「ファイブスター物語」(以下FSS)は、SFロボットマンガです。

このマンガの一番素晴らしいところは、現在まだ月刊ニュータイプ誌上でばりばり連載されていることです。
これだけスケールが大きく、細部まで考え抜かれた設定、古今東西の名作と比べてもなんら見劣りしないエピソード群、魅力的なたくさんのキャラクター、抜群のデザインセンス(作者はデザイナーでもある)に裏打ちされたロボットや登場人物たちの衣装、などなどが詰まった作品が、現在進行形で読めてしまうという幸福。
今、この時代に日本に生んでくれたことを両親に感謝してしまいます。
多くの優れた要素は作品内で混ざり合い、物語のグレードを引き上げます。「シュミの悪いMH(モーターヘッド。FSSに登場する戦闘用ロボットの名前)」と悪口を言われるシーンには趣味の悪いものが、「なんと美しいMHだ」と溜息をつくシーンには、美しいMHがちゃんと出てきて、読者はマンガのキャラクターと思いを共にすることが出来ます。
それは、キャラクターのつけているアクセサリーや服のブランドの設定から、MHの駆動パーツのそれぞれの機能や発する音に関する設定、国家群の成り立ち、舞台になる街の民俗、風俗、意識、モラル、流行、美意識、価値観に至るまでしっかりと用意され、しかもそれは華やかに活躍する「騎士」や「ファティマ」達の表の物語によりリアリティーを出すためにしか使われないという徹底ぶりと繋がって、ただひたすら僕らに良質のエンタテインメントを与えてくれます。
あえて言うならば、FSSは「過剰」なのです。コミックの一コマ一コマに情報が満ち溢れ、ケレン味たっぷりのアクションや、身を切るような片思いや、燃え上がる怒りの炎のストーリーなどを繊細な編み物のように紡ぎだします。

コミックス第一巻を開くと、まずはフルカラーの登場キャラクター紹介、そして細い線でびっしりと書き込まれたMHの紹介があります。
そこには、それぞれの説明というには余りにも不確かな、未来への予言めいた紹介文が丁寧につけられていて、このマンガが単なるアクションマンガではなく、壮大な大河物語であることを、まず読者に感じさせます。
物語の始まりは、嵐の吹き荒れる中、岩山にへばりつくように建っている山小屋の中での、少年と老人の会話です。
山の向こうから聞こえてくる金属音について、少年は老人にたずねます。「あれはMHの音だよ」「もう2週間も前に戦争は終わったんでしょ?」「目の前の敵を倒すまで、騎士の戦いは終わらないのさ」そして飛来する、巨大なMHの盾。老人が語っていたのは、御伽噺ではなく、現実でした。

シーンは山の向こう、巨大な2つのかげ。繊細なラインを持った白いMHが無骨な黒いMHと大胆な構図でにらみ合っています。剣技が飛び交い、戦いの中で騎士をサポートしている「ファティマ」の存在が説明されます。巨大な戦闘力を持ったMHを、騎士とともにコントロールする少女型生体コンピューター。戦いはいつしか終わり、勝った騎士と負けた騎士の誇り高い対面、そして人間と何一つ変らぬ感情を見せるお互いのファティマの対比が描かれます。
この戦いの終了は、ある長い戦争の終結でもありました。
やっと登場した白く長い髪を持つ主人公らしき青年が、この戦争で彼が失った多くの大切な人々の名前をつぶやきます。そして、モノローグでこのエピソードはFSSのエンド・エピソードであることが語られ、物語は、それ以前の時代、多くのヒーロー、ヒロインが輝いていた時代を語りはじめるのです。

このあと第一巻で語られているのは、ある少女の恋が成就するとてもHAPPYな物語です。
ただ、その少女は最強の力を持つファティマで、恋の相手は何やらいわくありげな最高の腕を持つMH整備士。「ファティマは騎士でない者に嫁いではならない」という法律のあるこの世界では、禁断の恋である上に、性能の良いファティマはMH同様最高の軍事兵器としても扱われるわけで、FSSの舞台であるジョーカー星団中で話題になるような、大逃走劇が繰り広げられます。
しかし、その逃走劇も幕引きは一瞬。我々の住む地球よりも数段科学の進んでいるジョーカー星団での最強兵器、MHが登場して一気に話を終わらせてくれます。
ここがまたこの作品の独特な部分で、FSSの中で、MHの持つ圧倒的な戦闘能力は、戦争だけでなく、そのストーリーをも一瞬で終わらせる力を持っているのです。作品内だけではなく、作品の流れに対してもMHは斧をふるうのです。こういった「メタ」の視点が、より一層このマンガを楽しむためのカギになっています。

「難しい」とこの作品がよく言われてしまうのは、その世界観がとても綿密に構成されているからです。MHがあって、ファティマがいて、超人的な能力を持った騎士がいるこの世界は、読みながら学ばねばならないことは多いですが、その空気が掴めてきた時の見返りもたっぷりあります。
ストーリーは、決して難しかったり堅苦しかったりするものではありません。アレンジは効いていても、常に物語の王道を周到しています。
もうじき第一巻は英語訳されるそうですが、せっかく日本語が使えて、現在出ている9巻までに加えて現在進行中の連載まで読めるのですから、この幸運を甘受しようではありませんか。

次回以降の更新では、この果てしなく面白いマンガを生み出している永野護という天才についての話を中心に進めていきたいと思います。





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