戦争に勝ちました。激しい消耗戦の末であっても、戦闘行為が全く無い無血開城だったとしても、勝ちは勝ちです。ちなみに、最上の勝ち方は、相手がそれが戦争であったことに気が付かないままに、勝つ事です。近代の、戦闘行為を伴わない情報戦なんかでは、よくこういう事があります。負けた側は、それが戦争であったことに気が付いていないのです。

勝った直後から、今度は戦後処理という段階が始まります。まず気を付けなければならないのは、敵を完全に死滅させたので無い限りは、勝ったからといって相手に対して好きなことが出来るわけでは無いということです。
相手は負けたわけですが、生きている限り、戦後も生き続けようとしますし、いろいろな要求も出してきますし、不平不満も言います。もちろん、勝った側にはそれらを総て跳ね除ける「権利」はありますが、ただ勝者の論理を押し付けるのは、あまり上手い統治法とは言えません。不満を溜め込んだ敗者は、いつかまた軍備を整えて、戦争をしようとするかもしれません。そうならないように、相手が再び戦争を行えないように仕組みを整えるか、いつか戦争を吹っかけて来ても絶対にこちらが勝てるように仕掛けを打っておく必要があります。
つまり戦後処理というのは、次の戦争に勝つための準備の段階なのです。戦争の終わりは、次の戦争の始まりなのです。

上手な統治の話ですが、まず、負けた側からこちらに対する敵対心を取り除くことからはじまります。なにかこちらの圧倒的な物を見せるという方法でもいいですし、優しく丁寧に相手を扱うのでもいいでしょう。他者の警戒を解くというのはなかなかに難しいことですが、戦争を仕掛ける前からこの段階のことを計算しておくと、事がスムーズに運べるでしょう。例えば、こちらは豊かで幸せであると戦前からアピールしておく。または、もともと敵意は無く、友好的ですよというポーズをとっておく。さらに、相手がそれが戦争であったことに気が付いていないようならば、この段階はかなり上手く行くはずです。

警戒心を解いたら、向こうに分かり易い言葉で、「教育」をはじめます。優しく優しく、相手の牙を丸めていきます。最終的に、こちらを味方だと思わせることが出来たら、成功と言えるでしょう。この段階のコツは、相手に入る情報を制限し、考え方や感情を操作することです。先の先まで見据えて、ゆくゆくは自分の側に最大の理が出るように、かといってうわべは向こうを思いやっているように見せながら、教育を施します。この作業には極端な二面性が必要なことが多いので、個人レベルでこの作業を行う場合、大変な精神疲労を覚悟して下さい。国家レベルならば、組織の力で行えるので、それほどの精神負担は無いでしょう。

この段階で注意すべき所は、「教育」が完了していない複数の人間に、組織や閥を作らせてはならないということです。彼らは、内部で盛り上がって、こちらの思いも寄らないような方法や考えで、厄介な行動を起こしはじめるかもしれません。また、お互いで情報交換や意見交換をしているうちに、自分達がされている偏った教育に気が付くかもしれません。かといって、特定人物の隔離や、露骨な情報規制は、こちらに対する警戒心をおこさせてしまうので、やらない方がよいでしょう。一番良いのは、彼らが自分の意志で選んでいるつもりで手に取る情報が、すでにこちらの教育による選択基準で選んだものになっている、というようにすることです。そのためには、戦後処理の一番初めに、相手の趣味や興味を調査し、それに沿った「教育」を検討する必要があります。これは、大変骨が折れる作業ですが、労力を払う価値のあることです。

「戦後処理」を上手に行えば、相手はもう、こちらに敵意を持つことはありません。ある程度以上に教育が済んだ相手に対しては、それ以降、常に戦わずして勝つ事が出来るようになります。このように戦闘がおこらない状態を、人は「平和」と呼びます。(本当は「平和と戦争」というのは対概念では無く、戦闘無き戦争という状況は平和な時代にも常にあるのですが)
人類の普遍の夢が「恒久平和」であるならば、今の時代の人類がなし得る方法としては、この状態がもっともそれに近いものであると言えるでしょう。


昨日、今日と、僕は、随分おぞましいものを書いている気がします。一応、戦争というものを効率よくこなすための「技術」について書いているつもりなので、思想とか、宗教といった話には触れませんでした。つまり、「ハサミの使い方」みたいな話をしているつもりなんですが、どうにも、自分の中に奇妙な感情が湧いてきてしまいます。
今回、最近自分の身の回りに起こっていることや、この国の歴史に取材をしてこのページを書いたんですが、この「雑記15・16」を通して、僕は、地球上から戦争というものが無くならない理由が、ぼんやりと見えてきた気がします。


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