今年は大雨や地震、台風など、大きな災害のニュースが多く、連日TVではその報道がなされています。
このHPを覗いてみえる方々の中にも、なにか被害を受けたという方がいらっしゃるかもしれません。そう考えると、あなたが今、この文章を読んで下さっているということを、誰かに感謝したくなります。
TV画面にうつる、倒壊した建物や決壊した川の濁流、竜巻に転がされた車、そして地滑りを起こした山肌などを見るにつけて、自然の力の恐ろしさをあらためて感じます。
人は昔から、荒ぶる自然と折り合いをつけることで生きてきました。現代の僕らは、科学の力で何でも出来るような気になっていますが、ひとたび地球全体規模の活発な火山活動でも起ころうものなら、なす術も無く人は滅びの危機に立たされることでしょう。
これは、環境保護の問題なんてもの以前の、私達を取り巻く現実の話です。
基本的に、人は謙虚でいなければならないはずです。しかしながら、そう謙虚で居続けることも出来ないのが人間です。
数日前、災害報道の中で、僕も含めた誰もが陥ってしまいそうな、こんなエピソードに出会いました。

TVでは、高速道路を飲み込んで破壊していく激しい地滑りの瞬間が、生々しく放送されていました。
翌日の新聞でも、その場面はでかでかと取り上げられ、そこには数人の有識者のコメントが添えられていました。曰く、この土砂災害は、樹木の伐採、植林等の丁寧な山の整備を怠ったために起こった人災でもある、と。
この「有識者の発言」は、一見、奢りたかぶる人類に警鐘を鳴らす正しい意見のように思えますが、実は、事実から外れたものでした。この発言こそが、人が謙虚でない、今の風潮の象徴なのです。
どういう事かというと、地滑りの時にその山肌に生えていた樹木は、よく見ると半分以上が、広葉樹だったのです。人の手によって植林された山の場合、植えられるのは普通は針葉樹です。針葉樹は根をあまり深く張らないので、丁寧な伐採作業を行って山を整備しておかないと、山の保水力を落としてしまうことになるわけですが、広葉樹が多い山というのは、もともと人の手があまり入っていない山であると考えられます。
そして、あの地滑りの映像で本当に注意すべきだったのは、えぐれた山肌の部分です。普通、山の土というのは表面を数十センチほどの厚さで覆っていて、その下には、大きな岩のごろごろしている層があるものなんです。その岩のところまでしっかりと根を張ることで、木々は土と自分のからだを支えます。ところが、地滑りをした山は、えぐれた下の部分もほとんど土の層でした。ここから推測出来るのは、地滑りの直前、この山の表面の土は事前の大雨で、泥のようになった層を作っていたのではないかということです。土砂止めの排水機構が上手く機能せず、水分をたっぷり含んで重い一つの塊になっていた土が、高速道路脇の土砂止めの耐圧許容量を越え、道を破壊してしまったのではないでしょうか。
そうなると、今回の地滑りの人的な原因は、排水機構の不備という、純粋に技術的な問題ということになります。土砂止めの排水機構というのは、簡単に石や土が詰まってしまってなかなか有効に機能しないものなんです。
画面をよく見れば、専門家ならばこういう事は読み取れたはずです。しかし、どういう意図か、原因の指摘が微妙にずらされ、山の管理、森林伐採のやり方に問題があったのだとされてしまいました。

ここからは僕の想像ですが、情報の送り手は、問題の原因を樹木の方向に転換することで、情報の受け手に、これも環境問題の一つであると思わせたかったのではないでしょうか。もしくは、送り手自身が、事を環境問題の一環であると思いたかったのかもしれません。
そうすることで、人は「環境に気を使っている人」を演じることができます。しかしながら、事実をよく見もせず、不勉強のままに「自然を守れ」と叫ぶことが、環境保護につながるのでしょうか?現場の人間は、目の前にある事実から目を逸らして、自分の思いたいように事を解釈したりはしません。僕の父は山の専門家なので、この地滑りが何を原因としたものなのかをすぐに見抜き、上記のように僕に説明してくれました。

自然の山というのは、僕らが幼いころに触れたような砂場の山とはまったく違うものです。そういった知識が無いということを自覚せずに、自分の狭い了見で誰かを(この場合は地元の林業家か?)悪者に仕立て上げ、それを指摘することで自分はさも善人であろうとする。これに類することが、世の中には多くありすぎる気がします。専門家ですら、面白いことを言おうとするあまり、正確でない発言をすることがあります。
現実を、思い込みでなくありのままに観察し、冷静に分析し、自分のわからないことはわからないと素直に認めて、自分の出来る範囲のことをする。
そういった謙虚さが、本当の意味で自然を守り、僕らの生活を守ることに繋がるはずなんです。

これは、マスコミやインターネット等のメディアでの発言だけでなく、僕らのまわりの日常から、気をつけなければならないことだと、常に自分を振り返ろうと思いました。


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