俺の憧れの男性




このごろTVのニュースが、ほとんどアメリカで起こった同時多発テロを扱う中、 ある一つのニュースが目に入った。 「中日、星野監督、辞意表明」 これを見たときなにか少し寂しいと思った。 今回の辞意の理由は 「あまり長い間権力の座に座りつづけるのは自分の主義に反する」 ということである。 しかし、私の中では「いつまでも中日の監督は星野監督であってほしい」という願いがある。 私は別に中日ファンと言う訳ではない。 もともと野球自体、特に見るTVが無い時に夕飯の時に片手間でみる程度だ。 だが、なぜか微妙に星野監督には思い入れがある、上手く言い表せないが。 「中日の監督は星野仙一さんであって欲しい」と思っている。 ちなみに私の兄は大の中日ファンである。 ある程度はその影響を受けているのかもしれない。 しかし、兄が中日を応援していたという理由以上に星野監督の存在に何かを感じていた。 10年程前、私が影響等を受けやすい小学校3,4年の頃、 「西部の黄金時代」と呼ばれる時期があった。 清原がルーキーで、他には工藤、秋山といった選手が西武で活躍していた頃である。 そのころは私は漠然とではあるが西部ファンであった。 そのころの西武は本当に強かった。 別に今が弱いというわけではないが、特にその頃は優勝して当たり前という感じだった。 そしてある年、日本シリーズで西武に敢然と立ち向かった球団があった。 星野監督率いる中日ドラゴンズであった。 結果は、西武の圧勝。 特に記憶に残る場面などを覚えているわけではない。 だが、その時に私は星野監督という人物を漠然と知った。 なにか他の監督とは違う雰囲気。 なにか他の監督とは違う活気。 なにか他の監督とは違う人間臭さ。 そしてその監督に率いられる中日ドラゴンズがなんとなく好きになっていた。 本当の中日ファンの方からは「エセ中日ファン、エセ星野監督ファン」と言われるかもしれない。 実際はそうかもしれない。 私は、中日の選手に特別に詳しいというわけでは無い。 珍プレー好プレーの時に、審判と激しく言い争いをする星野監督を毎回期待しているのは確かだ。 だがそれでも私は、 「中日の監督は星野監督であって欲しい」 「星野監督のあの荒々しさは中日に一番似合う」 「星野監督が引っ張っている中日はどこか活気がある」 そう微かに思っている。 単なる一人よがりかもしれない。 単なる勘違いかもしれない。 しかし、これだけはハッキリと言える。 私は、星野監督率いる中日が好きである。 星野監督は私の憧れの人物である。 私にとってヒーローである。 そして私と同じように、 「中日ファンという訳ではないが星野監督が好き」 「中日の監督は星野監督であってほしい」 と少しでも思っている人がこの文章を読んで共感してくれると嬉しいと思う。 最後に星野監督に一言、 「長い間お疲れ様でした」 そして 「3,4年英気を養った後、星野監督の再就任を期待しています」
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