偽善




私の嫌いな言葉の一つ 『偽善』 ただ勘違いしてほしくないのは、私が嫌いなのは 人が何かをするにつけて「偽善」という言葉を使う奴が嫌いなのであって、 その時に偽善と呼ばれてしまう行動は好きなのである。 募金とかしたりするときに、「そんなの偽善だ」とか言う人がいます。 他にも、コンビニによく行く人はわかると思いますが、 コンビニのレジの横とかに透明のプラスチックのケースが置いてあって 「○○義援金募金」とか書いてあることがありますが、 私の場合、気が向いた時(機嫌が良い時とか)にお釣りが10円以下だった時は 小銭を財布に入れずにその箱の中に入れることがあるんですが、 その時もチクチクと「偽善」とか言ってくる奴がいたりします。 そもそも偽善ってなんですか? 偽善じゃない「善」なんて説明できるのかよとか言いたいんですけどね。 そもそも、これらの行動に結果なんて求めてないんです。 募金した金が、実際に恵まれない人たちの所へ届いてるかなんて知ったこっちゃないです。 といっても実際にそれらのお金が正しく使われてないとわかったらそりゃ怒りますが。 私の場合、自己満足とか言われても否定しません。 結局ボランティア活動というのは自己満足の塊だということも重々承知です。 あと「周りからいい目で見られたいからやってるだけ」とか言われても否定しません。 誰だって「周りから好かれたい」「周囲の人間からいい人だと思われたい」って思うのは普通ですから。 そういう「他人の目を全く気にしない」なんていうヤツは「人間じゃない」か「単なる嘘つき」のどっちかです。 健全な人間なら、「自分をより良く見せたい」と思うのが当たり前なんですよ。 話を戻しますが、私の場合、募金とかをするのは自己満足です。 ですが、その募金という自己満足の行動のあと、すごく満たされた気分になります。 「今日はいいことをしたなぁ」と。 バスや電車でお年寄りに席を譲ったりするときもそうです。 ・・・まあ正直に言いますと、お年寄りに席を譲ったりする時は「なんかわざとらしい」とか 「周りからかっこつけてるだけとか思われてるかも」とか考えてしまって、 微妙に恥ずかしくて行動に移せなかったことも多いですが(笑) それでもお年寄りに席を譲ってあげた時は、なんか気分いいです。 お礼を言われた時なんかはなおさらです。 もしかしたら、相手にとっては単にありがた迷惑だったかもという時も、 譲らないでウジウジしてるときよりは気分がすっきりします。 そういうもんなんです。 しつこいですが、もういちど言います 自己満足なんです。 できの悪いレポートでも提出し終わったときは気分がいいのと同じなんです。 自信がなくても、テストが終わった時は気分がすっきり爽快になるのと同じなんです。 結果じゃないんです。 「募金」も「席を譲る」のも「テスト」も「レポート」も、 行動の後に感じる自己満足と、それにより何かが良い方向に進む事への安心感の為なんです。 少なくともそれらの行動を行わない場合よりは何かがプラスなんですから。 もし私のこのような考えや行動が「偽善」だというのなら胸を張っていいます。 私は偽善が大好きだと。 最後になりますが、私は、これらの事を「馬鹿の一つ覚え」だとか「一人よがり」とか言う奴が嫌いです。 人が何も考えずにやった事を、偽善呼ばわりする人間が大嫌いです。 そういう、やたらと斜に構えてる奴は正直好きになれませんね。 もし、この文章を読んで「ムカツク」とか「馬鹿じゃねえの」とか思う人は 私とはスタンスが違うと思うのでウチのサイトから出てった方が良いですね。
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