11月26日

 会場であるパシフィコ横浜の最寄駅に着いた段階で、すでに人が溢れかえっていました。
 人の波に乗って道なりに歩いていくと、駅から出てすぐのところに、はやくも

「今から並んでも入場出来ないかもしれません-ROBODEX2000」

というプラカードを掲げた、すまなそうな表情のお兄さんがいました。
 かまうこっちゃねえ、突き進め! と入り口近くまで行ったのですが、そこには無情にも「当日券は売り切れ」の看板がありました。

 無念ですが、そこで歯噛みしていたところで何も事態は好転しません。
 とりあえず、まずは昨日のうちに上野公園の催し事を見ておけてよかったと思いました。それは、ロボット展と同じくらいに、普段見ることが叶わないものでした。
 よく考えたら、いつもは新幹線で素通りするだけの横浜です。中華街とまでは行かなくても、せめてそこらの面白そうなものを見て歩こうということになりました。

 そこでまたいきなりの予定変更。
 もっとあちこちうろつこうと思ったのですが、すぐ近くで行われていた大道芸人さんのショウに魅入ってしまいます。
 はじめはちょっと立ち見をしていただけだったんですが、何時の間にか階段に座り込んでしまい、最後には拍手と歓声で、そのイギリスからやってきたと自称するジャグラーさんの芸に引き込まれておりました。
 格闘技観戦をしていても思うのですが、やっぱりライブというのは面白いです。
 目の前で、火のついたたいまつのお手玉や、2メートルもの高さの一輪車、スティック、ボール、チェーンソーの異種お手玉、火食い、などなどを見せてもらえると、寒空も気にせずに熱く声援を送ってしまいます。
 お客を整理してきっちり自分の芸を見せ、子供たちの心を掴み、大人たちを感心させて、最後には大きな袋にいっぱいにおひねりを入れさせる、プロの技を拝見することが出来ました。
 もちろん僕も、千円札一枚、袋に入れました。
 今思うと、途中で手伝ってくれる子供を募って、芸が上手く行った後にお駄賃として千円札をよく見えるように振りかざしてからあげていましたが、あれは僕ら観客に「千円札」を認識させることで、基本的な見料の相場を示していたのかもしれません。まあ、適正価格ですね。
 気がつけば、随分時間が経っていたのでした。

 その後、また秋葉原まで戻ってココ一番屋でカレーを食べたり、ラジカンで妖怪グッズを買ったりいろいろありましたが、その日のうちに新幹線で名古屋へ帰ったのでした。


11月25日

 前夜、静岡の露天風呂付き高級ホテルで一泊と洒落こみましたが、この日の晩は3900円のカプセルホテル泊が内定しておりました。
 朝食のバイキングは、好きにご飯やパンやおかずを選べる他に、卵と魚をコックさんが目の前で調理してくれるという豪勢なもので、それを朝からお腹いっぱい楽しんだ後、僕は二度目の露天風呂を楽しみました。
 ほんのりと雲が出ていて、うたい文句の「富士山まで一望」は叶いませんでしたが、目の前に広がる太平洋の大海原、青い空、長時間浸かってものぼせない適温の温泉。僕以外にほとんど利用者が無く、ぷかーっと浮いて湯と地球を満喫します。ああ、水平線だ。
 このとき僕は思いました。全世界の歴史を見渡しても、今の僕くらいに自分の努力によらずに贅沢を満喫している人間は、いないんじゃなかろうかと。
 のぼせてきたら、湯から上がって朝の潮風を受けます。そしてまた湯に沈みます。
 そして飽きる前に湯から上がって、ちょっと後ろ髪を引かれながらも露天風呂を後にするのが、贅沢の完成です。
 置いてあった無料のオレンジジュースをぐいっと一杯。さあ、東京に出発です。

 同じく東京へ帰る叔父と新幹線で話しこみます。
 日本中、場合によっては世界中を旅する仕事をしていて、話が面白いので有名な叔父です。
 仕事の合間を縫うようにして強行日程で行ってきたシドニーオリンピックの話をいろいろ聞かせてもらいます。
 シドニーに生息する身長2mのオカマさんとか、そんな話を伺っているうちに列車はすぐに東京へ着きました。

 上野公園へ。
 今回の上京も、元はと言えば、急に開催されることを知ったロボデックス2000を見るために急遽組んだ日程だったわけですが、この上野公園訪問はさらに急日程、僕の興味のある催しが行われているのを知ったのが出発二日前で、見に行くのを決断したのは出発してから、前日の24日でした。
 平成館とやら名前のついた四角い建物で行われていた「中国国宝展」、これです。
 入るとすぐに、全般にまろやかなラインで形作られた仏像がだだーっと並んでいます。1000年も前にそれを作った人々の情熱と執念が伝わってきます。
 魅力的な展示物は多かったのですが、人が多かったのと時間が無かったのを理由に、ほとんど駆け足で通りぬけ、いくつかのお目当てブツにだけじっくりと時間をかけて観賞しまして、小一時間ほどで新石器時代から中世あたりまでの中国の文化遺産を、ほんのさわりだけ楽しんだのでした。その後、間抜けなことに時間が余ってしまって、昨夜に読みかけた本を平成館の休憩コーナーで最後まで読んでしまったりしました。

 午後になって、インターネット上で知り合い、親しくお付き合いさせていただいている方とお会いし、喋って飲んで歩いて食べて、気がつけば日付も変わろうという頃になっていました。
 翌日横浜をごいっしょする方とは時間の打ち合わせを、こういう機会でもないとお会い出来ない方とは別れを惜しみながら、電車の時刻表に引き裂かれ、楽しかった会合が終わります。
 僕は、朝に予見していた通りに、行き付けの秋葉原のカプセルホテルに宿を取り、高級ホテルの羽毛布団よりこういうカプセルの煎餅布団のほうがぐっすり眠れる自分の貧乏性を呪いながら、快適な狭さにやがてまどろむのでした。


11月24日

 前夜も夜更かしをしてしまったがために、しょぼくれた目を擦りながら、午前10時30分、静岡に向かって出発です。
 高速道路は快適、すいすい進みます。
 途中、なんとかいうSAでご飯を食べました。そこはレストランが小奇麗なのを売りにしているSAで、洋の店舗と和の店舗の二つが入っており、僕は「八丁味噌ラーメン」にひかれて洋の店舗に入りました。(あれ?今考えるとなんだか変だ)
 小奇麗で、期待していたとおりには美味しかったです。野菜は契約農家からしか買わないとか、コーヒーお代わり自由とか、サービスも含めて、なかなかよろしい。でも、お値段ちょっと高かったです。
 トイレに行きがてらふと見ると、ターンAガンダムの200円ガシャポンが。
 地元で買い逃していたものです。いつもの、こんなところに置いてあってこんなの誰が買うんだろうなどと呟く人格をよそに向かせて、レッツトライ。1000円使ったところで、去年の今ごろプレイしていたドリームキャストのゲーム「シェンムー」の主人公と同じあやまちを犯しつつある自分に気がついて、立ち上がります。
 収穫は、龍角散くららちゃん、じゃなかったキエル・ハイム二つとMSフラット二つとターンAガンダム。ソシエ・ハイムが欲しかったのに、と後ろ髪ひかれながらも、いつもの「本当に必要なものならば、今手に入らなくてもいつかまた出会える論」を持ち出して自分の感情を納得させ、車に戻ります。

 静岡で、まず伯母の家に寄ります。
 3年前に来た時から、さらに緑の侵略が進んでいます。伯母は「みどりの指を持つ人」、つまり園芸の達人でして、家の中も外も観葉植物でいっぱいにしているのです。「みどりの指を持つ人」というのは、園芸を行う人間が誰でも憧れる、どんな植物でも不思議と枯らさずに繁茂させることが出来る人のことです。
 庭も改修されていて、小作りながらも整った趣味の良い日本庭園風になっており、小さく水も流れていて、去年連れ合いを亡くした長野の祖母が、冬場は気候の穏やかな静岡にあるこの伯母の家で、この庭を眺めて過ごすのです。静かに眺めていると、十種類以上の野鳥がやってくるのだそうで、そうやって自然の鳥が佇むことで完成するように作られた、贅沢な庭であるという印象を受けました。

 それから皆で、結婚式の行われるホテルへ。今日は従兄の結婚式に呼ばれていたのです。
 新郎新婦の希望で、お互いの会社関係者すら呼ばない、近しい縁者同士が顔を合わせるだけという慎ましい式です。
 ホテルに着いたところで、まだ随分時間があり、僕は浴衣に着替えて名物の景色のよいという風呂に向かいました。
 公衆浴場の作法通りに、まずは体をざあっと流し、きれいな体で湯殿に足を入れます。少し温まったら、ガラス張りの引き戸を開けて露天風呂へ。
 日が傾き始めたところで、世界は、視認できるかどうかぎりぎりのオレンジ色。海と薄曇の明るい空が同じ色をしていて、水平線が霞んで、大空と太平洋が溶け合ってしまっていました。

 勿体無くて、ため息を一つ。湯に手を入れ、僕ごのみのぬるさに喜び、静かに身を浸してもう一つため息。
 鼻歌でもと思ったのですが、どうにもしっくり来る歌が思いつかず、遡っているうちに小学校のころに習ったような唱歌に行きついて、ゆうやぁけこやけぇのぉなどと場違いに奏して自分なりに気分よくしておりました。
「何処から来たの」
 なんて、知らないおじさんが話しかけてきました。
 話をしてみると、なんだか御忙しい仕事をされている方のようで、明日は京都、昨日は東京で宿泊とのこと。
 ちょうど思い出したので、明日行こうかと思っている「中国国宝展」の名前を出したら、なんと昨日丁度見てきたところだと。あれは凄い、あれはよかったとおじさんの絶賛を受け、こういう偶然には何か意味があるはずだと納得し、僕は明日の朝の出立を少し早めて国宝展を見に行く時間を作ることにしたのでした。
 さらに話を伺うと、おじさんには息子さんがいて、その方は一度そこそこの企業に就職したものの、あまりにも無茶な就労条件に体を壊し、それでも働こうとしたのを家族で反対して会社を辞めさせ、いまはフリーターの境遇とか。なんだか僕と似ています。
 おじさんは、今の世の中、なんだかおかしい気がする、というようなことをぽつり、ぽつりと言いました。おそらくそれは、人間が人間として生まれて以来、何億回、何兆回と繰り返されてきた呟きだと思います。
 自分の生きている時代、自分の生き方、家族の運命、現実のそういったものに満足出来るのはほんの一部の人達だけなのではないでしょうか。
 何かしらの不満や、不安や、不幸のある人の方が絶対的に多数で、そして、いや、だから、この考えが何に結びつくのかは、まだ僕にはよくわからないのですが。

 結婚式が終わって、二次会のカラオケもやがて終息し、部屋に戻ります。
 布団に横になったものの、なんだか寝苦しく、僕はカバンから一冊の文庫本を取り出しました。人に薦められて買った『おもいでエマノン』というSF小説です。
 ちゃんとしたSFを読むのは久しぶりだな、と思いながら、読み始めました。
 エマノンという不思議な名前の少女が主人公の短編連作で、全体を通してみてもそれほど長いわけでなく、しかし、心に残る詩情を持ったお話ばかりで、その夜は、僕の記憶の中で従兄の結婚式を差し置いて、エマノンの夜だったと名づけるに至るほどの、静かな感動を僕に与えてくれたのでした。
 一息で読むのが勿体無くなって、途中で閉じ、布団に潜りこみます。
 布団の中で、僕の意識はエマノンを思って拡散します。
 エマノンは、ジーンズに荒編みのセーター、ENと刺繍された黄色いナップサックを持って、長い髪を払うのが癖。ちょうどそんな感じのジーンズとセーターを持っているので、長い髪は諦めるとして、黄色いナップサックを買ってくれば簡単にエマノンのコスプレが出来るな、なんて考えます。
 エマノンは、この地球に生命が生まれてからの、全ての記憶を持っている少女なのです。彼女は旅をしています。もう30億年にもなる旅です。それがどう終わるのか、なぜにエマノンはそんな能力を持っているのか、もっともらしい推論はいくつも出てきますが、誰にもわかりません。
 どうせ旅行をするなら、エマノンの格好でしてみよう、なんてミーハーなことを考えているうちに、今度は、短編の一つに出て来た、「宇宙」になってしまった少年の話を思い起こします。
 交通事故の現場にエマノンが居合わせ、その血液を輸血された少年は、それから30億年の記憶を自分の中に宿してしまい、それに苦しみ、治療の一環として逆行催眠をかけられているうちに人間から猿人、哺乳類、両生類、魚類、微生物、単細胞生物とその姿までも遡っていき……最後に「宇宙」になってしまい、そのまま夜空へ旅立っていくというお話でした。
 僕は、人という器を持ったまま、やがて眠りに落ちました。


 ロボットは、ロボットであることに、やがて悩むときが来るのでしょうか。
 そのとき、人は先輩としてその悩みに答えてあげることが出来るのでしょうか。
 今では遺跡だけが残る古代の人類の文化の中には、その答えがあったのでしょうか。
 三日間の日程の中で、ロボットあり、歴史あり、オリンピックあり、SFあり、露天風呂あり、大道芸あり、その他いろいろ、そして多くの出会いと、その語り合いの中での知性がありで、実に思うところが多かったです。

 ロボデックス2000をみることが出来なくて、いじけて逆順で旅行記を書きました。
 これを書いていて、今日も夜更かし、ちょうど24日の出発前と似た状況です。
 だからたまには、こんなふうに時間を逆回しにしてみるのも、刺激があっていいですよね。


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