駄文外伝・潰瘍性大腸炎闘病記





この文章は、2005年3月に管理人が「潰瘍性大腸炎」を発症し、 2005年5月に病院を退院するまでの闘病(←大げさ)記録である。 当時リアルタイムでつけていた日記を見返しつつ思い出しながら書いているので、 多少変な部分があることをご容赦くださいませ。 特に、入院するまでは自分でもこんな大事になるとは思ってなかったので、 入院前までの部分は「入院中に思い出しながら書いていたもの」なので、かなり大雑把です。 つーか、あまり真面目に読まないように。 あと、なにか食べながら読むのもやめたほうが無難です。 それと、この文章中では看護師さんのことを「看護婦」と表記してますが、 実際入院中に「看護婦さん」という呼び方で呼んでいたことが多かった、 「看護婦」という呼び方をしても別に問題なかった、 という理由からそのままにしてあります、ご了承ください。 つーか「看護婦」という昔からの表記に嫌悪感をもつようなエセフェミは帰れ。
2月中旬 たしか土曜日にカレーを作った覚えがある。 そして月曜の夜にそのカレーが無くなる頃、なんだか腹の調子がおかしいことに気づく。 でも大したことがないと思い、違和感を感じつつも普通に生活をする。 2月下旬〜3月上旬 本格的に腹の調子がおかしくなる。 平均で三時間に1回の割合で便意がくる。 便の形状は、泥のような、ヨーグルトをゆがいたような便。 匂いは、炊き立てのご飯をそのまま腐らせたような匂い、あきらかに変。 しばらく正露丸を飲んで様子をみるも、全く効果なし。 3月7日 あまりにも腹の調子がおかしい状態が続くので、意を決して病院へ行く。 風邪のシーズンだったのでかなり待たされる。 診察時、病状を言うと、なんともいえないので4日ほど薬を飲んで様子を見るとのこと。 数種類薬をもらう。 また、この時点で(当たり前だが)正露丸を飲むのを止める。 3月11日 薬の効果はほぼ全く見られず、そのため再び病院へ。 尿検査と、レントゲン撮影を行う。 なんか腸内にガスが溜まっているらしい。 もう1週間同じ薬で様子を見るとのこと。 薬をもらって帰る。 この頃から食事は、パンの柔らかい部分、おかゆ、うどん、ベビークッキー、これらの物を摂るようにしていた。 飲み物はお茶と水、たまにポカリとか。 つーか日が経つにつれてどんどん水分しか摂らなくなってくる。 薬を飲んでも一向に症状が改善しないので、精神的にやばくなってくる。 便に血が混じりだす、ネットで情報を漁る、なんか不安げなことばかり見つかる。 疑心暗鬼にかられ、2chで大腸癌関連のスレとか見たりする、ひたすらへこむ。 オナラと一緒に下痢便を漏らしたりもしばしば。 一縷の望みを託し薬を飲み続ける・・・も効果は無し。 3月18日 再び病院へ。 新しく薬を一種類もらう。 また4日ほど様子を見るという。 この頃はほとんど水しか飲んでない状態だったと思う。 とにかく食べるのが苦痛だった。 夜も苦しくてほとんど寝られない、寝付けない。 良くて3時間、酷いと1時間おきに便意が。 睡眠不足と栄養不足でボロボロになっていく。 薬は相変わらず効果なし。 3月20日 限界を感じ(つーか、今の医者に見切りをつけた)、次の日に実家に帰ることにする。 今思えば、これは英断だった。 もしこのまま一ヶ月とか我慢してたら、死ぬまではいかなくても更にやばいことになっていたはず。 着替え等を前もって送り、飛行機のチケットをネットで予約。 夜、腹痛もさることながら、明日の道中に便意を耐えられるかどうかの不安と緊張で一睡もできず。 3月21日 実家までの地獄の行軍。 まず、家→駅はタクシーで。 なんとか耐える 駅→空港は直通バスで。 何とか耐える。 某空港→羽田空港。 離陸前にきっちりトイレに行っておいたにもかかわらず、途中で激しい便意発動。 飛行機内でトイレに行きなんとか済ますものの、 着陸前でシートベルト着用ランプが点いてる状態で再び激しく便意が。 死ぬ思いをしてなんとかぎりぎり耐える。 羽田に到着後に即行でトイレに行く、30分ほど篭ってなんとか収まる。 羽田空港→実家 モノレールや山手線等を利用。 総計3時間弱あったが、なんとか便意に襲われずに無事到着。 実家に着いたときはなんとなく達成感があった。 家についた後おとなしく寝てたが、夕方4時頃に死ぬほど激しい腹痛。 1時間ほど悶え苦しんでなんとか落ち着くも、大事をとって某医大の救急へ行く。 病院へついた後、2時間ぐらい待たされた後で、採血やレントゲン等を受ける。 腸内にガスが溜まっているものの緊急入院するほどでは無いと言うので、薬をもらって帰る。 今思えば、この時入院しておけば良かったような気が。 3月22日 昨日の救急の精算をし、さらに外来で診察を受ける。 予約無しだったので4時間待たされる、その間ひたすら便意との戦い、地獄だった。 3月29日に内視鏡の検査の予約を入れる。 検査準備のための下剤なども処方されたが、結局無駄に。 3月24日 腹痛が激しくなる。 医大で処方された薬、ほとんど効かず。 そのため実家近くの病院へ行き痛み止めの漢方薬を処方してもらう。 その後、同病院で栄養点滴を受ける、実はこれが生まれて初めての点滴だったりする。 夕方8時頃、かなり強烈な腹痛、漢方薬を飲むことである程度治まるも、大量の血便が出る。 夜中の3時頃、再び強烈な腹痛、相変わらず薬の効き目無し、漢方薬で無理矢理やり過ごす。 3月25日 3月29日の内視鏡検査まで体が持ちそうに無いので、近所の病院で紹介状を書いてもらい、医大へ入院を頼みにいく。 当初、病院側も「あまり病室が開いてないんですよ」みたいな感じで入院の受け入れを渋っていたが、 「便の状態を見ます」ってことで大量の血便を確認した途端、手のひらを返したように入院へ一直線。 どうせなら3月22日の時点で入院したかった。 結局、夕方に入院。 主治医の先生が来ていろいろ説明を受ける。 なんか美人の女医さんだった。 治療の基本方針は絶食、口に入れるものは水だけ(ジュースやお茶不可)であとは投薬と栄養点滴のみ。 早速、腕に点滴をつけられる。 あと入院中は、お腹の調子が落ち着くまで念のためにオムツをつけて寝ることに。 ちなみに、贅沢なことに個室です、個室。 大部屋に比べ入院費がアホみたいに高くなるのを知ったのはしばらく後だったが。 3月26日 入院してはじめての朝。 父が来院。 いろいろと入院生活に必要なものを揃えて持ってきてもらう。 夕方、残便感がうっとおしかったのでトイレで強く気張る。 その結果、お腹に溜まっていた感じのガスと水溶便が大量に出てすっきりする。 しかし夜中に凄まじい腹痛に襲われ、痛み止めを打ってもらう、なんか首筋に筋肉注射っぽいやつを。 3月27日 昼頃まで、昨日の腹痛の影響で苦しむ。 午後になってやっとこさ落ちつく。 主治医の先生がやってきて、内視鏡検査の概要を説明する。 29日に行うこと、そのため28日の夜から29日の朝にかけて下剤を飲むこと、等々。 あと、なんか許諾書のようなものにサインを求められる。 許諾書のおおまかな内容 この内視鏡検査を行った場合、一万人に一人ぐらいの割合で検査中に事故が起きて、 内視鏡の管で大腸に穴があいたりして人工肛門とかつけるはめになるけど、 私はそのことを承知しています&病院側に損害賠償を求めません。 ちなみにこの書類にサインしないと検査受けられないから、よろしく。 アハハハハハハハハハハ・・・・・・。 泣いていいですか。 3月28日 次の日の「内視鏡検査」に備え、夕刻に下剤を飲む。 といっても、もともと激しい下痢だったのであまり変わらない気がしたが。 つーかもうかれこれ丸三日以上水しか飲んでないので下剤を飲む必要があるかどうか疑問だったが。 3月29日 運命の内視鏡検査当日。 朝6時頃から「ポカリもどき」のような不味い下剤を1.5リットルほど飲む。 本当は2リットルぐらい用意されていたけど、飲みきる前にギブアップ。 でもその甲斐あって、朝9時頃には便がほぼ透明になる、すげぇ。 ・・・12時過ぎにまた茶色に戻ったけど。 そして2時半頃、検査にお呼びがかかる。 看護婦さんに車椅子を勧められたが、検査室まで歩いていくことに。 病院内を歩くこと数分、検査室へ到着。 私「よろしくお願いします」 *「はい、ど〜ぞ〜」 主治医の先生に続いて、また若くて美人の女医さんだよ・・・。 こういう時は男とか、オバサンの医者のほうがいいんだが。 つーか、この人にケツの穴に管を入れられるのか。 あと、検査室にはでっかいモニターが。 どうやらこれで内視鏡からの映像、早い話が腸内をリアルタイムで観賞できるらしい。 女医「じゃ、ズボン下ろしてベッドに横になってください」 い、いきなり!?まだ心の準備が・・・・。 と思いつつおとなしくズボンとオムツを脱いで横になる。 女医「まず、お尻の穴に内視鏡が入りやすいように弛緩剤を打ちますね」 やっぱり素人(?)に管をいれるのはきついようなので弛緩剤を打たれる。 あんまり効果はないように感じたが、それなりに違うのだろうか。 女医「では、内視鏡検査始めます」 女医さんが手にしている虹色のレンズが先についた黒いチューブがいわゆる内視鏡らしい。 その管の先を尻の穴にあてがわれる。 ああ、ホモに掘られる時の気持ちってこんな感じなのかな。 お母さん、ごめん、俺、先に逝くよ。 ・・・あ、なんか入ってきた。 別にどうってことn あ゛い゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ 死ぬ、死んでしまう、ケツの穴が破れるぅ。 だめ、もう挿れないで、抜いて、早く抜いて。 お願いだからやめてあああああああ。 ひぎぃいいいいいいいいいいいいい。 女医「できるだけ力を抜いてくださいね〜」 無理じゃあああああああボケええええええええ じぬぅうううううううううううううううううう ぐるじいぐるじいぐるじいぐるじい 女医「うわぁ、大腸内にかなり潰瘍ができてますね」 モニターではピンク色の大腸内のあちらこちらに白くただれた部分ができている様子が写っていたが 当の本人ははっきりいってそれどころではなかった。 一ヶ月我慢したウンコを木刀かなんかで無理矢理ケツの穴に押し込まれるような感じ。 そして押し込まれた木刀をグリグリ捻じられるような痛み。 しぬしぬしぬしぬしぬしぬしぬしぬ。 ぬいてぬいてぬいてぬいてぬいてぬいてはやくぬいておねがいだから。 あああああがががががががががああああああああああ。 女医「もうすこしで小腸の入り口までたどり着きますからがんばってくださいね〜」 小腸の入り口ってなんですか?かじっていいですか? つーか子供の頃読んだ「からだのしくみ」だと大腸って下腹部をグルって回ってたイメージがあるんですが。 もうだめ、あの世が見えてきた。 このまま殺せ、いっそ殺せ。 これ以上ケツを蹂躙するぐらいなら殺せ。 女医「小腸の入り口まできましたけど、大腸と違って小腸は綺麗なピンク色ですね」 ・・・綺麗なピンク色してるとか言われても全然嬉しくないんですが。 つーかエロゲーで「綺麗なピンク色してやがるぜ」とかいう台詞が出てくるが まさか自分がリアルで言われるとは夢にも思わなかった。 私の小腸はピンク色で綺麗ですかそうですか。 それよりはやく抜いて、一刻もはやく抜いて、ケツが破けそう、もう限界。 女医「じゃあ、これから少しづつ抜きながら腸内の写真を撮っていきますね」 ここまで辱められたあげく写真まで撮られるのか?エロゲーの王道パターンではないか(壊れてます)。 そのうちこの写真をネタにさらなる陵辱が(かなり壊れてます)。 ああ・・・もう10枚ぐらい撮られたかなぁ。 涙が出てきた。 女医「最後に、精密検査の為に大腸の潰瘍の組織を少し採取しますね」 え、何、採取? と思っていると、モニターに映っている管の先からなんかピンセットのようなマジックハンドがニョ〜と出てきて、 大腸のヒダの一部を、無造作につまんで、ぐいーと引っ張って、 ブチッ ・・・なんかモニターで大腸のヒダから流血してるのが見えるんですけど。 すげー痛そうだけど、腸そのものには痛覚がないらしく腸の一部をちぎられた行為に関しては全く痛くなかった。 つーかその時はそれ以上に早く管を抜いてくれとしか考えてなかった。 んで、何箇所かブチブチとちぎられたあと、しばらくして開放感が。 女医「これで終わりです、お疲れさまでした」 やった・・・やっと終わった。 死ぬかと思った、三途の川が見えた。 ああ・・・感無量。 その後尻の穴周辺を看護婦さんに拭いてもらい、いざ起き上がろうとしたんですが、 体が動かない いや、無理矢理気合入れて「ウリャッ」って感じで動こうと思えばなんとかなるんですが、 日常普通に体を動かす感じで力を入れようとしても体が動かない。 体全体がダレダレに弛緩しきっちゃってる。 もしかしてこれが、俗に言う「イッちゃった」ってやつですか。 なんてことだ。 ケツの穴に異物を入れられて達するとは。 私にそんな才能があったとは。 エロゲーで「ケツの穴で気をやるとは、どうしようもない変態だな」とかいうシチュがありましたが、まさか自分が体験するなんて。 泣きてえ。 結局、着替えこそなんとか一人でできたけど、 歩くのにはかなり支障をきたしていたので、病室まで看護婦さんに車椅子で運んでもらう。 病室についた後、ケツを掘られた疲れが一気に出て泥のように眠る。 もはやトイレに行く気力すらなかったので念のためオムツをつけていたのだが、起きたとき案の定少しちびっていた。 この内視鏡検査で、私は大きなものを失い、代わりにどうでもいいようなものを得た気がします。 とりあえずこの先、ホモに掘られてもなんとかなるかもしれません。 淫獣の触手攻めに遭っても、小腸の入り口までならなんとか耐えれるでしょう。 続く

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