7月14日までのメールでの論点整理

7月14日にむけて、電子メールにて論点を交換したものをまとめた資料です。
各会員個人の意見の羅列であり、会の見解ではアリマセンのでご注意下さい。




★無認可保育園

●作る際には、「保育理念」と同時に、「地域要求」を大切にして欲しいです。
横浜地域保育室というか、横浜の無認可は、女性団体が中心になって、地域要求が出発になって作っています。
公立保育園が作られなかったといういきさつも、片方ではありますが。
連絡会も、毎月ブロック毎(ほぼ1〜2区で作っている)で、学習会やイベントをやっていますし、園毎の父母をまじえた懇談会も、ほとんど毎月やっています。

●今の無認可の厳しい現状では,理想はどうあれ,それを実現するには程遠い現状があること,そして,そこでのみなさんの苦労は,そこにいるこどもと親を助けていると同時に,福祉としての保育を崩壊させることを助けることにもつながっていく危険性もはらんでいる,と感じました。
 私としては,無認可を含めて,「あくまで基本は認可である」ことを一致点にすること。これがすべてだと思っています。
 無認可がダメとか,劣るとかそういうことではなく,「あくまで法体系のなかで認可が基本である」。このこと自身は無認可も含めて共有し有って,当然認可の充実もいっしょに進めていくし,無認可の認可化と実際に無認可にいる子がいて,そこで保育がされているわけだから,そこへの対処,これらを連帯して行うこと,それがポイントではないか,と思います。

● 国の方針として保育を福祉分野から解きはなそうとしている現状からすると、無認可を運営している諸氏にこそ、もっと大きな声で「保育としての福祉」の必要性を訴えてほしいものだと思います。
 人の心にある「競争原理」とは経営やお金以外のところで働くことは無いのか。 
  また、幼・保一元化に対して「ススンデル」という発言がありましたが、どうススンデルのか、問題解決に向かうのか、誰のための問題解決なのか、しっかりと考えておかなければいけない事と思いました。
 子どもにもおとなにも欠けているのは、子どもと接する体験とその認識。雑誌やテレビやネットなどで頭でっかちで体験のないおとなと、ひとの関係のなかで成長できない子どもがこれからどう社会を支えていけるのか。(ちょっとおおげさ)

● 新規に保育拠点をつくろうとしている事に関しては、地域要求がもっとも大事なことなので、「久地はメンバーの中間地点で、以前住んだことがある・・・」程度では正直どうかなと思います。そういったことなしには、どんな理念があっても、外からみたらいわゆる駅前託児所と同じにしか感じられないと思い
ます。

●同僚の通っている園には、ちびっこ園から移ってくる人も多いそうです。そこで、まず子どもたちがいうのは「この保育園にはふとんがあるんだ。」ということだとか。ちびっこ園では、板の間にごろ寝、お休みの時間は、鍵をしめてしまい、トイレにもいかせてもらえない、とも言っていました。
伝聞の伝聞なので、どこまで真実なのかについては、慎重に聞かなければいけないとはおもいますが、この内容が事実ならほとんど虐待ではないかとおもうのです。

そこで思うこと
こうした噂を行政はつかんでいないのだろうか、また、こうした園に対する指導や監督のあり方なども「保育施策」としては重要なのかもしれない。「こどもの権利条例」の成立の過程では、虐待されているなど、現に権利を著しく侵害されている子どもの救済ということがひとつの大きな柱になっていたはず。この件で川崎市を具体的に動かすことはできないか。

●いまさら、無認可施設でも「知らぬ、存ぜぬ」「市に責任はない」とは言えないでしょう。
聞き知った限りでは、川崎市の無認可施設に対する態度は、以前は「我々とは関係ない、勝手にやっているんでしょ」(年に1回の査察はやっていましたけれど)市の施策にも、どこにも「無認可」は出てきていなかった。
ところが、子ども総合プランあたりから風向きが変わったような気がします。それまで「援護費」については隠すようにしていたのを堂々と前面に出し、「待機児対策」とするようになった。

無認可施設は、実際に市がこれら施設にやっていることは変わらずに、勝手に市の施策にも盛り込まれるようになり、「あんたらの勝手でしょ」と言われながら、今は市に「利用されている」、そんな気がします。
ここまで言うのだったら、言うなりに責任はとるべき、
やることはやってよ、といいたい。
産明け、延長/夜間、休日を認可で対応せず、待機児対策として無認可施設を位置付けるなら、現状、無認可施設を蚊帳の外にできるはずはない
援護費の制度をもっとフェアに、査察も、もっとしっかりしたものにすべきです。

★園長の役割、保護者会の役割
●まず,園長の役割ということ。確かに施設長で市から管理をまかされているという責任はあると思いますが,しかし,ポケット使用うんぬんをはじめ,あまりに独裁的だと感じませんか?
そういう園長独裁状態で良い保育はできるわけがないと思うし,そういう視点から批判を展開していくことはできないものか,と思います。もっと,ポケットなどの話しと日常保育との関係を詳細に見ていく必要があるのでは,と思います。

もうひとつは,保護者会の役割を保育の面から明らかにすることですね。やはり,園長独裁ではいけないこと,利用者である親の自主的な活動を全面的に保障してこそ(内容について介入しないこと)良い保育ができるんだ、という論建てがほしいなあとうちの保護者会の状況を見ても非常に感じるところです。

●園長は施設長であると同時に保育者であるという点が大切なのではないでしょうか。この点は、同じ「公務員」といっても市当局の行政官と決定的に違います。そして、このことから、常に、子どもや親の方をむいているのか、行政の方を向いているのかが問われる位置にいるのではないかと思うのですが・・・

●保育経験者が園長になる意味を問い直す時期にきていると
いう思いを持つことは多くなりました。本課のいいなりになる園長が増えるのであれば他都市のように事務屋さんの男性園長でいいのではという声が一部の職員の中にあるのは確かです。
第一に子どもの方を向く為には保護者と職員にも歩みよれる方でないと経験者を園長に置く意味はないと私は思っています。(また、職員集団がいい状態であれば、経験者でなくても大丈夫という思いもあります。)

● 鎌倉の話しを聞きましたが,ここは事務職の男性園長です。当然,頭の中は市いいなりで,保護者会にもいろいろ口を出して来ます。 が,保育者集団,それも女性集団で保育の素人としては,いくら園長といって,いばっていても,話しにならないので,とにかく溶け込もう,慣れよう,理解しようと必死らしいです。イベントでは裏方として走り回っているらしいです。

★署名活動など

>利用者である親の自主的な活動を全面的に
>保障してこそ(内容について介入しないこと)良い保育ができるんだ

趣旨には賛成なのですが、若干気になります。園長から「そうですね、やっぱり、園のとりくみと、保護者会のとりくみとの間にきっちりけじめをつけないといけませんね。園のポケットと保護者会のポケットは別にしましょう。保護者会のポケットの利用については、一切介入しません。」といわれそうです。保護者会が完全に自立していけるなら、こんなふうに言い放っても大丈夫とおもいますが、わが園の場合、保護者会も署名のとりくみも、園や先生方の積極的援助がなければ難しいのが現状です。とにかく、市の方は、保護者会は保護者が勝手にやっている園とは関係のないものという形にしたいというのがベースにある
のですから、こちらから距離を置くような表現は要注意ではないかと思うのですが・・・

●それにしても、「ポケットの使い方」などということは、もともと各園でそれぞれ考えればいいことで、市当局が云々するようなことではないですよね。一般的な市民の良識的な感覚にてらして、そんなことを市当局がいちいち各保育園に指図しているなんてことになると、指図している市の方が恥ずかしいというような問題ではないかと思うのです。一市民として「そんなことやってる暇あったら、他にやるべきことあるだろう」といいたくなるようなことです。園長としても、「そんな細かいことまでいちいち言われる筋合いの問題ではありません。」という問題のような気もします。今回の署名利用禁止というのは、法的拘束力のある「通達」か何かできたものなのでしょうか、それとも園長会議での指示程度のものなのでしょうか。だれが見ても道理のないことは、ちゃんと闘えば空文にすることができると思います。いずれにせよ園長の腹がすわっていれば、無視できるようなものではないのか、だからこそ、園長がどちらをむいているのかが問
われるのではないかとも思うのですが・・・

●実際問題としては、保育者を頼っている状況では、つぶされてしまうのが落ちなので、もっと自立しないといけないと思って
います。事実、鎌倉にしてもほとんど保育者のバックアップもなく、とりあえずがんばっていますよね。


> それにしても、「ポケットの使い方」などということ
> は、もともと各園でそれぞれ考えればいいことで、市
> 当局が云々するようなことではないですよね。
 ここもですね、いつも私はいっているんですが、保護者会連絡会は「ポケットの利用を市が保障して園長をきちんと指導しなさい」と言っていますね、この言い方も危険だと私は思いますが
どう思います?

● 署名禁止については、署名は市施策に敵対することのようにいうが、しかし実際は市の保育施策の推進を
市民と議員に理解してもらう活動であって、市担当者含めてその仕事についての意義を啓蒙する活動なので、
まあ、市当局が推進するのもおかしいかもしれないけれど、目くじらを立てることでもない、こういう問題なのだ
ということを園長と議論する必要があると思っています。
保育の充実を市民と議員に啓蒙する活動に目くじらを立てる保育課というのは、本当に保育の充実を願っている
のだろうかと。
そして、そういう保育課の姿勢に屈従する園長というのは本当に子どもの立場に立っているのかと。そういう姿勢で
本当に日常の保育は大丈夫だから安心してくださいと親に胸をはって、言えるのかどうなのか、その姿勢を園長に
とうていく必要があると思います。

★選択の問題
●<子供の育つ環境は選択できるようにすべきか否か>

現状川崎では、保育園を保育内容・保育時間・保育方針によって選ぶことは困難。空きの具合と家からの近さ(地方都市だと車での通勤が多くなるので選択肢は案外広 いようだ)で
決めてしまっている。保育内容は多少事前に見学をして聞くことができても、しれている。。。しかし乳幼児期にどのような環境・対応によって育つのか、
そして多様化する就労形態に合わせて、子供を預けることができることができたとす るなら、
もっと子育てが充実するのではないか。。。

実は小学校へ通わせ初めて余計に感じていることなのだけど、自分の子供の育つ環境を選ぶことができない、というのはやっぱりひどい事のような 気がする。
特に小学校は「義務」であり、かつ越境は基本的に許されない。そのうえかなりの長時間拘束され、テレビでも話題になっているように学習内容は多 くはない。
そして私が「ひえーっ」と思っていることは、この度大阪で起きた殺人事件に端を発 してPTA総動員(?)で行われている学区内パトロール活動等のかなり沢山あるPTA 活動。
働く親には参加が難しい時間帯に諸活動が行われる上に、PTAの幹部の方々は、「働いている人だって自分の子供の安全を考えて、パトロールに参加するのは当然」 という考え方。
どうも私立幼稚園で親が積極的に関わるような所に通っていた人にとっては、大した 負担なことではないらしいが、保育園上がりの我々にはすごい負担。これまでにも働いている人はPTA活動に参加しにくかったのが一段と(?)貢献する人からの貢献しない人への不満が高まるのでは(?)と思った
り。。。(推測の域を出ませんが)

「義務教育で」指定された学校に通っているのに、
どうしてこんなに、しんどい思いをしなくてはならないのだと思ったことから、そういえば「保育園だって選べないんだった」、という以前からの疑問に戻りました。

でも皆が好きな所を選べたら、かなり偏った考え方ばかりの中で育ってしまう人が増 えそうな気もする。。。
例えば国立私立の学校に小学校から通って、ずーっと大学までいたりすると、やっぱり特定の集団の中で、特定の価値観の中だけで判断する人間が増えてしまうよ うな。。。
(全員そうなるとは言わないが)
公立に通ったって別に全てのタイプの人に触れるわけでもなく、異なる価値観を理解 するわけではないかもしれないが、むしろ良くない教員にあたると変な先入観を持っ て特定の人を判断づけてしまう良くない人材が育つ可能性もあるかもしれないけど、
やはり色んな人がいるということは認識しながら育つ方が良いような気がする。。。となるとやはり選べないことのメリットも大きいのかなぁ。

しかし保育園についてはやっぱり、せめて保育時間についてだけでももっと選べても良いのではないか。
夜を中心にした保育園、土日中心の保育園、色々あっても良いのでは。。。
例えば現状だと幼児クラスの活動の中心は午前にある。つまり、夜に勤務の中心があ るような人が、
午前中家にいても、やっぱり保育園に預けることになる。
園では預けなくても良いと言うが、でも友だちわくわく楽しみにしている活動に自分だけ参加できなくって、毎日午後からだけ行っていたらやっぱりつまらないだろ う。
活動の中心が午後からなんていう保育園もあっても良いのでは。
給食の時間から、或いは昼寝の時間から登園したり。。。
実際以前通っていた夜間園では、夕方を中心に活動していた。。。

毎日幼児クラスが弁当を持参するのではなく、父母がお金を出してご飯を炊けるよう にする、そのために多少月々支払う額が増えても良いと考える人の通う保育園、
そんな事のためにお金を出させるのはおかしいと考える人の通う保育園、違うところに通っても良いのではないか。。。

★お金の問題
●しっかりした保育を要求すれば、お金もそれなりに必要であり、ただ、お金をかけるべきだ、やってくれと要求するのではなく、そのお金をどこから拠出するか、とか、現状の使われ方は妥当か、とか、それは市民から支持がもらえるものか、とか、
そういう面のバランス感覚も、これからの運動には欠かせないですね。

ここのところ、自分の中で、保育の内容に走り気味で、ちょっとそっちがおろそかになっていたかな、と。朝日の記者さんは、お独りで、保育の事に関しては内容も金銭感覚も素人のようでしたが、この質問には、正直「つかれたな」と思いました。

● 私の今の意見では。(あまり議論でもんでいないので思いつきの 域を出ないですが)
 まず,国がお金を全く出していないことは問題としなければいけないこと。
 やり方としては,1つは最低基準の引き上げによる国負担の増加,もう1つは保育園増設費の国負担の増加,これが必要だと思います。

 川崎に対してはいろいろ難しいと思いますが。
 まずは,市民といっしょに国負担を増やしてもらうという立場に立つのか国の保育施策を押しつけてくる側にたつのかどちらなのか,ということが1つポイントだと思います。お金がないといいながら,全然負担していない国にきちんと要求できないのなら、いくら財政が苦しいといったって言い訳が通っていないよ,という批判かな、と思います。

 例えば保育料で言えば,中山先生の本でも少しありましたが,緊急策として保育料の値上げ(当然高い層だけ)を市民と市が合意するのも1つの案と私は思います。
 後は,例えば公立保育園で暫定的に非正規職員を雇って,その数だけ公立保育園をやすあがりに増やすのも1つでは,と思います。これだと,私立認可を作るよりも当面安上がりで公立が作れるはずです。

 どちらにしても,市に対しては,親,組合,市も合意のもとで緊急な負担を分かち合うことも選択肢に入れて,その負担は国負担を増加させたあかつきには解消していく,という事前合意のもと,いっしょに市ぐるみで国に負担増を要求していく。 

●国(厚生労働省)に対して求めるものと自治体に求めるものとを明確に分けて考えたほうが良いように思ったりしますが。

●自治体財源からその配分を含めて検討することは大切なことの1つではあると思います。でも、市民生活全般を見据えた市民要求の把握や、自治体の無駄を詳細にチェックしていくことは、(興味はありますが)私たちの理解し得ない世界で多くあると思われ、そうしたことは各分野の方からお知恵を拝借する程度にまかせて良いのではないかなと思います。
「私たち」は、あくまで市民レベルで、審議会の委員とは異なった視点で(保護者や職員など子育てに関わる直接的な立場で)提案できれば良いのではないかと思います。
全市民的にみれば、学校社会の事でコメントがありましたが、まだまだ保育園(共働き、シングル等)世帯は少数派ととらえられています。そういった一般の方にも説得力をもった重要性を唄ったものに仕立てあげられることが大切なのではないかと思いますがいかがなものでしょうか?
そうした点では、「子ども権利条例」との関係性などはわかりやすくアピールできるのではないかと思います。

●80年代あたりからの、いわゆる「行政改革」の基本的スタンスは、国でも市でも(世界的にも?)自治体職員を正規職員として雇ってしまうと何かと金がかかる。「これをなんとかして削れ〜」というものです。だから、場合によっては、保育園設立のための初期費用として数億円というのは出るかもしれない。しかし、あとは、民営でやってくれ、職員も適当に首をきって若いものに入れ替えていけば全体として人件費は安くなるし、事業として成り立たなくなってくると民営ならいつでも撤退できる。・・・・・問題は、これでいいのかということだと思います。

やっぱり、「意見具申」にあった保育士の年齢構成が気になります。保育士の集団としての力量が保育の質を大きく左右する。教育の現場で働くものとしては実感にもとづいて強く主張したいです。
特に、0歳から6歳まで、劇的に変化していく子どもたちのすべての成長段階を担当するだけで最低6年かかるのです。保育士って、職人さんじゃないですけど、本来何年やってやっと一人前っていうすごい専門職だなって感じます。高校生の3年間の変化を見通して、ものを考えるだけでもたいへんです。また、時代の変化というのもあって、5年単位、10年単位で親
の様子や考え方も変化するし、当然子どもも変化する。そういう変化の流れの中で今接している子どもや親が見れる、ということはとても大事なことです。

保育に金がかかって何が悪い!といったら乱暴でしょうか。金がかかる分野だから税金でやるのではないのでしょうか。
社会が高度に発達すればするほど、相対的に人件費が高くなり、機械化で対応できない分野はコスト高にな
る。これあたりまえのことです。特に、公共性が高く、人的に依存せざるをえない分野こそ税金の出番。
そこを国のエンゼルプランのようになんとか事業化しようとすると「規制緩和」で質を落とさざるをえなくなるということでしょう。国、地方自治体の予算の総枠の中で、保育にあてる費用の割合を増やすことは、その気になればできるばずだと思うのですが。

●また、保育園の利用者を3万人と計算するのも注意が必要かと思います。たとえば、現在はまだ子どもをも
つという段階ではないが、将来そういうことになるであろう人にとって、現在保育園が安定的に確保されて
いることの重要な意味というのはまったく度外視されますよね。公共性のある事業っていうのは、さしあ
たって利用者何人、採算は・・ということ(も重要ですが)にとどまらない性格のものではないかと思うの
です。地下鉄だと赤ん坊からお年よりまでみんな乗りますけど・・・。行政は、「税金の公平な配分」など
といって、利用者何人というような計算をしたがりますが、こういう議論が突出してくると、障害者対策や
難病患者への支援などが、どんどん削られることになるでしょう(実際削られましたね)。
「民主主義とはなんぞや」「平等とは?」というベシックな議論にもつながりますが・・・

●よく、「とにかく福祉はお金がかかるんだ、金をかけろ」という意見を聞きますが、そのお金は私たちが払っている税金であって、どこかに無尽蔵にあるお金じゃありません。ただおねだりするだけ、というのはみっともないと思うんです。
そのお金が自分達及び広く市民が払っている税金だということを踏まえて議論していかないと、今の世の中、賢い策とはいえないでしょう。
タックスペイヤーである市民としての金銭感覚(専門家でなくて)でいいと思うのですが、それを忘れないことが重要だと思うのです。

●必要だが採算が取れない部分だからこそ、公費を投入する、という側面はあると思います。 ただ、金がかかって何が悪い!、という前に、金は有効に使われているか、と考えたいです。私たちの税金ですから。
人件費しかり、建設費しかり、、、
素人の聞きかじりの域ですが、現行の保育制度ってけっこう
がんじがらめで、ある面無駄に金を使わざるを得ない部分、ってないですか?
土地だの、建物だの、継続性だの、、、もっと柔軟に対応しても
いいんじゃないかと思ったりするんですが。
人件費も、、、これは、特に公立に関してですが、公務員全体の給与体系というか人事制度という観点で、問題はゼロとは思えません。

●公務員全体の給与体系からひいては,労働者の給与体系の問題にまで発展していくとどうしようもないので,これは切らざるをえないと私は思います。
(まあ,ネットで思いを言い合う分にはよいと思いますが)
 公務員の給与体系も民間に近くなるだろうし,またうちの職場では 少し前までは公務員に近かったと思いますので,単純に公と民の違いではないと思います。しいていえば,公も含めた大経営と小規模経営の違いかなと思うし。
 私自身は,まず若い世代の給与が安すぎると思いますし,いくら経験でさらに能力が増すといったって,50歳すぎて給与が単純に増えるのもおかしいと
思います。別に公務員とかじゃなくってわが職場でそう感じます。とりあえずは保育施策にとっては,外から与えられた条件だとして議論に加えず,市民として,おかしいと思う分については各自が保育施策とは別に声をあげて
いけばいい問題ではないかと思います。

●だからこそ長く働いてもらいたくて、且つ常に新しい人材が入って成長し続けるサイ クルが必要ですよね。
でも、それだけじゃなくって、保育士ってもっと多様な人生を歩んだ人がなっても良 いと思います。
日本社会全体がそうだからしょうがないけど、終身雇用的な保育士よりも、色んな人生経験を積んだ人が、保育の専門知識も身につけて、保育にあたってほし い。。。
保育って子供を見るだけじゃなくって、親を理解することができて初めて成り立つ物 だと思うので。


いろいろな人生経験をつんだ人が保育にあたることには、大賛成です。しかし、川崎
市の「意見具申」をみると、公立園では保育士の年齢構成が高く、人件費を増大させ、他の予算を圧迫する
要員となっている、という発想で書かれており、民営化がこれを「解決」する有力な手段として論じられて
います。ということは、今の川崎市には、私立認可園が、いろいろな経験をつんだ人を(年齢に応じた高い
給与を支払い)保育士として雇うという発想はひとかけらもないということだと思います。ほんとうに、薬
袋さんのいうように、さまざまな経験をつんだ人も一定の年齢で途中就職をして保育士としてやっていける
ようにするためには、私立認可園の保育士の労働条件と身分保障をしっかりとすることこそ必要だと思うのです。
 

●定期借地50年なんて十分じゃないかと思うし、資金等の「潰れないように」という意図の規制も、潰れそうになった時の支援があればいいと思うし(民間の銀行にあれだけお金出せるんでしょ)、定員だって、それぞれの人数/規模に見合った基準をつくってそれをクリアすれば認可するというふうにすればいいんじゃないかと。

●定員問題は基本は有る程度規模がないとコスト的に不利だというのがあります。現に今度の3園もすべて大規模園です。小さいと小回りが聞く気もするけど,結局効率がわるく高くつく,というのもあると思いますので,それだけ効果があるかは??かなあ,と。

★園庭、施設費の問題
●園庭問題も先の人件費の話しと同じことが言えると私は思います。 園庭のために何億!というと恐ろしく贅沢な気がしますが、ただの地面なんですよね。ただの地面を高価なものにしてしまったのは大人たちの経済活動の結果であって、子どもにとっては”必要不可欠なただの地面”!なので、保育園内、保育園児だけに限らず、大人社会の責任としてコストを払って子どもに土地を与えてあげる必要があると思います。

●私はこの「つくる」がどういう意味かによっても説得力が違うと思います。
新たに建物・空間を作る必要は無いかもしれない。
既にある幼稚園の園舎・保育の資格を持つ人材の活用、その他公民有の土地・建物で 転用できる物は大いに利用する。
一人頭の豊かな空間は勿論必要だけど、必ずしも豊かな園庭がどこでも必要だと私は 思っていません。
というか、都市部で暮らすのだから多少融通の利く保育方法を採れば良いだけだと思 います。
川崎市の公立園の多くが2階建てで南に園庭という感じがしますが、同じ形を作って 数を増やそうとしたら莫大なお金がかかり、実現が遠くなる。。。
園庭は狭いけど、毎日お散歩に行き(何だったら午前午後両方)、しっかり外で遊ば せる、
空き地は案外あるように思います。川崎の北部なんて、ちょっと行けば畑なんかもた くさんある。
使っていないときは大いに遊ばせてもらったりする方がよっぽど良いと思う。

今の子供たちは外で遊ばなくなったと言われ、
外に出ている人が少ないから、次第に町における監視の目が少なくなり、良くない事件が起きてしまう。悪循環。
私は施設の中に子供たちを囲い込むのではなく、もっと路上で、そしてちょっとした 空き地で子供たちが自由に遊べる雰囲気を作る方が、子供たちにも、そして我々大人 にとっても安心して暮らせる町になるように思います。
園庭が作れなければ、積極的に外に遊びに行かれる条件を整える。(多分十分な園庭 を確保するよりも、保育士を増やす方が安くつく場所も多いのでは。。。
私は子供たちが保育園に「幽閉」されているような気がしてしまいます。特に先日の事件を受けて以来、今後もっと幽閉度が高まるのではと心配しています。
ちなみにうちの子は2歳児クラスにいますが、お散歩に連れていってもらえるのは一 ヶ月に数回のような気がする。
もっと面白い発見が園の外に出るとあるんじゃないかなぁと思います。

園を増やせと言っても、今後保育園があまり必要なくなったら、それは負の資産にな る可能性がある。
都市政策と合わせて、長い目で、柔軟に、そして血税が無駄にならないような保育園
のありかたを提案したいと思うのです。。。

100人以上の園を作ろうとすると大変だけど、50人園位だったら、相続対策で放出したいような民家をNPOが定期借地権かなんか で借りて柔軟に作ったりすることもできるんじゃないかしら。
地域によっては小学校に空き教室が増えているようだし、使えないのかしら。。。

●1つは園庭は外遊びをする空間だけではないと思います。
 家の庭、路地、学校の校庭もそうでしょうが。
 自由に創造的な遊びが展開できる場所として必要だと私は思います。

★アトピー対応他

●アトピーのことについて。。。
不満があるということに結局はなるのかとも思いますが、多分あの時話をしたとすれば、公立園であるが故に、市の動向に一々敏感に反応しなくてはならないという事だった からしたような気がします。
(私は基本的には、公立園が多い川崎市の保育に疑問を感じているので。。。
経験としては圧倒的に私立園の方が種類が多く、公立園は一カ所しか通っていないの で、
わが園だけが特別なのかもしれませんが、どうも公立は色々とうるさい気が する)

例えばで出したのが夏のプールの話。
それまでに通っていた認可私立園では、基本的にプール開きの後は、必ずプール、どうしても寒い日はシャワーがあったのに、特に一昨年度のわが園では週一回程度のプールとたまにシャワーがあるだけ。
汗っかきな上にアトピー肌のうちの子は、今までになく汗もがひどくなりました。(勿論家では登園前、夕方必ずシャワー浴び
てます)私は保育園でのプール・沐浴・シャワーは給食と同じくらいに毎日浴びるのが当たり 前だと思っていたので、びっくりでした。

園長先生にちらりと話をしたら、o−157対策で、あんまり入れないような話をしていました。そしてよく理由はわからなかったけど、確か金曜日は入りませんと宣言していた。。。
でもその前の年に同じ川崎市内の私立保育園では、殆ど毎日入っていた。こんなに涼しい日でも(!)とおもう位の日でも。

途中担任の先生に、汗もがひどくなるから、シャワーだけは毎日してほしいと頼んだ のですが、設備が整っていないことを理由に、あまり改善されませんでした。
確かお湯がトイレだったかからしか出てこなくて、あびるのが大変なような説明だっ たように思います。
(よく覚えていませんが)

アトピー対応という話ではないかもしれませんが、
うちにとってはアトピー対応の大事な事です。。。
ちなみに小学生になった今、日々汗疹に悩んでいます。
(学童にはシャワーは無い。。。)
唯一直す方法でわかったことは、週末寒い所へ一日行くと、ぐんと良くなる。。。
あれは温泉に入ったことも良かったのか。。。。
保育施策を就学前で切るのではなく、長い目で見て欲しい、ということも確か訴える
ようになっていたような気がしますが、こんな小さな事でも施設の整わない学童に通
うことは、当人にとっては夜も十分に眠れなくなる、深刻な問題ですので、何かの形
で取り上げられれば良いなぁとは思います。

●うちは、無認可園(横浜)、私立認可園、公立認可園を経験しています。

このうち、シャワーは、どの園でも毎日やってくれました。やはり、シャワーやプールがあるとお肌の調子はよくなりますね。

薬については、無認可園、公立認可園、私立認可園の順に柔軟に対応してくれました。私立認可園の場合、
原則的には薬はいっさいあずからないということでしたが、お願いをして保湿剤などはあずかってもらい、
シャワーのあとなどに塗ってくれました。公立認可園では、看護婦さんがスタッフにいるのですが、「この
あいだ、研修会でこんな薬の見本をもらったから・・」とわけてくれたりしてけっこうアットホームです。

除去食については、どこも対応してくれます。(どうしても、除去できない場合別メニューのおかずをもっ
ていきます。)公立の場合、書類提出などが若干面倒くさいですが、それはしかたないかなと思っていま
す。除去食の場合、他の子とメニューが違うのですが、今通っている公立園ではそのことにとても気を
配ってくれるのに感謝しています。できるだけ、外見が違わないものをうちでつくれるように、園での給食
のメニューについて栄養士さんが細かくメモをくれます。

うちでの経験から、公立園は対応が画一的で私立は柔軟、ていねいという図式はあてはまらないと感じています。

「私立は施設もいいし、ていねい」という一般的な感覚が保育園に限らず学校などに対してもあるようで
す。私立高校に勤務するわが身としてはとてもありがたいのですが、内実については????????で
す。たいていは、みてくれのいいところにお金をつぎこんでいるぶん、どこかで削っています。この業界
(人を育てる仕事)は、そんなにわりのいい商売ではありませんから・・・・

私立園での経験で、印象的だったのは1)保育士の人がみんな若かったことです。川崎市の
「意見具申」に、公立と私立の保育士の年齢構成の表がでていて、私立園の方が圧倒的に若いというのでて
いましたが、実感としてよくわかります。

クラスの担当の保育士の人が、みんな若くて子育て経験のない人ばかりだったことがあります。悪意はない
のでしょうが、言葉のはじばし、対応のはしばしに、親としてはひっかかるところが多く、「もう少し、働
きながら子育てするってことを理解してほしいよな」と思ったことがあります。わたしが、保育士の年齢構
成にこだわるのはこうした体験にもとづいています。

●公立だからということではないんだろうと私は思っています。
私自身、今の園が2園目で、それも高津区内での異動なのでいろんな機会に保護者の方の話を聞いて正直なところ(そんな園あるんだ)と思うことが結構あります。
1回目にお話を伺った時もそう思いました。

ちなみにうちの園はプールに入れる条件(例えば気温+水温の条件や体調)があれば基本的に毎日、プールもシャワーもしています。
週休者がいるので月・金はプールなしにはしていますがその分、泥んこや水遊びをしてシャワーですね。
日によってはお昼寝から起きたあとのシャワーもしますし。

自分の園の中でも充分ではないのですがいつも思うのはまず園内で話をした時に保護者の方も職員も納得できる話し合いができればなと思います。納得までいかなくてもお互いの事情がわかることが一番かと。ただ職員間の話もしにくい状況がある中、基本的なこともできにくいのかなと思ったりもしています。
 


戻る