続くのか




多分誰でも一度は、夢を見ている時に目を覚まして その夢の続きが微妙に気になるとか、その夢の続きを見てみたかったとか そんな事を考えたことはあるかと思います。 でも私の場合、さらに深く考える時があります。 その夢の続きは、果たしてあるのか、と。 もっと具体的(?)に言えば、 「自分の脳が夢の続きを考えつかなかったから、起きてしまったのではないか」 なんて感じですか。 今こうやって起きてる時に駄文のネタを考えるときも、 その話の続きを考えつかなくなるってことはあります。 それと同じように、寝ている時に見る夢というのも、 自分が創造(想像にあらず)しうる限界まで達したが故に そこで終わってしまい、自動的に目を覚ますに至ったのではないか、と。 「あー、この夢の続き見たかったなぁ、起きなきゃよかったのに」 と思うのは無駄であって、 「夢が自分の脳の最後まで達したが故に、起きた」 という解釈があてはまるのかもしれません。 「夢の続きを見たかったけど、起きてしまった」 なのか、 「今見ていた夢には、もう続きがないが故に、起きた」 なのか、 ここんとこ、微妙です。 他にもいろいろ考えたりすることはあるんですけどね、目を覚ましたあとに 「この夢に続きがあったら、それはそれで怖い」なんて時があったり。 でも、他の誰かに起こされたり、目覚ましがなって眼を覚ました時に、 「夢の続きが見たかった」 と思ったときが、なんだかんだいって一番悔しいですけど。 ・・・とここまで書いといて思ったこと。 今回の文章、日本語になってないというか文法が破綻してる部分がありますね。 起きぬけに文章書くといつもこうなんですよね。 私の書く文章は、たとえ起きぬけでなくても 文法や論理が破綻しているというのはもはや定説ですけど。 今回はさらにぶっとんでますなぁ。 でも今回のこの文は、起きぬけだからこそ書いた文だったりしますが。
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