いずれ、このHPの「世界を革命する話」にてこの映画のことは大きく取り扱うことになるので、今回は紹介がてら、ある1シーンに関する考察程度にとどめようと思います。

おそらく美術の授業中と推測出来るシーンです。二人一組で、お互いのスケッチをすることになり、天上ウテナのところに姫宮アンシーがにっこり微笑んでやってきます。天気が良くって校内のどこでやってもいいということになったので、アンシーは広大な鳳学園の校舎の中をウテナを連れてスイスイ進み、他に誰もやって来る者のいない、塔の最上階にある理事長室に連れ込みます。
さっそく、まずはアンシーがモデルになってウテナがスケッチをはじめます。ウテナは一生懸命鉛筆を走らせながら、昨晩あったことを謝ったり、「薔薇の花嫁」について聞いたり、いろいろとアンシーに語り掛けます。
画面には、モデルの姿勢で固まっているアンシーだけが映っています。やがてウテナは、お互い隠すところ無く本当の姿を見せ合おう、本当の友達になろうと明るく話し出すのですが、じきにアンシーはそっぽを向いてしまい、足を組み替え、姿勢もだんだん崩れてきます。
この間、ウテナの鉛筆の音は響き続けています。普通モデルが動いたら、スケッチをしている者は注意の声を上げるはずです。それが無いということは、ウテナは目の前のアンシーを見ないでスケッチをしていることになります。つまり、目の前にいる相手ではなく、自分の中のアンシーを見ながら、「お互いを見せ合おう」なんて言っているのです。僕が昔スケッチのやり方を習いはじめたころ、とにかく「相手を見て描け」と言われました。相手を見ないと、自分の中にあるイメージだけを見つめることになるからです。ウテナはこのシーンで、ただ自分の内側にいるアンシーしか見ていなかったのです。
アンシーが自分の話を聞いていないとは夢にも思わぬウテナが、より発言に熱を込めようとした時、それを遮るようにアンシーは立ち上がり、モデルの交代をうながします。
次のシーン、アンシーがどうすすめたのか、ウテナはなんとオールヌードでモデルをやらされています。初めは大きなスケッチブックでなんとか体を隠していましたが、アンシーはさっき隠すところ無く付き合おうと言ったではないかと追求し、ついにウテナはスケッチブックを床に落としてそのままモデルになります。
モデルになり、羞恥に身を震わすウテナ。やがて耐えられなくなって自分だけ何故に脱がねばならないのかと声まで震わせますが、それに対してアンシーがとった行動は、自分も制服を脱ぐというものでした。ここで、TV版では明かされなかった「薔薇の花嫁」姫宮アンシーの恐ろしい秘密が一つ明かされることになり、ウテナのアンシーを思う気持ちが一層強くなるのですが・・・。

ほんの数分のシーンですが、「少女革命ウテナ」のメインテーマともいうべき「他人の存在」に関するエピソードが凝縮されています。僕はこの「ウテナ」という作品の最大のテーマを「他人は存在するか」というものだと捉えていたのですが、この劇場版でもその問いは色濃く出ていると感じました。

映画全体の流れは、TV版と同じ意味を持つエピソードをTV版とまったく異なるシュチュエーションで描きつつ、TV版の最終回以後の物語まで見せてくれるというものでした。
そして冒頭から、幾原監督が宣言していた通りに「今まで誰も見た事が無いような映像美」が惜しげも無く溢れかえり、見る者を圧倒します。さらには、TV版の人気キャラクターである、チュチュ、アフリカ象、ナナミ牛に新キャラクター「ケロポン」までちらりちらりと登場し、僕のお気に入りの影絵少女も絶好調!もちろん、ここらのサービスはあくまでおまけ、本編の重厚な作りは初めての人も僕のようなウテナマニアも同様に煙に巻く、「らしさ」爆発!
この夏一番のオススメです。劇場に足を運ぶことがあったら、全国東映洋画系にて放映中ですので、是非どうぞ。



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