「エイリアン1」は、小学生の時にTVで放映していたのですが、恐くてまともに見られませんでした。すぐにTVの無い部屋に逃げてしまいました。
「2」は、当時の少年漫画誌なんかでも大きく扱われたので、大まかな物語の流れや大仰なパワードスーツの存在は知っていますが、映画そのものは、これも後にTVでやっていたものをちらっと見た程度でした。
そして「3」は、映画好きの知人に、カメラワークがスゴイよとだけ聞いたことがあるだけで、全く見たことがありません。
ついでに、「VSプレデター」はゲーム化されたものを少しやったことがあるだけで、ストーリーもろくに知りません。
僕にとって、今回の「4」は、映画としての「エイリアン」の初体験でした。

なんとも、SF映画でした。「3」までの時代から、さらに200年が経過。エイリアンの子を宿したまま死んだシリーズの主人公リプリー(当然シガニー・ウィーバー)が、冥王星軌道に浮かぶ軍事用宇宙ステーションで、クローン技術によって甦ります。
シガニーは、当初もうエイリアンシリーズに出演するつもりは無かったらしいのですが、目を通した「4」のシナリオがあまりに面白かったので、出演を承知したんだそうです。
科学者達は、クローンリプリーの体からエイリアンの胎児を摘出し、育て、軍事兵器や化学産業に役立てようと目論んでいました。その科学者達に、冷たく「あなたたちはみんな殺されるわ」と言い放つ、クローンリプリー。「3」までで、何度もエイリアンと戦い、最後は自爆までした彼女の重いセリフも、200年後の科学者達には実感を持って届きません。

クローン、コールドスリープ、宇宙ステーション、遺伝子の混合による新種の誕生などなど、SF的なギミックは随所に使われていますが、それらに埋没することなく、過去の優れたSF作品と同じように、この映画では人間ドラマの方にこそ物語の比重が重く置かれています。
SFが文学の一ジャンルたり得ている理由は、それが人間というものをリアルに描くことが出来るからです。この映画はそこを忘れずに、極限状態での人間の選択や、ふとした気の迷い、心の醜さ、そしてその悲しみを描き切ります。残酷な映像の多いこの映画の中で、ウィノア・ライダー演じる正義感の強い美少女が時折見せる、人間的で温かい言葉や行動に、僕は何度も気分を和ませたのですが、彼女の正体が終盤で明かされると、それはリプリーが自分がクローンであるという悲しみを強く受けるあるシーンとともに、僕に大きなショックを与えました。

最後に現れる特別なエイリアンは、物語上の扱い次第ではこの映画のテーマをひっくり返してしまうような、強力な意味を持った存在でした。今、ハリウッドでは、「エイリアン5」の制作の話が持ち上がっているそうですが、このエイリアン以上に存在に意味のあるエイリアンは、そう簡単には作れないでしょう。また、そのデザインも、「人類の敵エイリアン」としては、究極のものだったと思えます。

ホラー映画として紹介されることの多いシリーズ作品だと思うのですが、見た後の感想は、とにかく良質のSF映画をみたなあというものでした。

ところで、僕は、この映画の最後に使われているあるシュチュエーションにとても弱いのです。これが出て来ると、映画だろうと小説だろうとマンガだろうと涙が出てきちゃうんです。セーラームーンR劇場版でも、笹本裕一の小説「星のパイロット」でも泣いちゃいました。きっと、幼児期になにかトラウマでもあるんでしょうね。


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