりと頭を向けて、姉さんの顔を覗き込んだ。 「…………」  この、頭上の顔。  かつて見慣れたはずの、近頃は遠くなった顔。  膝枕から、見上げる彼女の顔……。 「膝枕から見上げる彼女の胸」 「あのなあ……黙れ」 「いや、意外とこれは迫力がありトップとアンダーの差は如何ほどなものか恐らくは弾力も」 「その淡々とした実況口調、おやめなさい」 「へい」  赤いセーターは、姉さんの胸元に優しいカーブを描いていた。  そこから下がるシルバーの、 「あ」 「なに……? さっさと横向きなさいよ」 「これさあ」  俺は胸の間に手を伸ばしてみた。 「なんだよ、触るなよぅ」  すぐにぺちっと手は払われるが、 「違うよ、首から下げてるアクセ」  そのシルバーのアクセサリが、本当は気になっていた。 「あ、これね。貰い物」 「もらいもの?」 「もらいもの……」  姉さんはアクセをそっと握った。 「あいつに、貰ったのか?」  少し間があってから、彼女は答える。 「ん……そう、だよ」 「ふううぅぅぅぅぅん」  俺はなんでもないように、相槌を打つ。 「なに、その『ふうぅん』ってのは」 「姉さんの真似。『ふううぅぅぅぅん』」 「似てねー」 「…………」  姉さんの彼氏のことはよく知らない。ちらと顔を見たことしかなかった。  続けて姉さんが口を開く。 「まあ、あいつとはもう別れて半年になるわけだけど」 「えっ!? そうだったの?」  それは知らなかった……。 「でも、それならどうして付けてるんだ、それ?」  別れた相手からの、贈り物。  俺が訊くと、姉さんはそっぽを向きながら答える。  窓の外を見ているようだった。 「貰ったものは思い出だからね、簡単に捨てられない」 「ふぅむ」 「それはそれ、って言ったら言葉は悪いかもしれないけど。相手が憎くなったりしたわけじゃないしさ」 「そっかあ……」 「外したほうがいいの?」 「いや、任せる――つーか、俺に訊くまでもないだろ?」 「ん、まあ……そう、だよね」  姉さんは軽く息を吐くと、俺の耳に視線を戻した。 「あ」  その時やっと、俺は気付いた。 「なに?」 「そのセーター」 「セーター?」 「思い出した。俺が選んだやつ」  ……だった。そういえば。 「3年前のだけど、まだ着られた」 「そうかよかった、太ってなかったんだな姉さんっっ!」 「……刺すよ?」  姉さんの目がきらりと光った。 「あ、いやその、耳掻きを逆手に持って振り上げないでください。危険なので」 「承知の上」  おい、本気か。  俺は今度こそ飛び起きた。 「いや、マジで。洒落にならんので」 「覚悟っ」  はしっ。 「白刃取り」  冗談ってのはわかってる。  それでも姉さんの手を、しっかりと握って止めた。 「えー、やらせてよ。やらせてやらせて脳改造」 「えーじゃなくて――脳改造?」 「……この機会に頭の中も掃除してやろうと思ったんだけど」 「ね、姉さん……」  勘弁してください。 「まあ、そんなに言うならやめてあげよう」 「お、おう」  しばし、手を握り合ったまま睨み合う。  目つきは睨んでないけど。  むしろ、姉さんはたれ目だった。 「手、小さいな」 「離せ、ばか」  ぺちっ。  またしても手を払われる。  拗ねる姉さん。  おとなしく引き下がっておく俺……。  互いに、膝枕ポジションの定位置に戻った。 「セーター、似合うよな、姉さん」 「そうでしょ?」 「やっぱ、俺が選んだやつだからな」 「あら、私が着こなしてるからよ」 「俺が選んだからだ」 「元がいいからよ」 「むう。屁理屈ばかり言ってると婚期を逃すぞ」 「やかましい。……ほら、耳掃除はもういいの?」  ふと、チェックの裾が、ちょっとほつれているのが見えた。 「ミニスカートも似合うな、姉さん」 「やだ、なによいきなり。恥ずかしいじゃない」 「うーん、やっぱりふとももが気持ちいいなあっ!!」  思わずそこに頬擦りしてしまった。 「な!? なななな!」 「あ、今おなか鳴ったろ姉さん」 「ああっ、あほ! 死ね! 死ね! このヘンタイ!」 「や、やめろ! 耳を突き刺すな! 真似もするな! マジで危険――」 「くらえっ」  そして頭上からどかどかと。  降り注ぐ綿棒。  それから、降り注ぐ笑顔。  姉さんの笑顔。  それは目に眩しい。  ついでに天井のあかりも、眩しかった。  俺はまた見上げたくなった。  姉さんの、笑顔。  いつかまた、この部屋で。  こんな耳掃除を。  *  * 「ハァハァ……我が従姉ながら加減を知らんな」 「ふふふ、お互いさまよ」  *  * おしまい ## 作成所要 延べ5時間くらい