何度でも言います。すべてはここから始まったんです。
そして、今なお最高峰はここにあるのです。

プレイヤーは、6人以下のキャラクターからなるパーティを作って、ダンジョンに潜ります。パーティのメンバーは、それぞれの職業の長所を生かし、欠点を補い合うように組み合わせる必要があります。洞窟に入ったパーティが、一個の戦闘集団として有機的に機能し、ある程度以上の戦闘能力を発揮出来なければ、簡単にダンジョンの魔物にその冒険者達は殺傷されてしまうからです。
死んだパーティの遺体は、そのままダンジョン内に放置され、別のパーティーを組んで救出に行かなければ、未来永劫そのままです。
やっと遺体を発見しても、装備品や金品はほとんどが奪われ、死体の中には魔物に燃やされて灰化しているものや、食い尽くされて一欠けらの肉片すらも残っていないものがあります。何も残っていなかった場合は、復活は不可能です。しかし、灰や、ただの死体の状態でキャラクターが残っていれば、まだチャンスはあります。
遺体を街まで持ち帰り、寺院にて法外な御布施を払うことで、復活の”機会”は与えられます。運が良ければ、キャラクターはほんの僅かな能力の損失だけを代償に蘇り、再び冒険に向かうことができます。運悪く復活に失敗して、魔法のエネルギーに死体が耐えられず、灰化してしまったとしても、更に高額の御布施を払う財力があれば、もう一度チャンスはあります。そこからでも復活出来るようなレベルの高い復活呪文も、寺院は扱っているのです。洞窟内で灰化していたキャラクターは、はじめからこの呪文に頼ることになります。
ちなみに、その呪文の名前は「カドルト」といいます。ウィザードリィの世界の、最高神の名前の一つです。
寺院の僧侶も所詮人の子。そして、残念ながら人の力は完璧には程遠いもの。「カドルト」も失敗することはあります。というか、失敗する事の方が多いです。こうなれば、もうおしまいです。装備していたアイテムとともに跡形も無く消え去ったそのキャラクターのデータは、ゲーム中から完全に抹消され、僕らプレイヤーの記憶の中にのみその雄姿を留めることとなってしまいます。
この状態を、「消失(ロスト)」といいます。
そしてこのゲームの世界では、宿屋に泊ったり転職をしたりする度に、キャラクターは少しづつ歳をとっていき、歳の高くなったキャラクターはだんだんと能力値が下がりはじめ、いつか必ず「消失」の状態に至ります。
また、このゲームには、本質的には終わりがありません。ダンジョンの一番奥にはボス・モンスターの魔道師がいますが、そいつを倒しても冒険は続きます。ダンジョンに住む魔物は、全てが確率によってコントロールされているため、いまだ誰も見た事のないモンスターがどこかに居るかもしれないからです。いまだ誰も拾ったことのないアイテムが、どこかに眠っているかもしれないからです。
キャラクターはほぼ無限に鍛えることが可能ですが、一撃でこちらを殺す能力を持った「忍者」や、落ちている宝箱に仕掛けられた罠等によって、レベルが1000を越えたようなキャラクターでもたやすく死んでしまうことがあります。

ダンジョンに潜り続ける限り、果てしなく続く緊張。強くなっていく自分のパーティーを見守る楽しさ。出現率100万分の1と言われるアイテムを手に入れた時の恍惚感。いずれ訪れる「消失」への恐怖。
これらの要素が組み込まれた至上のゲームが、すでに20年前、コンピューターがコンピューターらしく成り始めた最初期の時点で、すでに僕らの前に提示されていたという奇跡。
そしてそれがアメリカ産のコンピューターから日本の小型ゲームマシンに移植され、更なる操作性の向上を持って生まれ変わったという僥倖。

今でも僕はこのゲームでよく遊びます。すでにバッテリーバックアップも切れ、カートリッジの中にはいつもまっさらな迷宮があるだけですが、その奥に潜むデジタルの魔物達と、彼らとの戦いの中で生まれた僕の歴代のパーティ達の幾多のドラマが、僕を何度でも呼び寄せるのです。


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