優れた作品にであった時、僕はとても謙虚な気持ちになります。その作品世界に己のすべてを投げ出して、自分の価値観のすべてをその作品内に投影し、そして自分の心をその世界に住まわせるようになります。
僕が「キャンディ・キャンディ」の文庫版(全六巻、中公文庫コミック版刊)を手にしたのは、わずか8時間前です。友人に借りたものの、時間が無くてすぐにページを開くことはできず、きちんと読みはじめたのが2時間前です。読み終わって、すぐにこの更新を行っています。

心が震えてしまってどうしようも無くなるようなシーンに触れた時、僕はページをめくる手を止め、うつむいて目を閉じ、自分の中で溢れているものに体を支配させます。体のあちこちが小さく震えて、それから大抵は、手近にある紙に手を伸ばしてその時の自分の気持ちを書き残そうとします。上手な文章を工夫している余裕なんてありませんから、短い言葉を、特徴的な書体で書き連ねます。変に頭を使った文章を残すより、そうやって勢いで書いた形跡のある物の方が、後で見返した時、その文字の崩れ具合のお陰で、その時の心ののびのびしたカタチが再現できることが多いからです。

キャンディを読んでいて、二回ほど僕は自分の心の震えにそうやって身を任せることがありました。
僕は言葉で生きている人間ですから、その時の気持ちを言葉で表すべく、いくつもの言葉や文章が頭に浮かんできました。見当はずれな物やよく聞くような言い回しも、沢山浮かんできました。それでもめげずに言葉を吹き出し続けていると、ひょいとキラキラ輝くような素晴らしい言葉が飛び出してきたりします。それを捕まえておいて、僕は次の自分の創作にその言葉を使うのです。僕にとって、優れた作品を鑑賞することは、優れた創造を目指すことと直接に繋がっているのです。
僕の場合、感動を紡ぐ作業にはことのほか時間がかかるので、その時間が経つうちに、輝きが薄れてしまう言葉もあります。そしてもちろん、いつまでも輝き続けてくれる言葉もあります。輝いている言葉は、その言葉が輝くために必要な要素までも引き連れていてくれますから、自然に、その周りの文章も輝かせてくれます。本当に優れた輝きを持つ言葉は、そのたった一言で作品全体を輝かせてくれたりもします。とにかく、僕の場合そういった輝く言葉のほとんどは、誰かの創作物を鑑賞することで引き出されるのです。

ごく希に、僕は「作品に愛された」という印象を持つことがあります。キャンディは残念ながらそこまで僕に微笑んではくれませんでしたが、ほんとうにいくつかの希な作品から、心震える言葉をいくらでも取り出せるという幸運に出会えることがあったりします。それは、その作者よりも、自分はその作品を理解した、と思える時です。

きっと、キャンディは多くの人を愛したマンガなんだと思います。あなたは、キャンディに愛されたことがある人でしょうか。まだ出会っていないというのなら、古い少女マンガである、なんて偏見を抱かないで、まずは本屋さんに出かけた折にでもながめて見てください。あなたを愛してくれるマンガが、そこにあるかもしれません。
創作を愛す人は、また創作に愛されやすい人であるはずですから。


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