考えてはいけないこと




このごろつくづく思うことがある。 俺も年をとったなあって。 自己紹介の生年月日でわかると思いますが、 2001年6月現在22歳です、今度23歳になります。 もうすぐ馬年です、年男です、・・・何かヤダ。 ちなみに以前年男になったのは、11年前の小学校6年生の時でした(当たり前)。 小学生・・・いい響きだ・・・若くて(ロリコンにあらず)。 そのときのことで覚えているのは「湾岸戦争」かな、やっぱり。 最近ミサイルっていうと「テポドン」だろうけど、 当時は「スカッド」とか「パトリオット」とかがメジャーだった。 連日のようにマリオフセインの顔がテレビで出てた、そんな時代だった。 あれから中学、高校、そして・・・浪人を経て現在大学生。 もう年はとりたくない。 そして自分が年をとれば、周りの人間も年をとる。 一番の例が自分の親だ。 そしてその現実は、俺自身をひどくブルーにさせる。 うちの親父は51歳です。で、最近聞かされてショックだったこと、 親父の定年が55歳だということ。 なんていうか・・・早いです、あと4年です。 俺はてっきり定年は60歳だと思っていた。 なんていうか・・・いやだ、自分の現実が壊れる気がして。 でも、「考えてはいけないこと」は、こんなことではない。 「考えてはいけないこと」、それは 「過去の出来事」と「自分と自分の周りの人間の年齢」を照らし合わせる事。 これは禁断の思想です。 それでもあえて、考えてみますか。 俺のジイさんは、俺が小学校3年の夏に死んだ、脳溢血だった。 小学校3年といえば8歳、そして俺の親父は当時37歳。 そして俺には今年25になる3歳はなれた兄がいる。 37−25=12 それでも・・・あと10年はある、「10年しかない」とは考えたくない、絶対。 しかし・・・・・・、 俺のバアさんはまだ生きている、生まれは昭和元年、77歳・・・かな、だいたい。 年に2,3回、近所の敬老会かなにかで旅行に行くぐらい元気だ。 だが・・・・・・ 俺は、ひいバアさんに会った事がない、兄ですら会った事がない。 「曾孫の顔を見るまでは」と言いながらがんばっていたが 兄が生まれる一年前に死んだらしい。 ・・・兄が生まれる一年前、当時親父は25歳、 そして兄は今25歳。 やめましょうか、もう。これ以上考えるのイヤになってきました。 すいません・・・二度と考えません、こんなことは。 自分の当たり前の世界が壊れるのは誰だってイヤなんですから。
昔の駄文・1のメニューへもどる 駄文のメニューへもどる 総合メニューへもどる