何かを学ぶというのは、とても楽しい事です。自分の見識や、能力が上がっていくのは、間違いなく楽しい事です。
だから、学んでも自分の見識や能力が上がっていると思えない場合は、楽しいと思えないのも当然でしょう。勉強が嫌いだという人がいたら、その人が得意な事を聞いてみて、それについての勉強をしてもらえば、自分の見識や能力がどう上がっているのかとか、進歩していないにしてもその理由なんかが理解しやすいですから、やっぱりきっと勉強が楽しいという事に気が付いてくれるはずです。

勉強をすると何が楽しいのか、という事について、孔子はこう述べています。
「勉強をして、時々その身につけた事を思い出してみる。なんとも楽しい」
有名な『論語』の最初の一文です。学んだ事、身につけた事というのは、時々思い返してみて、ニヤニヤするのが正しい楽しみ方であるというわけです。
と、いうことは、「思い返す事が出来ないものは、身についたとは言えない」ということに、なりますよね?
今日の主題が何なのかといいますと、僕が、まだまだ何も勉強が身についていないという話なんです。毎日のんびりと暮らし、とても楽しい事やちょっと辛い事なんかを繰り返す中で、少し前まで自分が信条にしていたはずの大切な人生訓みたいなものを、簡単に忘れてしまうなあ、ということなんです。

今日、このページをあちこち見返しておりましたら、我ながら、なかなか良い事が述べられている個所があるではありませんか。
そう気取りもせずに、そんなに珍しくない言葉を使って、日常の事柄なんかを見ながら、少しは教訓めいた事なんかを、たんたんと述べている、そこそこに読みやすい文章がちょこちょこと有って、自分で感心してしまいました。
もともと僕はとても物忘れが激しいのですが、自分の書いたものさえもすっかり忘れていました。自分の身についていないものをこうして述べたところで、人に届くはずもありません。
これも『論語』の一節ですが、孔子の高弟の一人が毎日自分の行いを省みる事の一つとして、自分がよく知りもしないものを人に教えなかったか、という事を上げています。そのとおり、僕は自分の身についていないものを人に語ろうとしていたのです。これは、大いに恥ずべき事です。

だからといってもちろん、恥ずかしいのが嫌だから何もしない、なんていうのは、まさに愚です。こうして間違い、恥を掻くからこそ、僕は進歩し、物事を学ぶ事が出来るわけです。
このHPをはじめたお陰で、こうして自分が今どこに立っているのかという事を、日々確認する事が出来ています。道を逸れそうになっても、自分の辿ってきたものを見返して戻る事が出来るわけです。このHPを初めてよかった。心からそう思います。日々増えていくこのHPの内容を見ていくのは、とても楽しい事です。
これからも、記憶力の悪い僕のメモリーの一部として、このHPを更新していこうと思います。


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