このゲームのCMがTVで流れていたのは、僕が高校生の時でした。それを初めて見た僕の頭の中には、確実に、ゲームが未来へ進んだ足音が響いたのでした。
画面の奥から手前へ向かって迫って来る背景と、プレイヤーにはお尻しか向けない自機。画面脇や、時には手前から迫って来る敵。遥か遠くに位置する、自機の数十倍の大きさの敵宇宙ステーションとの死闘。僕の前に初めて明確に姿を表した、ポリゴンゲームでした。
それまでの、TVゲームの中での敵は、「巨大である」ことが苦手でした。どんなに大きく画面に描いても、TVのサイズの制約からは逃れられませんし、画面からはみ出すデザインでは、その大きさが一目で分かりづらく、「巨大なもの」のプレッシャーが表しきれません。
しかし、ポリゴンで描かれた敵は、遠くに配置したり、逆に自キャラを小さくする事で、その巨大さを画面内でアピールする事が出来ます。ポリゴンは、TVゲームの世界に存在する数多くの「制約」の中から、「大きさ」の制約を取り払ったのです。

スターフォックスの一面のボスである浮遊戦艦(名前忘れました)は、自キャラがとあるポイントまで進むと、自キャラの後ろから登場します。すっぽりと自キャラが暗い影に包まれ、頭上を巨大なモノがゆっくりと追い抜いていき、遥か前方に行ってから、回転して向きを変えながら自キャラと同じ高さまで降りて来るのです。これに痺れました。巨大な、圧倒的なプレッシャーのある敵と、これから一対一で戦うのだという高揚感が僕を包み込みました。
さて、このゲームは並の名作ではありません。家庭用ゲーム機としてはほとんど初のポリゴンゲームだったにもかかわらず、それ以降、他に多くのポリゴンゲームが開発されながらも、このスターフォックスが作り上げていたポリゴンである事を生かしたゲーム世界に比肩しうるものは、ほとんどありません。
これから一対一で敵ボスと戦おうとした僕のところに、友軍機からの通信が入るのです。「ケロケロ、ケロケロ、フォックス、調子はどうだ」自分は傭兵隊長のフォックスです。通信をくれたのは、共に同じ戦場を飛んでいるカエル人間。この、ポリゴンで作られた仮想世界、巨大な敵、雨のように降り注ぐ敵弾。その中を、共に駆け抜けている戦友がいるのです。目の前の巨大な敵と、自分は一対一で戦うのではなかったのです。

ポリゴン技術によって「空間」が用意され、そこに「自分」と、「敵」が配置されました。そして、このゲームは、その空間内に「仲間」も用意してくれたのです。もちろん、この仲間は、ゲーム中に何度も画面に現れて自分を助けてくれますし、反対に敵に追われている仲間を自分が助ける事もありました。
2Dのゲームから解き放たれ、空間から自由になった僕らが、その自由な世界で何を欲したのか。そこにいたのは、敵、友、そして敵でも味方でもない、建造物や、地上や宇宙の生物達でした。
哲学の命題のような問いかけに、このゲームは、こういう素晴らしい答えを出して、僕らに与えてくれたのでした。

このゲーム、実はあまり売れなかったと聞きます。曰く、「自機が格好悪い」「画面がスローで格好悪い」。それがどうしました。確かに、TVCMでは実際のゲーム画面を早回しにした映像を使っていたそうですが(ここ、笑うところ)、それが、このゲームの特質である「自由さ」「面白さ」そして「新しさ」を損なうものでは無かったはずです。
僕はもう、このゲームのCMを見て、その日のうちに馴染みの玩具屋さんに予約の電話を入れていました。発売日に、家で一番大きなTVにSFC(スーパーファミコン)を繋ぎ、その「新しさ」をむさぼるように堪能しました。
僕はこの時の感動を追体験したくて、以前にこのコーナーで取り上げた「レッドアラーム」や、次回以降の更新で取り上げる予定の「電脳戦記バーチャロン」をやったんだと思います。


僕は、「コンピューターゲーム」というモノの定義として、「現実世界の物理法則にとらわれない、独自のルールを持った、新世界がコンピューターの中に構築されているもの」という、独自のものを持っています。
その定義に従いつつ、さらに「優しさ」や「物語」や「優れた思想」が盛り込まれた、「スターフォックス」のようなゲームを、僕は良質なゲームだと考えるのです。


back