現時点で、インターネットを使ってコミュニケーションをとろうとする場合、そのほとんどは文字を使ったものになります。
画像付きのインターネットTVやマイクを使った通信は、まだそんなに一般化していませんし、文字による意志の疎通というのは、多少の不自由があろうともそこそこに高度なコミュニケーションも可能にするため、今日多くの人にそう問題無く受け入れられています。
すでに人類は手紙という、文字を使ったコミュニケーションを昔から使っていましたので、簡単に受け入れられたという側面もあるでしょう。

「文字」というのは我々が使っている道具の名前ですが、「言葉」というのは、「人から発せられた、何らかの意志のこもったもの」であります。
たとえば、目の前にいる人のちょっとした含み笑いの仕種なんかも、僕は「言葉」と考えてしまっていいと思っています。(こういうものを指して「非言語コミュニケーション」なんて呼ぶことがありますが、今回はこの名前は適当ではありません。もう少し大きな問題を扱っているからです。)

さて、我々はインターネットで、文字を使って言葉のやり取りをしているわけですが、これに関して、イロイロ思い付いたので、ここでお話したいと思います。
掲示板なんかに書き込む時に、ある文章のほんの一個所の助詞が間違っているだけで、読んだ人をすごく不快にさせてしまうような意味に変わってしまうことって、まれにありますよね。自分の打った文章でも、接続詞が間違ってることに気が付いたりして、アップする直前に慌てて書き直す、なんてことがあると思います。
そんな時に、ふと手を止めて考えてみたんです。これを、修正しないままでアップしたらどうなるだろうかって。それどころか、その気になれば文章に使われている文字なんてどうにでも書き換えることが出来ますから、もっと、ヘンなことを書いてアップしてみたらどうなるだろうって。
そもそも最初にその文章をキーボードで入力したのは、なにか伝えたい事があったからなわけですが、自分の「伝えたい」という意志に関係無く、しょうも無い文章をアップしてしまうことは、労なく簡単に出来るわけです。
自分の中に、どれほど伝えたい意志があったとしても、画面上に表示される文字に、その意志を伝える「言葉」としての機能が備わっていないと、意志は向こうには伝わらないわけです。

実際のチャットなどでは、ちょっとした打ち間違い程度では問題はなかなか発生しません。人には、言葉の流れ、「文脈」というものを読み取る力があるからです。文脈に沿うように、相手の発言の意思を汲みとろうと受け手の気持ちが働きます。
これは、文字を通じて言葉のやり取りをし、お互いに意思の疎通がなされているから出来るわけです。これが、直接人に会っている状態では、お互いの表情や、身振り手振り、会話の間などの「言葉」によってさらに補完されます。(「間」は、ネットでも使われることが有りますが、通信状況の問題や急の用事などが絡んだ時にそれが上手く伝わらないため、あまり有効な「言葉」としては機能しません。)
ある程度「言葉」が限定されてしまっているネットという状況下で、お互いの意思を連続的に汲み取ろうとすると、これは、お互いに心を開き合わないといけません。ここに、不思議な出来事がおこります。面と向かっていてもなかなか人の意思というのは分からないものですが、ネット知り合った人というのは、妙に仲良くなれます。これは、お互いがすでに相手に心を開いているからでは無いでしょうか?
よく、新聞などでは「インターネットでの希薄な人間関係」なんて言葉を見ますが、そんな希薄なんて言われるものに心を捉えられるというのも変な話でしょう。お互いに、「言葉」が少ない状況下で、より上手に意志の疎通をするために、お互いの心を開き合える、それがインターネットの人間関係なんだと思うんです。掲示板なんかに初めて書き込んだ時や、チャットに初めて参加した時の楽しさというのは、自分の心が開いていく気持ちよさなんだと思うんです。
だから、インターネットで傷つけられると、傷は簡単に心の深いところに届いてしまうのではないでしょうか。ただ、さっき述べたように「文字」と「意志」は直接繋がってはいませんから、その人がどんなに優しい考えでいたとしても、書き込まれる文章がひどく荒々しいものになってしまうこともありえます。だからこそ、人を傷付けてしまわないように、書き込みには細心の注意を払うことが必要ですが、文章を読む時に、自分が傷ついてしまいそうだったら、あえて相手の意志を読もうとせず、心を閉ざすことも必要です。
あなたの心が深いところまで傷つかなければ、あなたはまた、優しい言葉を人にかけてあげることが出来るはずだからです。

インターネットは、人がお互いをより理解しあえる素晴らしい道具であり、人類が獲得した新たな能力なんだと思います。人は古来より、様々な方法で自分の「言葉」を他の人に伝えてきました。新しいものを怖がり、「悪いものだ」と騒ぎ立てるのは人間の癖ですが、これを上手く使えない人というのは、じきに人類失格になってしまうかもしれませんね。



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