何かにおびえながら暮らしていると、いろいろな病気にかかる。
多汗症になり、膝が弱り、悪くすると腸閉塞で七転八倒する羽目になる。
これらはまさしくヨーゼフ・メンゲレの身体に起こっていた現象だ。

彼が経験してきた病の歴史は、ある意味こっけいで、アウシュヴィッツの悪魔のイメージとは一致しない。

懸賞金目当ての追跡者に捕まりそうになったメンゲレは、とっさに自分の口髭の先端をまとめて噛み切った。
(訳者註〜その場の思いつきで「とっさに噛み切った」とか、てきとうに和訳したけど、何かちがう。たぶんだけど、「びくびくしながら生活しているうちに、そういう変な癖がについてしまった」が正しい。これに関する他の記事を読んで、そんな気がしてきた)

嚥下され腸内に蓄積された髭は、球形に膨張し、消化器官の機能を麻痺させた。
危篤に近い状態だったのではないだろうか。

どうにか一命はとりとめたが、それで終わりというわけではなかった。
ナチ時代、人間をモルモットとして扱い、生体解剖を行ない、新生児を切り刻んだ男の体は、どんどん弱っていった。

30年間の逃亡生活をおくった彼が、最終的にドイツへの帰国をあきらめたのも、この体力の衰えが原因だった。

衰弱、抑鬱、破産。
これは1970年代、メンゲレが日記の中で自分自身に対して下した診断だ。
先週サンパウロの新聞がこの日記の抜粋を掲載した。

日記や手書きの家族史など84の文書が、サンパウロのブラジル連邦警察資料室から発見されたのだ。

警察がこれらを押収したのは1985年のこと。
サンパウロでメンゲレをかくまっていたドイツ人夫妻の家、および最後にすごした海岸の家で見つかったこれらの資料は、当初、誰からも注目されなかった。

このときの捜索では、文書以外にも、メンゲレの形見と呼べそうなものが一緒に発見されている。

医学書を含む書籍群、オリンピック記念のポスター、"OLLA"ブランドのコンドームなどは、ほぼ見つかったときの状態を保っており、傷みは見られない。
いくつか失われたものある。
一対のグラス、手紙を書くのに使われたアメリカ製のタイプライターなどは、何者かによって盗まれてしまった。

アウシュヴィッツでは数え切れないほどの命がメンゲレの実験によって失われている。
そう考えれば発見された文書類は注目に値するといっていい。

手紙や日記は、「死の天使」の逃亡中の生活に言及している。
これらは、彼の意外な一面を明らかにしてくれている。

前時代の中産階級的なものの考え方に執着していたこと。
都合の悪い記憶を消し去る達人であったこと。
科学探求に向かう暴力的な姿勢とは裏腹に、芸術に対しては畏敬の念を持って接していたこと。
もちろん、これらによってアウシュヴィッツの歴史を書き換える必要が生じてくるわけではまったくない。

手紙は、息子ロルフと、ウォルフガング・ゲルハルトに宛てて書かれたものだ。
ゲルハルトはナチ残党の一人で、数年間メンゲレの逃亡生活を援助したのち、1971年にブラジルから故国オーストリアに戻った。
ブラジルを出るさいに、自分のIDカードをメンゲレに渡している。
1979年、遊泳中に溺死したメンゲレの、墓石に刻まれた名が、その「ウォルフガング・ゲルハルト」だ。

メンゲレの死後も、懸賞金ハンターやナチハンターたちは追跡を続けた。
墓から遺骨が引っ張り出されても追跡を止めなかった。
本当は生きているのに、メンゲレの故郷の家族や旧友が、死んだというストーリーをでっち上げているのではないか。
疑いはしばらく消えなかったが、今ではそれも完全に払拭されている。
遺骨と、息子ロルフから採取したサンプルのDNA比較で、一致が証明されたのだ。

ただ、そういった伝説、「まだ生きているのではないか」などという話ががまことしやかに語られるあたりは、いかにも彼らしい。
残虐な殺人、数々の偽名、そして逃げおおせたという事実。
大体のところこの三つが、巨大な悪役としてのイメージの構成要素だろう。

バヴァリアで4年間の潜伏生活を送ったのち、彼は赤十字のパスポートを手に入れた。
1949年のことだ。
南米に逃れ、アルゼンチン、パラグアイ、ブラジルと渡り歩いた。
その30年間に使った名前は、フリッツ・フィッシャー、ヴァルター・ハゼック、ドクター・ヘルムート、グレゴル・グレゴリ、ジョゼ・アスピアージ、フリードリッヒ・エルダー・フォン・ブライテンバッハ、ドクター・ヘンリーク、ヴォルマン・アンド・ファミリー、そして最後にウォルフガング・ゲルハルト。

サンパウロにやってきたとき、ブラジルは、ナチ残党にとって天国のような国だった。
それほど安全な場所だった。
しかしここでさえ、メンゲレは平穏な生活を享受することはできなかった。
運転免許証や居住許可証を入手するため、役人を相手に神経をすり減らさなくてはならなかった。
正体を見破られ賄賂でその場をしのいだこともある。
発作と腸機能障害を起こしたのもこの頃、さらに日記や手紙を書き始めたのも同じ頃だ。

日記は、愚痴と不満で溢れかえっている。
「暑くて眠れやしない」
「雨だ、憂鬱だ」
「こんな立場じゃ希望も何もありゃしない」

故国ドイツに対する絶望も書き綴っている。
1975年5月8日、第二次大戦終結から30回目の記念日、「詩作の試み」として、こんな言葉をドイツにささげた。

ドイツよ、危機真っ只中の母国よ、帝国は何処へ?

それ以前、1960年代の時点で、ドイツはメンゲレにとってすでにダメな国になっていた。

顎髭を生やした長髪の学生。
リベット打ちのトラウザー(訳者註〜ジーンズのことか?)、カウボーイのようなシャツ(なんだかわからん)
伝統や礼儀といったようなものがどんどん失われていく。

文化に対しても手厳しい。

不協和音としか思えない耳障りな音楽。
劇場やテレビが垂れ流すのは、頭からっぽのものばかり。
現代アートとか呼ばれるものは、病んだ精神の表現、無知の表現、能力欠如の表現、悪意の表現。
こんなものをまじめに受け取るやつは、けっきょく誰からもまじめに相手にしてもらえない。
最近の建築物だって現代アートと一緒で、まるでなっちゃいない。
頭のおかしいやつだけがこういう文化を面白がって受け入れる。

堕落した若者、性の解放、民主主義、メンゲレにとっては全部生ゴミのようなものだった。
こんなダメな国でも、メンゲレは密かに帰りたいと願っていたのだ。

しかしけっきょくは帰らなかった。
それはドイツがダメな国になってしまったからではない。
理由のひとつは破産。
もうひとつは健康上の問題。
メンゲレにはもはや新しい生活を始める体力は残っていなかった。

友人、ウォルフガング・ゲルハルト(もちろん本物のゲルハルト)は、メンゲレにドイツへの帰還を促した。
何とかメンゲレの気持ちを奮い立たせようと、手紙にこんなことを書いている。
「何も死ねと言っているわけじゃない」

しかしメンゲレの重い腰は上がらなかった。
長年の逃亡生活で溜まりに溜まったストレスが、体をがんじがらめにしていた。
すっかり馴染んでしまった隠遁科学者としての生活を今さら捨てたくなかった。

メンゲレはこんな詩も書いている。

鳥が歌うとき、それは必ず誰かのために歌っている。
星が輝くとき、それは必ず誰かのために輝いている。

メンゲレの手紙やノートを読んで分かるのは、どうやら政治や文化に対する彼の意識は、1945年で止まってしまっているということだ。
それともうひとつ、アウシュヴィッツ時代の出来事と真正面から向かい合う気はまるでないということ。
どこか知らない遠いところで死刑判決が下され、自分はそれをただ執行しただけと考えているようなところがある。

犠牲者たちは、アウシュヴィッツ行きの列車に乗ったことで運命の全てが決定されてしまったわけではない。
線路は最終的に、アウシュヴィッツ駅の到着ホームに引き込まれるのだ。
1974年9月3日の手紙で、彼は唐突にこんなことを書いている。

「"選ばれし民" に対して、我々が犯した大いなる罪」

わざわざ""で括って記した、その意味するところは、罪のない忘却か、悪質なはぐらかしか。
彼はドイツ全体のユダヤ人迫害について書いているのだ。
アウシュヴィッツではいったい誰が「選んだ」と思っているのだろう。

こんな彼のことであるから、次のような記述もさして驚くにはあたらない。

「アウシュヴィッツ配属を命じられたときの驚き」
「どん底に突き落とされたような気持ち」

アウシュヴィッツ赴任を命じたアルベルト・スピアーズは、のちに自己批判声明を出しているが、この元上司の自己批判に対しても、メンゲレは反吐が出そうだと書いている。

純血主義、人種差別主義もナチ時代から変わっていない。
南アフリカのアパルト・ヘイトこそ純血を守る最良のシステムだと考えていた。

終の棲家として選んだブラジルは混血の国だったが、メンゲレの周囲には同じ考えの人間がいた。
ウォルフガング・ゲルハルトに宛てた手紙の中で、メンゲレは、自分をかくまってくれているブラジル人家族の、ナチ寄りの思想について触れている。

ただこの家族にも例外はいる、と、手紙の中でメンゲレは続ける。
人種の何たるかを分かっていないブラジル人と婚約した、馬鹿娘だ。
こいつらはいずれ厄介者になるだろう。
これを除けば、自分の生活環境はまだ「汚染されていない」

現代のブラジルでも、メンゲレが孤独を感じることはないかもしれない。
生まれた子供のファーストネームに「ヒトラー」を選ぶ親が、今でもいるのだ。
ブラジル大統領、ルラ・ダ・シルヴァが、最近のインタビューでこんなことを言っている。

ヒトラーは確かに間違っていた。
ただ評価できる部分がまったくないわけではない。
何かを成し遂げようとするなら、燃え上がるような、ああいった情熱が、たしかに必要だ。

南米の回帰線を見おろす山羊座の輪郭には、前時代の狂気の炎がまだチラチラと見え隠れしている。