このコーナーでは、電気を使うTVゲームやアーケードゲームも、道具や頭だけを使うボードゲームやカードゲームも、それにちょっとした思考ゲームなんかも、「ゲーム」とカテゴライズされる全てのものを、いろいろ扱っていきたいと思っています。
とはいうものの、日常触れる機会から考えてみて、おそらくはTVゲームに関しての更新が多くなると思います。
以前、雑誌で「ゲームは誰のものか」ということを語っている人がいました。マリーガルという、ゲームのプロデュース業をする会社の香山さんという方だったと思いますが、香山さん曰く、「ゲームは、製作者の物である」とのことでした。(ゲーム制作というのは多人数による分担作業の極みとでも言うべき側面がありますから、この場合、正確には「製作者グループ」というべきでしょうね。)
友人から聞いた話ですが、一般に、「映画は監督の物」、「舞台は演出家の物」、「TVドラマは脚本家の物」と言われているそうです。なるほど、なかなか深みのある、納得出来る話です。しかし、それらのものに比べて、ゲームはどうでしょう?
監督は、映画の「作り」に一番影響を与える立場です。舞台での演出家も、TVドラマでの脚本家も、そういう立場であるといえます。
たしかに、ゲームの製作者というのも、そういう立場にあると言えます。しかしながら、ゲームには、映画や舞台やTVドラマとは峻別されるべき質的な特徴があります。それは、経済的な問題を除いても、スタンドアローンでは作品として機能しないということです。
フィルムの中にある限り、観客がその時存在しなくても、映画は映画です。難しい演劇論はひとまず横において、一般的には役者が演じている限り舞台ですし、TVでかかっている限り、ドラマはTVドラマであり続けます。しかし、ゲームは、遊び手がいなくてはゲームとして機能しません。
TVゲーム機にソフトを入れて、電源を付けても、タイトルや製作者の名前、そして内容のダイジェスト等が画面に映るだけです。カードゲームは、同じサイズのカードがそこに積み上げられているだけでは、紙切れでしかありません。
スタートボタンを押し、カードをシャッフルするプレイヤーの意志が介在しなければ、製作者がどれほど趣向を凝らしたところで、それはゲームとして機能しないのです。
ちょっと考察・「ゲームは誰のものか2」
(9月24日)
優れたゲーム製作者は、その辺はちゃんと解っていて、僕らにスタートボタンを押す気を起こさせるところから、ゲーム作りをしています。
もっと優れた製作者は、その点を放棄して、ゲームを、僕らが遊ぶに任せます。
ゲームは、インターネットが誕生するはるか以前から、製作者とプレイヤーの双方向性メディアでもありました。
ゲームは、半分以上は製作者の物であるのは確かです。しかし、確実に何割かは僕らユーザーの物であるはずです。
そして、ゲームは、究極的に、「面白いもののイデア」を目指しています。
いつの日か、ゲームが「面白いもののイデア」にたどり着くことを信じて、僕は今目の前に在るゲームたちに、エールを送っていこうと思うのです。僕も、ゲームという素晴らしいエンタテインメントの最先端に、プレイヤーとして参加しているのですから。
・ウィザードリィ(FC)
(99年9月19日)
・レッドアラーム(VB)
(99年9月26日)
・スターフォックス(SFC)
(99年11月6日)
・「とんびのシェンムー最速レポート(某会議室からの転載)」(DC)
(99年12月25日)
・「CAPCOMvsSNK」(DC)
(00年9月6日)
・ソニックアドベンチャー(DC)
・ナイツ into dreams..(SS)
・俺の屍を超えてゆけ(PS)
・電脳戦記バーチャロン(AC)
・マジック・ザ・ギャザリング(カードゲーム)
・ロケットガール(TRPG)
・囲碁(ボードゲーム)
・麻雀(テーブルゲーム)
・鬼ごっこ(・・・?)
以下、いろいろ続く予定。
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