何者も、生まれ落ちたからには、王となる義務がある。それを為さないのは罪人である。
 王とは、支配し、所有する者である。目に映る全てを支配し、聞き知る全てを己のものにしなければならない。
 王は、そうして手にした自分の世界を、守らねばならない。それが出来ないのは、やはり罪人である。
 罪人は、罪人であるがゆえに、他者に支配されることを受け入れなければならない。

 これから語られる物語は、地球に極めてよく似た別の星の話である。人々は我々と同様の趣味嗜好を持ち、舞台となる時代では、その星で生まれたばかりの機械文明に夢中になりはじめている。人間として、我々に出来ることは彼らにも出来るし、彼らに出来ないことは我々にも出来ない。
 彼らはまた人であるが故に王であり、それぞれの手の届く領内を支配し、ある者はそれを守り、ある者はそれを拡大しようとする。
 それでは、物語を始めよう。


「デニスの望遠鏡」


 デニスの自室には、いつも沢山の本が積み重ねられている。
 新しい仕事が入るたびに、王宮の図書室や国立図書館、果ては市中の蔵書家の所を渡り歩いて資料を借りてくるのである。
 それらは部屋の奥におかれた食事用のテーブルに山を作っていて、忙しい時は自室でも食事が取れるようにとの伯爵の配慮も、今は昔の話になっている。
 分かり易い事に、この本の量はその時携わっている仕事の難しさの度合いに常に比例しており、このデニスの身長に届くほどに積み上げられた高さは、彼にとってその仕事がなかなかの好敵手であることを表していた。
 図面を引くことに熱中していたデニスは、急に視界が暗くなって机から顔を上げた。手元のランプの油が切れるまで、他の事に一切気を払わなかったのである。
「何時でしょう」
 誰に言うとは無しにつぶやいて、引き出しの懐中時計を取り出した。
 月明かりに浮かび上がる時計の針は、もうじき日付も変わろうかというところにあった。
 確か、午前中に王宮で見つけた本にやっとヒントを見つけて、午後一番にはじめたのだから、夕食を取り忘れている。
 まだメイドの誰かが起きていたら何か作ってもらおうと、部屋を出た。
 階段を降りる時に足元がふらついた。
 王宮付きの特殊機械工になってから何度もこういう事があった。田舎で機械整備(今から考えると子供の機械いじり程度のものだが)をしていた頃に比べて、王都では材料も、図面の例も、熟練技術者も豊富でやりたいことはなんでもやれるのだが、それまで想像もしなかったような難解な依頼も多い。しかしそれは、自称天才設計士であるデニス・ブレンにとってはむしろ好ましいことであり、文字どおりそれらに寝食を忘れて打ち込むことで、充実した毎日を送っている。
 このような生活を自分に与えてくれた伯爵には、常に感謝の気持ちを禁じ得ない。自分の持つ特殊な才能に惚れ込んでくれて、養子同然の扱いで王都の自分の屋敷に住まわせてくれているのである。
 その期待に答えねばなるまいと努力と自信作の発表を重ねるうちに、数年のうちにその噂は王都中に知れ渡り、ついには王宮付きの特殊機械工にのぼり詰め、王城の中に専用の工作室まで用意されるようになった。はっきり言って異例の抜擢であるが、世間の機械工作ブームにかんがみればそれも理解しうる。
 小型動力源である「貴蒸気機関」が発明されて以来、世界中の機械工は一斉に花形職業となり、貴蒸気機関を利用した様々な道具は人々の生活を変化させ続けていた。
 ちょっとした工夫で様々な能力を発揮するその機関は、その扱いの面白さと意外なほどの安全性で人々の興味の中心にあった。これを使えば、退屈な日常になにか面白いことがおこるのである。
 階下の団欒室では、少女が一人、安楽椅子の上で開いたままの本を胸の上に乗せて、小さな寝息を立てていた。暖炉の火はまだ残っていて、少女の白い頬をうっすらとあかく照らしていた。
「セレナミナ、風邪を引きますよ。さあ、お部屋へ行って下さい」
 数回揺するうちに、少女は瞼を開いた。
「さあ、目が覚めたのなら、寝室へ行ってゆっくりと・・・」
「デニス・ブレン。やっと出てきてくれたのね」
 少女は体を起こそうとして、まず自分の胸に乗っている本に気づいてそれを閉じ、丁寧に両手でささげ持って脇の机に置き、そしてデニスの顔に手を伸ばし、そっとその頬を撫でた。それから体を起こして立ち上がった。
「お腹がすいているのでしょう?まだジュリオが起きているはずだからなにか暖めさせましょう」
 そして、少女は給仕室のほうへ歩みだした。
「セレナミナ、お嬢様、もう時間は遅いのですから、見ていただかなくても私は自分で」
「二日も部屋に閉じこもっていたあなたが何を言っているの。鏡をご覧なさいな。私以外の人なら、ダニエルやお父様だってきっと逃げ出してしまうわ」
 姿見の鏡を指差す少女。
 言われるままに鏡を覗き込んだデニスは、頬がやせこけ、眼窩の落ち窪んだ男と目が合ってぎょっとし、二三度顔を撫で回してみて、それが普段は”涼しげな瞳の色男”と評される自分であることにやっと気が付いて、すごすごと少女の後にしたがった。
 自分がお世話になっている伯爵の、ひとり娘のセレナミナ。気丈な振る舞いとほんの少しの背伸びが似合いはじめる13才。この少女は田舎上がりのデニスをこの街で守らなければならないという使命感のもとに、彼の非常識と戦い続けてくれている。
「あなたに聞きたいことがあったのに、二日も部屋に閉じこもられて、こっちの気苦労も存じなさいな」
「私は本当に二日間も?」
「ええ、信じられないことに、お手洗いにも出てこなかった。そんなに熱中して、何をしていたの」
「今回のは、思ったより難物のようですね・・・」
「今すぐにとは言わないわ。スープを飲んでからでも教えてちょうだい」
 腕利きの料理人でもあるジュリオは、また勉強家であり努力家であり、その上この館のメイド最古参でもある上品な壮年の女性で、いつも遅くまで給仕室の明かりで本を読んでいた。
 この日の彼女は、珍しい東洋料理の本を見ながら、大きな鍋で何かを作っていた。
 それは東方の古い国の王宮の料理で、明日の夕食のスープに出そうと今から煮込んでいたものだったのだが、ちょうど誰かに味見してもらいたいと思っていたところだった。
「ジュリオ。こんな時間に悪いのだけど、ディナーの残りが無いかしら」
「セレナ様、デニス、これは良いところに。どうぞ、そちらにかけて下さい」
 ジュリオは二人のためにわざわざ椅子を引きにきて、二組の食器を用意した。
「新メニューです。ちょっと味見して下さいな」
 琥珀色の透き通った液体が、湯気をあげて運ばれてきた。銀のスプーンですくい上げ、一口、二口。
「ジュリオさん、これは美味しい。いつも遅くまでご苦労様です」
「でも、これっていつものスープじゃないの」
 セレナミナは調理台を見上げた。大きな鍋は、小さな火にかけられて今も湯気をあげている。
「これは、今日はじめて作った東方の料理ですよ」
「そうなの?私にはいつも出てくるジュリオのスープと、それほど味が違うようには思えないんだけど」
「あらいやだ。本当だわ」
 あらためて味見をしてみると、確かに普段自分が作るスープとあまり変わらないようだ。本を参考にはしたものの、材料の一部はジュリオなりにアレンジをくわえたのだが、どうやらその味が勝ってしまったらしい。
「何ということでしょう。やっと市場で見つけた、珍しい材料も使ったんですよ」
「気を落とさないで。美味しいことには変わり無いんだから。ね」
 デニスの皿には、すでに一しずくのスープも残っていなかった。
「おかわりをいただけますか。できれば、パンの切れ端を付けていただけるとありがたいのですが」
 もう夜中なので声をひそめながら、3人は笑いあった。

「ナキリ様のご依頼なんですよ」
 セレナミナに請われるまま、デニスは今自分が作っている機械のことを語りだした。セレナミナが通う女学校は、もちろん上流貴族の娘達だけが通える由緒正しいもので、そこには王家の第二王女であるナキリ姫も通っていた。
「セレナミナは、ナキリ様との御面識は?」
 少女は首を振った。
「いいえ、遠くからお顔を拝見しただけ。いつもお供の方がついてらっしゃるし、ご挨拶をさせていただくのも恐れ多いのですもの」
「そうですか。ナキリ様は姉君のテナリ様と違い、王宮以外の生活も知りたいと自ら学校に通いはじめられた訳ですけれども、そのご様子ではまだお友達もお出来になっていらっしゃらないのでしょうね」
「どうなのかしら。そうね、多分みんなお近付きになりたいとは思ってるんでしょうけど、なかなか」
 ジュリオが持ってきてくれた薄めた紅茶を、デニスは口に運んだ。
「あち」
 セレナミナは同じ紅茶を音も無くすすり、さらにジュリオにお菓子を催促した。
「それで、王女様から何を依頼されているの」
「はい。ナキリ様は学校に通われる今の生活が、とても楽しいのだそうです。幼い頃から王宮の中の限られた景色しかご覧になることは出来ませんでしたから、学校に通われる時に見られる街の風景や、学校の中のセレナミナ達女学生のにぎやかな話し声が、楽しくてたまらないのだそうです」
「にぎやかなって言われても、私たちは学校の中では、ほとんど私語を慎むようにしているのよ?」
「それでも、王宮の中に比べれば、にぎやかなんでしょうね。それで、ナキリ様はもっと遠くへ行ってみたいと言われるのです。いろいろなことを、もっとお知りになりたいんだそうです」
「遠くへ」
「でも、王宮を出ていられる時間は限られていますから、その短い時間の間にサバの山のさらに向こうまでも行けて、戻ってこられるような機械を作るようにと、私に依頼されたのです」
 ジュリオが焼き菓子を盛り付けた皿を持って戻ってきた。
「そんな機械が出来るの?だったら、ワタシは東方の国へ行ってきたいわ。さっきのスープを完成させるコツを調べてくるの」
「はは。でも、そういうわけにもいかないんですよ」
 デニスは焼き菓子を一枚手に取ると、良い音をさせて噛み砕いた。
「同席していた王様に後から言われたのです。そんなのは危なくて困ると。ただでさえ毎日学校に行くのを不安な気持ちで見送っているのに、サバの山ほども遠くに行く機械などというのは、危なくてしょうがないからやめてほしいと言われるのです」
「・・・王様って、そこまでナキリ様を過保護にされていたのね。学校でお供の方がおそばを離れないわけだわ」
 セレナミナは焼き菓子を手元で小さく砕き、そのかけらを一つずつ口に運んだ。
「そしてさらに王様は言われました。”でも、姫の願いは出来るだけかなえてやってくれ。お前なら出来るだろう、期待しておるぞ。”と」
「あらまあ」
 ジュリオは焼き菓子を紅茶の湯気にしばらくあて、柔らかくなったところを順に食べながら、目を丸くした。
「そんなの、めちゃめちゃねえ。作るなと言っておいて、でもなんとか作れだなんて」
「そうよ。なんてわがまま」
「駄目ですよ。セレナミナ、王様の悪口のような事を言ってはいけません」
 デニスは立ち上がった。
「ごちそう様でした。そう、ランプの油をいただけますか?もうじき図面が引き終わるので、今晩中にやってしまいたいのです」
「そんな機械が出来るの?」
「デニス・ブレンには簡単なことです。天才設計士ですから」
 セレナミナとジュリオも立ち上がった。
「教えて下さいな。どんな機械なの?」
「油はワタシが持っていくから、その図面とやらを見せておくれよ」
「では、一緒に行きましょうか」
 3人は並んで給仕室を出た。

 蘇ったランプの明かりが図面引き用の机の表面を覆うと、ちょうどセレナミナが両手を広げたくらいの大きさの紙の白さがそこに浮かび上がった。
 白い紙の上にはびっしりと細い線が引かれ、その平行な線と交差する線の生み出す幾何学模様に、ジュリオは軽い立ち眩みを憶えた。
「参考にしたのは、航海等に使われる性能の良い望遠鏡です」
 デニスは机の横に立って二人を振り返った。
「あれは、遠くの物が見える道具ですよね。レンズを使って遠くの物を近くに見せてくれるという仕掛けになっています。大きなレンズを使ったり、レンズを二つ組み合わせて使ったりするとさらに遠くの物が見えるのは知ってますか?」
 二人は首をひねった。
「ごめんなさい。望遠鏡が遠くのものをよく見せてくれるのは知っているけど、私たちはそれを使ったこともないわ」
「そうでしたか。まあとにかく、今回私が作る機械は、そのレンズというもの自体を、見たいものにあわせて作ることができるというモノなんです」
「どういうこと?」
「貴蒸気機関から細い力を二つ、同じ方向に向かって放出させて、その二つの力の間にレンズと同じ性質を持つ”場所”を発生させるんです。その”場所”の形や角度を手元のツマミで変えることが出来るようにします。そして、その”場所”を空に向かって作って、そこをさらに望遠鏡で覗きます。そうすると、普通に望遠鏡を使った場合では見えないような、山の向こう側までも見ることが出来るわけです」
「えーとそれは、とにかく実際に山の向こう側に行ける機械というわけではないわけね?」
 デニスは微笑んだ。
「そうです。やっぱり、実際に遠くまで行ってしまうような機械では、どうしてもナキリ様が危険な目にあわれることが考えられますからね。でも、この機械は自分が移動しなくても、”場所レンズ”を動かすことで見たいものを裏側からでも自由に見ることが出来ますから、実際にそこに行ったような気分が味わえるはずです。僕の計算では、ハルニレの街くらいまではこの機械で見ることが出来るはずです」
「ハルニレって何処?」
 セレナミナはジュリオを見た。
「ちょうど、サバの山の向こうにある街ですよ。行こうと思えば、それこそ馬で何ヶ月もかかるところです。ワタシは以前そこに住んでいたことがあるんですけど、こことは随分街の感じも違うところです。でもデニス、本当に、そんな機械が作れるのかい?」
「では、完成したら一度持ってきて、二人に使わせてあげますよ。さ、二人とももうお休み下さい。明日には、この図面を持って王城の工作室へ行くつもりなんですから」
 二人を部屋の外まで見送ってから、静かに扉を閉め、デニスは再び机に向かった。
 そして夜明け前には図面は仕上がり、デニスは登城の前に仮眠を取る事が出来た。



 王都には朝早くから多くの人々が出入りをする。西から東へ、または東から西へ旅をする人々は、夜遅くこの街にたどり着き、朝早く目的地に向けて旅立つのである。
 王宮へ通じる大通りの人込みの中に、出仕用の礼服を身に纏ったデニスがいることに気が付いたその少女は、小走りになって人々の間を縫って行き、飛びつかんばかりの勢いでデニスの腕にしがみついた。
「おはよお!」
「おっと」
 急に腕を引かれてバランスを崩したデニスは、脇に抱えていた数枚の図面を道に放り出してしまった。
「わわわ」
「驚かさないで下さいよ」
 人々の好奇の目を避けるように二人はしゃがみこみ、慌てて図面を拾い集めた。
「おはようございます、タージ。朝から元気ですね」
「当たり前よ。デニスは元気無さ過ぎ!・・・今日は一段とひどいわね」
 元気と笑顔が売り物のタージは、父親の新聞社の手伝いをしている17才の少女である。年頃の少女らしく華やかな生地のドレスで着飾り、黙って立ってでもいれば、どこぞのお嬢様と言っても通るような整った顔立ちをしている。しかし実際には、一流の記者気取りで大きな手帳を首から下げ、長い髪を後ろで束ね、まるで少年のような吊りズボンにシャツという姿で帽子を斜めにかぶって、いつも街中を駆け回っている。
 子供が親の仕事を真似るのはよくあることだが、タージのそれが遊びでない証拠に、彼女の書いた記事が新聞に載ることもあり、その場合それは決して他の記事に見劣りするものではなかった。
「女流記者様、今日は何処へ、なんの取材に行かれるのですか」
「今日は王城よ。新しい宮廷魔術師サマの任命式ですもの。デニスも出席するんでしょう」
「いえ、そんな行事があるとは、今はじめて聞きました。それで、今日は王城へ向かう人がいつもより多いのですね」
「そうね」
 デニスはあらためて街行く人々を見渡してみた。確かに、自分の伯爵邸と王城を往復する間だけ身に付けられる礼服に比べて、華美な装飾の付けられた豪華な礼服を、きちんと着こなしている人が多い。そのほとんどは、まっすぐデニスと同じ方向、王城に向かって歩いていた。
「新しい人が入るってことは、マルキアンはもう引退なのですか?」
「何言ってるのよ。マルキアン様だって、まだ任命されて三年でしょう?二人目の宮廷魔術師なんだって。デニスだって王宮付きの機械工なんだから、言わば職場の同僚の話でしょう。もっと普段から興味を持ちなさいよ」
「このところ忙しかったものですから。よかった、マルキアンが居なくなったりしたら随分寂しくなるところでしたよ」
「マルキアン様はおキレイだものね。そっか、デニスはマルキアン様のことがね」
 人の波は王城の正面の正門へ向かっているが、デニスとタージは脇道へ逸れた。直接朝日が差し込まず、建物が密集してくるので、だんだん道は暗くなる。デニスは大抵、自分が王城内にもらっている工作室に近いからと、この道を通って東の門から入城するようにしているのである。いつもの東洋式宗教建築の庭先を通り、目印になっている尖塔建築の角を左に折れる。
 この街は、東洋と西洋の境目に程近いという地理上の理由で、古い時代には何度も支配者が変わっている。現在のラガ王家の安定した統治が始まったのはおよそ200年前だが、それ以前は数十年、早ければ数年単位で各国に奪い合われた歴史を持つ。それにつれて住む人々の文化もいろいろに持ち込まれたせいで、一歩裏道に入ると建物の建築様式ががらりと変わってしまう。
「マルキアンが友達だからですよ。変なこと言わないで下さい。それにしてもさっきから気になってるんですけど、どうしてマルキアンには様を付けるんです?」
「あんなにお美しくて若いのに、宮廷魔術師でいらっしゃるのよ。尊敬しちゃうじゃない」
「一応、魔術師と特殊機械工は、身分は同じなんですよ」
「あきれた、自分にも様を付けて呼べっていうの。十年早いわぁ」
 タージはデニスの背を叩いて笑った。
 デニスは、その身分を知る人には「様」を付けて呼ばれる。王宮付きの特殊機械工になった時点で、身分が男爵並になったからである。わずか数年前まで田舎で思う侭に機械いじりをしていただけの青年にとって、この自分を扱うまわりの態度の変化には、就任当時には相当な戸惑いがあった。
「おはようございます、デニス様」
 門番の兵士も、デニスが前を通る時はかかとを鳴らして敬礼するのである。
 そんな毎日の中で、伯爵邸の人々や、マルキアン、タージといった気さくに自分を相手にしてくれる人々の存在が、デニスにとっては何よりもありがたかった。
「ところで」
 デニスは立ち止まって言った。二人はすでに東門をくぐり、王城内を東西に結ぶ回廊の入り口に立っていた。
 デニスと一緒ならば門番に呼び止められるはずも無く、タージはすんなりここまで来てしまった。
「なあに?」
「どこまで付いてくるつもりですか。式典の入場者は、あっちの広間に集まるのでしょう」
「あんな遠くからじゃ、新しい宮廷魔術師サマのお顔がよく見えないじゃない。デニスなら、もっと近くで式典を見られるでしょう?協力してよ」
「式典の取材なら、遠くからでも十分出来るでしょう。どうしてその新人さんの顔が見えるところまで近づかなくてはいけないのですか」
 タージは人差し指を立てて、デニスに突きつけた。お得意の、「ここが重要」のポーズである。
「もちろん、式典そのものの取材は、腕利きの記者がちゃんとやることになってるわ。でも、この、機械万能の時代に、この国ではまだ宮廷魔術師が立派な権威として存在しているのよ?しかも、そのお仕事の多くはいまだに王宮の石壁の向こう側だわ。三年前のマルキアン様の就任の時は、式典の公開もされなかったのよ。それがやっと、今回からオープンになるっていうんじゃない」
「そうですね」
「みんな知りたがってるのよ。魔術師って、どんな人なのかって。しかも、希に私たちに姿を見せてくれるマルキアン様は、あのお美しさもあって、街中の人たちの憧れの的。今回の新しい魔術師サマにも当然、関心が集まっているの」
「それを詳しく記事にすれば、新聞の売り上げも伸びるというわけですか」
「そそ」
 デニスはため息をついた。
「お父様が、あなたの花嫁修業をおろそかにする訳が解りますよ」
「目の付け所がいいでしょ。タージ記者は」
「しょうがないですね。ちょっとだけですよ」
 デニスは式典用の広間に、普段通らない階段を使って向かった。

 式典が行われている吹き抜けの広間全体を、二階上の出窓から見下ろすことができた。声をひそめてタージが驚嘆する。
 華やかに彩られた衣装に身を纏った人々が、荘厳な音楽の元で身じろぎ一つせぬまま、王の前で深く頭を垂れている黒衣の青年に注目していた。
 青年の脇に立つ長身の騎士が、手にした書状の文面を低くよく通る声で読み上げていく。それは、その黒衣の青年の詳細な生い立ちであった。
 その内容が、ところどころに本人に身に憶えの無い立派な行いや血筋の話が書き加えられているものだということは、以前同じような式典の当事者だったデニスには解っている。
 そしてこれまでのその者の行い全てが、今日この日から王に仕えるためにあったのであると、最後に宣言されるのである。
 青年を取り囲む華麗な衣装の人々は、王家に近い貴族達であり、デニスの任命式の時にも彼らは居て、今と同じ無言の重圧をかけてきた。しかし、今日はそのさらにはるか後方に、それなりに着飾った貴族でない人々が列を成しているのであった。
 静かに式を見守っていたその人々の列に、ざわめきがおこった。青年が顔を上げたのである。思わずタージからも呟きがもれた。
「なんて濃い黒髪なんでしょう。東洋系のいい男ねぇ、みとれちゃうわ」
 この国は東洋との境目に近い土地柄、街を行き交う人種も多種多様なので、東洋系の顔立ち自体は珍しくはないが、その青年はそんな中でも人目を引くような美しい顔立ちをしていた。
「いや、本当に。それにしても、まるで女性のような顔立ちですね」
「事前の情報では、男性だって話だったけど、ひょっとしたらわからないわね。あは、ここからだとお顔がよく見える」
「恋人同伴の御出勤なんて、隅に置けないわね。デニス君」
 後ろから声をかけられて、デニスとタージは息がつまった。あわてて振り向くと、そこには燃えるような朱色のローブに身を包んだ、若い女性が立っていた。
 肌は白い。目元が、いつも泣きはらしたように赤く、目を合わせるたびにはっとさせられる。そのくせ、声はいつも明るく、ころころとよく笑う。笑い顔は幼い少女のようで、しかしふとした拍子にこちらの心根を見透かすような黒い瞳で見つめて来る、どこか底知れぬ女性魔術師である。
「マルキアン、驚かせないで下さいよ」
 マルキアンは、デニスたちの反応がおかしくてたまらないというように、口元に手を当てて笑っている。
「おはよう、デニス君。こちらは?」
「おはようございます。こちらはシャッポシップ新聞社のタージ記者見習いです」
 デニスに促されても、タージは自己紹介どころか、一言も声を発することが出来なかった。目の前のマルキアンと出窓の下の式典広間を交互に振り返って見ている。
「どうかしましたか」
「だ、だって、だって」
 タージは目の前の魔術師を指差し、そして窓の下の式典広間の参列者の中にいる、朱のローブの女性を指差した。
「マルキアン様、今、あそこにいらっしゃるじゃないですか」
 マルキアンもデニスも、広間を見下ろした。
「あ、本当ですね」
「それがなにか?」
 マルキアンは笑みを崩さず、会釈をした。
「私は、このお城に魔術師として勤めさせていただいている、マルキアンと申します。お名前をうかがってもよろしいかしら」
 まだ広間と正面を交互に振り返り続けていたタージは、突然その動きを止めて正面を向いた。
「は、はい!私はタージ・マリアンヌ・エリザベート・ドローワと申します。父方の祖母と母方の祖母からそれぞれ名前をもらったので、こんなにも身分不相応なほど立派なものになっておりますが、私は気に入っています」
「そう、それはきっと、おばあ様方もお喜びでしょうね」
「はい、ありがとうございます!それと、先ほど私とデニスさんの事を恋人と呼ばれましたが、それはまったく事実無根ですので、お間違いなきよう」
「そうでしたか、これは失礼しました」
「はい、それでは私はこれで、失礼いたします!お勤め、ご苦労様です」
「タージさんも、お仕事ご苦労様です」
「それでは!」
 直立不動で喋っていたタージは、もと来た廊下を一目散に駆けていった。
 デニスはあっけにとられて、それをただ見送った。
「素敵なお嬢さんね。本当にデニス君の恋人じゃないの?」
「ええ、残念ながら」
「なあんだ。今日のデニス君なんだかすごくやつれてるから、お姉さんいけない想像しちゃったわ」
 デニスは咳払いを一つした。
「それにしても、彼女があんなに取り乱すところは、はじめてみましたよ。いつももっと余裕があって、私なんてあしらわれっぱなしなんです」
「彼女ね、多分途中で、広間にいるのは私に良く似た別の人だと思おうとしたんじゃないかな。でね、今、会釈したとき、同時に広間の私も彼女に会釈してみせたのよ」
 デニスにも、なんでそんなことが出来るのかはわからないが、そんなものをいきなり見せられたらそれは驚くだろう。
「そりゃあ、びっくりしたでしょうね。タージはあなたのファンだって言ってたんですけど、嫌いになってしまったかもしれないですよ」
「ふふ、こういう事をして見せた方が、喜んでくれるんじゃないかな」
「そんなもんですかねえ。ところで、式典に出席しなくていいんですか?」
 マルキアンは、窓の下を指差した。
「居るじゃない、私。気にしないで。とりあえず、私の部屋でお茶でもごちそうするわ。行きましょう」
 二人は廊下を奥に向かって歩き出した。広間では、まだ長い式典が始まったばかりである。

「あの新しい宮廷魔術師の方って、男性ですよね」
「そうよ」
 魔術師の部屋という肩書きにふさわしい、恐ろしく古い書物と巻き物がびっしりと詰まった本棚に囲まれた空間で、デニスは出されたお茶をすすった。不思議な香りのするお茶だったが、決してまずくはない。
「そのお茶どう?その新人君が東から持ってきてくれたんだ。見た目通り、彼の出身は東の国だから。私の師匠の強い推薦で任命されることになったんだけど、あ、師匠って、先々代のこの国の宮廷魔術師だったんだけどね、私は彼の任官には反対したのよ。能力検査に立ち会ったんだけど、魔術師としての能力に不安があるのよ、彼。でも、師匠が推したら通っちゃった。引退者の方に強い権力があるって、良くないことだと思わない?」
「はは・・・」
 デニスは力無く笑った。
「だからきっとね、彼の能力不足を補うために、私にさらに努力しなさいっていう、師匠の新しい試練なんだと思うの。困っちゃうわ、いつまでも一人前だと思ってもらえなくて」
「その彼とは、マルキアンはどれくらい面識があるんですか」
「去年に一度師匠のところで会って、それとこの間能力検査の時に。二回とも、なんでもない話をしただけだから、どんなコなのかはよく解らないんだけどね。歳は、ちょうどデニス君と同じくらいよ。名前はね、セイシュウ君っていうの」
「セイシュウさんですね」
「仲良くしてあげてね」
 それからマルキアンは、飲み干しては自分のカップにお茶を継ぎ足しながら、自分の師匠がいかに自分を信用していないか、そして、そうは言ってもその師匠がとても優れた魔術師であり、自分は信頼しているという話を、デニスにした。今回のことを、きっと、こうやって誰かに聞いて欲しかったのだろう。
「ところでマルキアン、前からうかがおうと思っていたんですけど」
「何かしら?」
 ポットをテーブルの端に置いて、注いだばかりの東洋茶のカップを両手で包み持って息を二、三度吹きかけ、マルキアンはそれをすすってこちらを見た。
「そのポットに入っているお茶は、なぜいつまでも冷めないのですか?」
 以前から、デニスはそれがとても不思議だった。
「いいでしょう。とっても便利よ」
「便利なのはわかりますよ。こうしてその恩恵をいつも受けさせてもらってます。私はそのポットの仕組みを知りたいのです」
「この国一番の技術者なんでしょう。このポットの仕組みくらい、大体見当が付くんじゃないの」
「そりゃあ、同じ仕組みのポットを作ることは出来ますよ。貴蒸気機関を使って作られた研究用装置によって、お湯が沸く仕組みとか、それが冷める仕組みとか、いろいろ解ってきてますから、中身が冷めないポットくらい、貴蒸気機関を使わなくたって作れます」
「そうなんだ。世の中どんどん便利になっていいわね」
 デニスは腕組みをした。
「でも、あなたのそのポットは、歴代の宮廷魔術師がずっと使ってきた古いものだというじゃないですか。そもそも、この国の初代の魔術師が持ち込んだとか。そんな昔に、私が考えているような仕組みのポットが作れるはずはないんです。お願いです、そのポットの中を見せて下さい」
 マルキアンはポットを手にとって、テーブル上のデニスとのちょうど中間に置いた。
「デニス君。君に魔法の基礎を一つ教えてあげる」
 デニスの目を、正面からマルキアンは見つめた。
「あなたは、このポットと同じ機能をもつポットを作れるでしょうけど、それはただの便利なポットで、魔法のポットではないわ。でも、これは魔法のポットなの。私や、歴代の先輩方が魔法をかけ続けているから。そして、このポットにかかっている魔法は、他の人ならわからないけど、おそらくあなたなら簡単に解いてしまえるの」
「私に、魔法が解けるのですか?」
「そう。魔術師じゃなくても魔法は解ける。いい?魔法には、本当は”仕組み”は無いの。仕組みがあることが解ってしまったら、それはもう魔法では無くなってしまうのよ。でもね、このポットの魔法を解くということは、このポットを使ってきた28人すべての魔術師の誇りに傷を付けるということでもあるの。だから、私はその末席にいる者として、このポットの中を見せてあげることはできない。・・・わかるかな」
「魔法の基礎の話自体は、正直よくわからないんですが」
 デニスは深く息を吐いた。
「以前にそんなに沢山の使用者がいらしたんですか。お話をうかがっているうちに、なんだか恐くなってきました。私は幼い頃の経験から、魔術師には逆らわないことにしているんです。あきらめますよ」
 マルキアンは満面に笑顔を浮かべた。
「ありがとう。ほんとはね、魔術師の私が使っているんだから、これは魔法のポットじゃないと困るってことなの。実際のところ、私たちは、あなたたち技術者っていう存在にとても弱いのよ。これからも、あんまりいじめないでね」
 そう言って、マルキアンはそのポットを手にとり、もう冷めてしまったデニスのお茶を取り替えてくれた。とりあえず一口そのお茶をすすり、それがいつのまにか、いつもの西洋茶に戻っていることに驚くデニスを見て、マルキアンはニッコリと笑った。
 この女性とこうして二人で朝のティータイムを楽しめる幸福は、デニスにとって何物にも代え難かった。この部屋には知的好奇心をくすぐってくれる道具がたくさんあるし、なによりデニスは王都に住む知り合いの中でも、マルキアンの事が一番好きなのだから。
 しかし突然開かれた扉の音によって、今のその幸福な時間は終わりを告げた。
「マルキアン先輩!」
 黒衣の青年が立っていた。デニスには目もくれず、室内に駆け込むと、いきなりマルキアンに抱き着いた。
「僕、先輩の後輩になれたんです!これからは、ずーっと一緒です」
「な、ちょっと、セイシュウ君、離れなさいよっ」
 マルキアンは青年の肩を掴むと、両腕を突っ張った。そして、自分からしゃがみこむような不思議な動きをしなやかに行った。青年はつんのめって前に倒れた。その横に立ちあがったマルキアンは、倒れているその青年を睨み付けた。
「いきなり、どういうつもりよ!」
 その青年は、やはり先ほど式典会場で見た黒髪の東洋魔術師の、セイシュウだった。
「すみません、つい嬉しくて」
 床にぶつけたのか腰を擦りながら立ち上がるその姿は、式典の時に見せた神秘的な雰囲気の面影もなく、満面の笑みを浮かべていて、子供のようだった。
「やっと、マルキアン先輩のお近付きになれたんです。はじめてお会いした時からはや296日、この日をどれほど待ったことか」
 それから、あらためてセイシュウは膝を床につき、マルキアンに深く頭を下げた。
「なにも出来ない僕ですが、これからは、よろしくご指導お願い申し上げます」
「なに言ってるのよ」
 マルキアンの口からいきなり漏れた刺すような冷たい言葉に、デニスは目を剥いた。
「あんたみたいなね、ファイアーボールもろくに出せないヤツを、私は魔術師と認めないんだからね。師匠にどう言って取り入ったんだか知らないけれど、勘違いするんじゃないわよ。私の許可もなしに、この部屋に入って来るのも禁止!さ、とっとと出ていって」
 顔を上げたセイシュウは、一変涙が零れんばかりに目を潤ませており、マルキアンに擦り寄った。
「そんな、一目お会いした時から、一つ屋根の下でお仕事が出来るのを夢見て、一人でせっかく頑張ってきたのに、あなたはそうやって僕を冷たくあしらうのですか」
「そういう、しょうも無い言霊が、私に通用するとでも思っているの」
 マルキアンの手元が明るく輝いた。重ねられた掌中に点灯した小さな光が、みるみる大きくなる。
 とっさに飛びのいたセイシュウは、テーブルの周囲をまわって、立ち上がってるデニスの後ろに回り込み、その背中にしがみついた。
「先輩、落ち着いて、暴力では何も解決しませんよ」
「デニス君退きなさい!その子に一回本物の魔法の力ってものを教えてあげなければならないわ。いい?これは暴力じゃなくて、教育」
「マルキアン、落ち着いて、ちょっと、うわ」
 マルキアンの掌中の輝きが、その強さを増していく。その光に気おされるように、デニスとセイシュウは少しづつ後退し、扉に近づいた。
 しがみついて離れない背後の青年をかばいつつ、デニスは両手を振って叫んだ。
「こんな狭い室内で魔法なんて使ったら、置いてある貴重な蔵書や薬品類が失われてしまうのではないですか」
「大丈夫、失って惜しいような貴重なものこの部屋には置いてないから」
「ならば」
 デニスは続けて叫んだ。
「この扉、この壁、この床、すべてあなたのものではなく、国王からの借り物のはず。それらの物にまったく傷を付けることなく、なおその魔法を使うことが出来ますか」
 赤い女性魔術師の表情が変わった。
「それは難しいわ」
 マルキアンの手元の光が、急速にしぼみはじめた。セイシュウはデニスの背から顔をだし、その光が収まるのを確認して、止めていた息を吐いた。
「助かった・・・」
 その腹部に、マルキアンの手元から手首のスナップ一つで放たれた小さな黒い塊が、宙を飛んで当たった。息の吐き際にそれをまともに受けてしまい、セイシュウはせき込んだ。
「こういう、相手のスキをつく技術こそ、セイシュウ君の得意分野なんでしょう?なにやってるのよ」
「だ、大丈夫ですか」
「いいのよほっといて。本人のためにならないから」
 さっきまでは自分に、「仲良くしてあげてね」と彼を思いやるように言っていたくらいなのに、この豹変ぶりはいったいどういう事かとマルキアンにたずねようとしたデニスは、その問いをまたもや突然扉の開く音に遮られてしまった。
「はっ、マルキアン術師、いらっしゃったのですか」
 正装をした城の衛兵が一人、その後に続いて二人入ってきた。
「セイシュウ術師ならここにいますよ」
 まるでその突然の侵入者を予見していたかのように、マルキアンは落ち着き払って、床にしゃがみこんでしまっているセイシュウを指で示した。
「式典が終わるには早すぎたもの。どうせ、抜け出してきちゃったんでしょう」
 セイシュウはやっと呼吸が落ち着いて、腹部を擦りながら片膝を立て、立ち上がった。
「指導ありがとうございます・・・」
「えらいえらい。ちゃんと解っているのね」
「途中でふと先輩の席を見たら、先輩じゃない変わり身がいたんで、つまらなくなって抜けてきちゃったんですよ」
「そういう無茶は、自分も変わり身が出来るようになってからしなさい。いくわよ」
 マルキアンはセイシュウの背中を押した。
「デニス君、私やっぱり式典に出ないといけないみたいだから」
「そうみたいですね。えっと・・・お茶をご馳走様でした」
「はい。じゃあ、お仕事がんばってね」
 衛兵達と揃って部屋を出て、デニスは式典会場へ戻る一行と離れ、自分の工作室へと向かった。

 扉は城内の他の部屋と同じだが、工作室のそれを開けると、余分な壁や段差を取り払った広い空間と、そこに整然と並べられた様々な用途の工作機械の列が来訪者を出迎える。
 デニスが王都で驚いたことの一つは、実際に機械に触り、それを加工したり調整したりする技術に関しては、自分より上の人間がこの世にはいくらでもいるということだ。この工作室には、デニスのひいた図面をデニスよりも上手く実物にできる技術者が二人、デニスの助手として派遣されている。
 そのうちの一人、デニスより二回り年齢が上のナーランガ・マシュウが、部屋の中ほどの工作機械の上からひょっこり顔を出した。いつもの立派な口髭と人懐っこい笑顔。貴蒸気機関発明前からのベテラン技術者でもあり、その技術はとても安定している。技術者仲間の誰からも尊敬を受ける好人物だが、ただ一点、薄い頭髪の話になるとムキになって自分は面長なのだと主張し出し、手が付けられなくなるので注意を払わなくてはならない。
 機械にかまわず、窓から空を見上げている少年はアシュ・モク。数年前、まだ名前の売り出し中だったデニスの珍妙な発想力に惚れ込んで、いつのまにかデニスの専属機械工を自称してくっついてきた、天才肌の技術者である。技術者としてはせいぜい一流半の腕前だが、デニスの書く特殊で難解な図面を理解する力だけはナーランガ以上で、結局、デニスが王宮付き技術者となった今でも、特別に取りたてられて一緒に仕事をしている。
「ナーランガさん、アシュ、おはようございます。遅くなってすみません」
「例のアレ、図面が出来たんだな」
「おそいよデニス!」
 デニスは二人に図面を渡すと、登城用の礼服を脱ぎながら、さっそく説明をした。今回の機械は、元から存在する望遠鏡という道具に機能を追加する形で制作するのだから、制作上の手間はそれほどかからないはずである。
「ご依頼から、随分時間が経ってしまいました。でも、急げば今夕には完成するでしょう。二人とも、よろしくお願いします」
 二人は、それぞれ図面を覗き込んで、そこに描かれている線の集合体の完成形を、頭の中で構成してみた。先にナーランガが口を開いた。
「この上部の機構は、もう少し小型化できるな。お使いになるのはナキリ姫なんだから、できるだけ、小さく、軽くした方が使いやすいだろう」
 負けじと、アシュは手を上げて発言する。
「だったら、このツマミの部分は前後に動かすんじゃなくて回す仕組みにした方がいいよ。小さく出来るし、丈夫にもなるでしょ?」
「おお、それならばこの伝達パイプは外に通すことにしよう。無理に内蔵にするより、バランスが良くなるし持ち運ぶ時の取っ手にもなる。どうだデニス?」
「考え付きませんでした。それで頼みます。でも時間は」
「大丈夫、それでも半日で出来るさ。アシュ、二列の三と五の動力を入れとけ。じゃあデニスはこの部屋にある貴蒸気機関と材料で出来るところからやっててくれ。俺は街で足りないものを調達して来る。昼には戻るから」
 デニスがやっと作業着に着替えたころには、すでにナーランガの姿は消えていた。アシュは隣室から、両手で様々な形をした素材を抱えて出てきた。
「あんまり寝てないんだろ。大丈夫か?」
「ありがとうアシュ。今日はちゃんと寝てきているから、心配はいらないよ」
「それにしちゃ、疲れた顔してるぞ」
「はは。今日、新しい魔術師が来たのは知ってますか?」
「朝から広間の方でなんかやってるな」
「うん。それで、ちょっとバタバタしちゃってね」
 話しながら、二人はそれぞれ必要な素材を機械にかけ、作業をはじめた。
 昼にナーランガが戻る頃には基礎加工は終わっており、順調に夕刻には表面を鞣革で奇麗に覆った、デニスの望遠鏡が完成した。



 デニスは夕食の時間に間に合う時間に、伯爵邸に帰り着いた。
 食事時の伯爵家のテーブルには、主人から下男に至るまで、屋敷の者が揃ってつくことになっている。
 以前はもちろん別々の部屋でそれぞれ身分ごとに食事をとっていたのだが、デニスがこの屋敷に住むようになった折、何故全員一緒に食事を取らないのかと不思議がったのを見た伯爵が、それは然りと実行したのだった。
「言われるまで気が付かなかったが、なるほど皆同じ家に住む家族ではないか」
と、その時伯爵はデニスに微笑んだ。
 元からそういった区別に気を払わなかった娘のセレナミナはその賑やかな食卓を歓迎したが、かえって下働きの者達が気を使ってしまって、この試みも初めはぎこちなかった。その壁を取り払おうと、伯爵は自分が若い頃に近隣各国を旅した話を、ある日の食事の前に面白おかしく披露した。今は優しく穏やかな伯爵が、その昔はかなりの短気者であったことや、釣りの名手であることを、セレナミナやデニスを含めた一同は初めて知り、伯爵が見た広大な海をそれぞれに想像し、恩人の死に涙し、間の抜けた失敗談に声を上げて笑った。
 そして伯爵は言った。
「これから、こうやって食事の前に何か話をすることにしよう。ただ、私ばかりでは疲れてしまうので、皆で順に話して行くことにしよう。では、明日はデニス君の番ということで」
 驚いたデニスは慌てて断ろうとした。しかし伯爵は譲らず、
「自分の生い立ちでもいいし、ただその日あった事でもいい。短くてもいい。おっと、今日のようにあまり長いのは困るな。こうしてスープが冷めてしまった」
とおどけて言い、皆と一緒にデニスも思わず吹き出してしまったので、断り切れなかった。
 翌日の夕食で、デニスは故郷のテーベ村の話をした。
 自分が幼い頃、村にやってきた旅人から習った機械仕掛けの道具の修理法と、その旅人が去り際にくれた一冊の機械の本があったから、自分は機械工になれて、ここにこうしていられるのだと語った。
 それから、とっておきの「パンの少女」に会った話もした。
 「パンの少女」というのは、この国の地方一帯に一般的に伝わる民話で、赤い頭巾を被った、パンを欲しがる少女の話である。快くパンをあげると、大人が働いている間子供と遊んでくれたり、枯れた井戸を蘇らせてくれたり、迷子になった村の子供を見つけてくれたりと、なにか良いことをしてくれるのである。反対にパンをあげないで追い払うと、片方の靴を隠されたり、昼寝をしている時にくすぐられたり、まあ、他愛の無いイタズラをされる。
 名を尋ねても、彼女は決して名前を名乗らないことになっており、「パンの少女」と呼ばれている。もしくは、その少女の名前が「パン」であるとなっている民話もある。
 これは村の老人も幼い頃から知っているというような民話なのだが、デニスは幼い頃、その少女に直接会ったことがあるのだと語った。実際に、家からパンを持ち出して少女にあげてしまい、あとで叱られまでしたのだから、デニスにとっては確かな記憶なのだが、誰に話しても大人は皆笑うだけだった。友達の中にはデニスをウソツキ呼ばわりする者までいて、掴み合いの喧嘩をしたりした。
 セレナミナが、そのときパンのお返しになにをしてもらったのかを知りたがったが、残念ながらデニス自身が忘れてしまっていたため、それは語られなかった。
 もちろん、この日のスープも冷めてしまった。
 そうして順番が回るうちに、次第にデニスもこの屋敷に打ち解け、また、以前からの住人同士も信頼が深まっていったのである。
 望遠鏡を持って帰宅したこの日も、ちょうどデニスが話をする番だった。
 デニスは立ち上がって一礼すると、手元の望遠鏡の話をして、実際に使って見せた。食堂の扉を開いてもらい、まず廊下に”場所レンズ”を作って、廊下の曲がり角にかけられている絵画の作者のサインを読んだのである。それから、執事のダニエルにその場所まで行ってもらい、指で数字を示してもらって、それを読んだ。伯爵以下、皆は扉から廊下をうかがい、廊下の果てでダニエルが示した数字を食堂の中のデニスが言い当てるたびに歓声を上げた。
「それがやっとどんな物か解ったよ。仕組みはよく分からないけど、本当に出来たんだねえ」
 ジュリオはデニスに握手を求めてきた。
「これなら、ナキリ姫もお喜びになるに違いないね」
「喜んでいただけるといいのですが」
「デニス君」
 伯爵も笑みを満面に浮かべて話し掛けてきた。
「これは確かに素晴らしい道具だ。きっとナキリ姫にも王にも喜んでいただけると思うし、君を今の役職に推挙した私はいつも鼻が高いよ。ただね」
 ジュリオの指揮で、皆は席に戻りはじめた。伯爵も席に戻って、そこから話を続けた。
「姫に必要な物はもっと他にあるような気がするね」
 一同の前に配膳された最初の皿は、もちろん昨夜からジュリオが作っていた、特製だけれども味はいつもと変わらないという複雑なスープだった。自慢の口髭を震わせてその香りを嗅いでいるうちに、伯爵は何かを思い付いた。
「ふむ。よし、セレナミナが、明日は学校へこれを持っていきなさい。そして姫に失礼の無いようにご挨拶をして、この道具をデニスからと言ってお渡ししなさい」
 目を見開いて、セレナミナは父である伯爵の方を向き、手を大きく広げて、開いた口を覆った。
「私がですか?」
「学校でそんな表情をしてはいけないよ、はしたないからね。セレナミナ、きちんとこの道具をお渡しして、使い方もデニスに習っておいてちゃんと説明してさし上げるんだ。いいかなデニス?」
「は、はい、伯爵のご意見ですから素直に従います。しかし、何故ですか」
「多分ね、君がお渡しするより、ずっと良い結果になると思うのだよ。何より、姫にとってね。さあ、今日もスープが冷めてしまうぞ。デニスの番の時はいつもこうだな、皆」
 食堂がまた笑いに包まれ、和やかな伯爵家の夕食が始まった。

 夕食後にデニスは、団欒室でお気に入りの安楽椅子に座り、何かを読んでいるセレナミナを見つけた。
「さ、望遠鏡の使い方をお教えしますよ」
「うん、これを読んでから・・・」
 セレナミナはその紙片から目を離さないで答えた。
 覗き込んでみると、それはシャッポシップ新聞の急刷り号だった。
「街で夕方にタージさんにお会いしたの。そうしたら、今日の出来事だっておっしゃって、これを下さいました」
 手渡された紙面の最上段には「新魔術師式典中に突如脱走」の文字があり、式典の様子を伝える記事部分をはさんで、下部にはタージの筆によるものと思われるセイシュウの肖像画が印刷されている。絵心のあるタージらしく、ただ東洋系なだけでは無くきちんと特徴を掴んで描かれている。
「デニスは、その新しい魔術師の方にお会いした?」
「はい、会いましたよ。会うどころか、一瞬生死を共にしたくらいです。・・・あれ、思い出してみると、直接ご挨拶はしていませんでしたね」
「どんな方?」
「ううん、まだ、あまりよく存じ上げませんね。それより」
「はい」
 セレナミナは差し出された望遠鏡を手に取った。
「見た目より重いのね」
「貴蒸気機関が付いていますからね。でも、問題は無い程度でしょう」
「ええ。この部分であの”レンズ”を操作するの?」
「そうです。もう仕組みはご存知でしょうから、使い方だけを説明しますね」
 やがてその使用法を理解したセレナミナは、窓を開け、闇に沈む山々や街に望遠鏡の先を向けた。
「ハルニレの街どころか、やっぱり、夜では何も見えないわね」
「そうですね、街の中心の通りならばまだ明るいでしょうから、なにか見えるかもしれないですが・・・」
「・・・ほんとだ!手が届きそう。ねぇ、あれは何?」
「どれですか?」
 二人はそれからしばらく、その望遠鏡の向こうに映る景色を交互に眺め、明るい街の繁華街の聞こえるはずの無い喧騒や、灯火が消されることのない軍隊の駐屯地の張り詰めた空気を想像し、笑いあって時間を過ごした。



 翌日、デニスが目覚めたのは、午後も遅い時間だった。
「随分、眠ってしまったようですね」
 誰に言うとは無しにつぶやいて、デニスは身を起こし、書物が積み上げられているテーブルを見た。
「返却に行くのは明日にしましょう」
 扉を叩く音が二度、三度。
「ちょっと待って下さい。今、起きましたから」
 慌てて身を起こし、デニスは上着を羽織った。
「どうぞ」
 セレナミナだった。まだ学校の制服姿である。両手でデニスの望遠鏡を持っている。
「やっぱり疲れてたのね。昨日は遅くまでごめんなさい」
「いえいえ。それより、どうしてそれを持って帰って来てしまったのですか。ナキリ様は学校をお休みでしたか?」
 セレナミナは部屋の中には入ってこようとせず、扉のところで立ったまま話を続けた。
「いいえ、ナキリ様はいらっしゃたの。私、緊張してしまって、ご挨拶の途中で黙り込んでしまった。そうしたら、ナキリ様のほうから声をかけて下さったの。セレナミナさん?って!」
「私が何度かセレナミナの事をお話したことがありましたから、それを持っているのをご覧になってお察しになられたのでしょうね」
「うん、それで、これのことを説明して差し上げて、学校の窓からあちこち一緒に眺めさせていただいたの。丁度昨日の夜のデニスと私みたいに」
「そうですか。それでは、ひょっとしてその望遠鏡ではお喜びいただけなかったのでしょうか」
「ううん、そんなこと無いの。ナキリ様はね、初めはこれをとてもお気に入りになられたみたいなんだけれど、そうして私とお話をしているうちに、なんだかこれのことは忘れてしまわれたみたいで、それで私、ナキリ様ととても親しくお話をさせていただいたの!」
「それはよかった」
「それで、今日これから、私の友達も一緒に、王宮にお呼ばれしてて・・・」
 セレナミナは、テーブルの端に望遠鏡を置くと、すぐに扉に手をかけた。
「望遠鏡は、デニスに返しておいて下さいって。それじゃ、下で一緒に行く友達が待ってるから、私」
 言うが早いか、少女は跳ねるように部屋を飛び出していってしまった。
 残されたデニスは、昨夜伯爵が言った事をすっかり理解して、テーブルに歩み寄り、望遠鏡を手に取った。
「より遠くに関心を伸ばさなくても、今のナキリ様の周りには、それまでの王宮生活には無かった素晴らしい興味の対象が沢山あったというわけですね。勉強になりました」
 雲一つ無い良い天気で、日没までまだ時間はある。
 この余った望遠鏡の使い道を思い付いて、デニスは外出の準備を始めた。



 大通りを横切って歩くタージを見つけて、今回はデニスの方から声をかけた。
「どうしたのデニス。こんな時間に」
「今、あなたを探してそこのシャッポシップ新聞社に行こうとしていたところなんですよ」
 タージは驚いたようにデニスに向き直った。
「何、なにかくれるの?」
「ええ、あなたのお仕事に、飛び切り役に立つ道具があるんです」
「ほんとに?プレゼントを?うそ」
「昨日、城でマルキアンが驚かせちゃったじゃないですか。そのおわびです。余り物ですけど」
 タージはデニスの袖を引いた。
「とりあえず、社でお茶でも飲んでいってよ。悪いな、なんか。マルキアン様にあんな間近でお会いできて、嬉しいくらいだったのよ私。そうそう、あの新しい魔術師さんの事、何か聞けないかな」
「ええ、いいですよ。と言ってもまだ名前くらいしか知りませんけど」
 その時、目の前のシャッポシップ新聞社から、大きな体を揺すらせて、タージの父であるショット・ドローワが飛び出してきた。
「お父さん、どうしたの」
「お、なんだそのにやけた男は!父さんはお前には・・・いや、そんなことを言っている場合じゃない。急刷りだ、すぐ街頭で配ってこい」
「何よ、昨日の急刷りまだ配るの」
 差し出された紙の束を、タージはしぶしぶ受け取った。
「それより、あの魔術師さんの詳しい話が」
「バカ、その紙面をよく見ろ、新しい急刷りだよ!テンゼン国のハインズから連絡が届いたんだ」
 デニスはタージからその急刷りを一枚受け取った。最上段に大きく印刷されているのは、
「戦争だよ!テンゼンと、センカーランが、うちの国の隣国同士で、戦争を始めちまったんだよ。巻き込まれるかもしれん」
 どこまでも晴れ渡る空の端に、いつのまにか炭色の雲が姿を見せていた。



(第二話に続く)




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